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第16話 工房長の孫の絵の具職人

「……それと、このあたりにアトリエが持てる家を探しているのですが、どこか心当たりはありませんでしょうか?1人で住むので、小さくていいのですが。」

「──お一人で?」

 工房長は一瞬、私の背景をおもんばかるように眉を寄せたが、すぐに、いいところがありますよ、と言ってくれた。


「うちが管理しているアトリエ兼住宅が、ちょうど1つ空いています。よろしければこれから案内致しましょうか?とても素敵な家ですから、きっと気にいると思います。」

「──本当ですか!?」

「ええ。──すぐにでもご覧に?」

「はい、出来ればぜひ。」

「わかりました。」


 そう言うと、工房長はいったん精算カウンターを他の従業員に任せて、店の奥へと引っ込んで行き、しばらくすると黒髪の背の高い若者を連れて、店の奥から戻って来た。

 手に汚れた手袋をしていて、同じく汚れたエプロンを身に着けている。ひょっとして職人さんかしら?酷く無愛想な印象だけれど、職人と言われてイメージするのはこういう感じだから、それなら不思議ではないわね。


「孫のアルベルトです。

 こいつに案内させますので、どうぞじっくりご覧になってみてください。」

 少し前髪が長くて、あまりハッキリとは表情が見えないけれど、朗らかな印象の工房長とはあまり似ていないみたいね。私はお礼を言って、アルベルトとともに店の外へ出た。


 汚れたエプロンと手袋を外したアルベルトは、何故か私の一歩後ろをついてくる。

 私はアルベルトがあまりこちらに近付いて来ようとしないのが少し気になっていた。

 ……これからアトリエのあるところまで道案内をして貰わなくちゃいけないのに、このまま私が先に立って歩くのかしら?


 そこへ、ザジーを両腕に抱いた、白髪を緩やかにまとめた老婦人が、にこやかな笑顔でこちらに近付いて来る。ひょっとしてあれがザジーの飼い主だろうか?絵から召喚されていないザジーは、私に見向きもしなかった。

「あらアルベルト!この間は本当にありがとうねえ。おかげでこの子も怪我ひとつなかったわ。あなたは大丈夫だった?」


 するとどうしたことだろう、アルベルトが突然モジモジしだしたかと思うと、落ち着かなさそうに頬を少し赤く染めたかと思うと、老婦人から目をそらした。

「……別に、屋根くらい、修理でたまに登るから、大したこと、ない。ザジーが無事で良かった。何かあったら、いつでも言って。」


 老婦人はそんなアルベルトの姿を見て、ふふっと微笑んだあとで私を見ると、

「……この子はねえ、本当に年上の女性に弱いのよ。こんな私のようなおばあちゃんでも、どうしても恥ずかしいのですって。

 緊張すると言って、村の年上の女性は誰もアルベルトに目も合わせて貰えないのよ?」

 と言った。


 私がアルベルトをチラリと見やると、上から見下ろしているアルベルトとバッチリ目が合った瞬間──バッと体ごと視線をそらされた。……なによ、かわいいじゃないの。

 だからあんなにも距離を取っていたのね。

 そんなアルベルトに目を細めた老婦人は、

「あなたはアルベルトの恋人かしら?

 この子はとっても可愛らしいでしょう?」

 と私に聞いてきた。


「私は……。」

「──違う。お客さん。爺ちゃんの頼みで、これからアトリエに案内するんだ。」

 イタズラっぽくそう言う老婦人に、アルベルトが私の言葉にかぶせるように言うと、

「早く、行こう。」

 からかわれたのがよっぽど恥ずかしかったのか、私の手を掴んでグングン歩き出す。


 遠くから老婦人の、アルベルトはとってもいい子よ〜。この子をよろしくね〜、と言っている声が聞こえ、遠ざかっていった。

 背の高いアルベルトの歩幅に合わせて歩くのは難しく、私はすぐに息切れしだしてしまった。手を掴まれたまま、私は足を止めた。

 アルベルトがそれに気が付いて、戸惑っているのが分かる様子で私を振り返る。


「……ごめんなさい、その、足が早いわ。

 もう少し、ゆっくり歩いていただけないかしら。追い付くのがやっとで……。」

 そこでようやく手を握ったままなことにも気が付いて、パッと手を離すと、うなじまで真っ赤に染めながら、ゴメン……と言った。

 悪い子じゃ、ないみたいね。


 私は大丈夫です、と言って、今度はゆっくりと歩いてくれるアルベルトについて、彼の朱に染まった首筋を眺め、笑みを漏らした。

「──ここ。」

 アルベルトが指をさしたのは、一見こじんまりとした2階建ての木の家だった。ただ少し普通の家と異なるのは、玄関にあたる部分が引き戸のようになっていることだった。


 玄関とは別に、外にも2階に上がる木の階段が、家の左側についていた。

 アルベルトが鍵を取り出して、引き戸をグイと引っ張ると、ガタガタと音がした。

「掃除はしてるから、綺麗だよ。」

 そう言われて中に入ると、

「……わあ!」

 1階すべてが広い作業場のようなスペースになっていて、ここがアトリエらしい。


 奥に2階に通じる階段があり、住居からも降りてこられるようだ。アルベルトに住居スペースも見るかと聞かれて、私は一も二もなくうなずいた。2階に上がり、アルベルトが階段の上のドアのノブを回して中に入る。

 ドアのどこにも鍵穴がなかったから、鍵がかからないのかと思ったけれど、内側からのみ鍵のかけられる仕様なのだそうだ。


 住居部分はもともと家族用に建てられたのか、いくつか部屋があって、リビング兼広々としたキッチンまでついている。1人暮らしでこれはだいぶ贅沢なんじゃないかしら?

 一見こじんまりとして見えた家は、採光の為に少し縦長に建てられていたようで、実際1階の作業スペースから考えても、かなり広いつくりの建物だった。


 お風呂場には猫足のバスタブが置かれていて、床にタイルが貼られていた。

「素敵……!とても気に入りました。」

 私がそう言うと、

「──たぶん、もっと気にいる。」

 と言って、アルベルトが私に外についてくるよう促した。家の裏は森だと思っていたのだけれど、木々の間を少し抜けると、そこは広く開けたスペースになっていた。


 おまけに日当たりのよいところに、ポツンと可愛らしいガゼボがある。外敵がいないからなのか、ガゼボには何羽もの小鳥が羽を休めていて、開けたスペースの草の上をウサギが何羽か、はねて遊んでいるようだった。

 色とりどりの花も咲き乱れて、ここで絵を描いたらどんなに素晴らしいことだろうか。


「なんて素敵なの……!」

「前の住人も、ここで絵、描いてた。」

「わかるわ。こんな素敵な場所に暮らしていたら、ここで絵を描きたくなるもの。」

 私がガゼボに行ってみたいと言うと、アルベルトはこっくりうなずいて、先にガゼボの1段高くなっているところに上がると、私に手を差し伸べてくれた。


「──あっ!!小鳥が……!!」

 アルベルトがガゼボに入った時は逃げなかった小鳥たちが、私がガゼボに入ろうとした瞬間、一斉に飛び立ってしまい、私は少しショックだった。あの子たちを描くのは無理そうね……。私が落ち込んでいると、

「大丈夫、すぐ慣れる。」

 とアルベルトが言った。


「──チイ。怖くない、おいで。」

 アルベルトがそう言って手を差し出すと、一羽の小鳥がアルベルトの伸ばした指先に舞い降りてとまった。その手を顔の前に近付けて、小鳥を見つめて優しく微笑む。ザジーのことといい、小動物が好きなのかしら?

「……よく懐いているのね。」


 私がそう言うと、

「小さい時、巣から落ちて、親から見捨てられてたの、拾って育てた。小鳥は命が短いけど、ラカン鳥は長生き。このまま死んだら可愛そうだと思った。……ずっと友だち。」

「へえ……。」

 チイと呼ばれた小鳥が、チチチチ……と鳴くと、安全だと思ったのか、他の小鳥たちも再び戻って来て、ガゼボにとまった。


 風が優しく吹いて、アルベルトの前髪をサラリと後ろに流す。アルベルトはとても爽やかで、工房長に似た優しい眼差しの青年だった。私はこの場所がすっかり気に入ってしまった。いずれここを借りたいと告げると、

「住んでくれたら家も喜ぶ。ここ、俺が昔住んでた家。誰も住まないの寂しかった。」

 と言った。


「──アルベルトがこの家に住んでたの?」

「……母さんが生きてた頃、ここでいつも絵を描いてた。俺が小さい時、父さんが母さんの為にこの家を建てた。絵を描いている母さんを見てる父さんは、毎日幸せそうだった。

 だけど母さんがいない家を見るのが辛いって、爺ちゃんの家に引っ越した。……俺も父さんが心配だったし、1人では住みたくなかったから。けど、ずっと気になってた。」


「そうだったの……。」

 もし住むとなったら、大切に住むわね、と私が言うと、アルベルトは優しく微笑んでくれた。アルベルトが父親と工房長と住んでいる家も、このすぐ近くらしい。引っ越して来たらお隣りさんだね、と言ってくれた。

 私は一度アルベルトとともに店に戻ると、工房長にお礼を言って店をあとにした。


 帰り道でアンの家に寄った。来ることは事前に告げていなかったから、とても驚いていたけれど、アンは嬉しそうに私を出迎えてくれた。このあたりに引っ越してこようと思うの、と言うとアンは、ついにあの家を出られるんですね!お嬢様がご近所さんになるだなんて、とても嬉しいです!と、既に引っ越しが近日に決まったかのように喜んでくれた。

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