「秋良のほう、準備終わった?」
温泉旅館のある部屋の引き戸を、華やかな留袖姿の母・朱嶺
「んー、もうちょっとかな」
黒のパーティドレスに身を包んだ姉の朱嶺
「……よし、これでいいでしょ!」
夏綺が満足そうに笑って離れる。
秋良は大きく息を吐き、改めて大きな姿見に自分を映した。
ふんわりと丸いシルエットの真っ白な綿帽子を被り、光の加減で浮き出る花柄の地紋が豪華な白い掛下に打ち掛け。鮮やかな赤色が差し色のように襟ぐりや帯締めに入っている。
目尻や唇に紅をさした姿は、どこからどう見ても、和装の花嫁さんだ。
今日は温泉旅館を貸し切って、清詞と秋良の結婚式である。
「一緒に住んでる間に、オレに口説き落とされた! ってことにしません?」
清詞と秋良はその後、穏やかに日々を過ごし、秋良が大学を卒業してすぐ、周囲へ二人の関係を知らせると同時に、結婚することにした。
異性と結婚していた清詞が、同性と結婚するとなると、秋良の指向に寛容な朱嶺家以外からは、あまり良い顔をされないだろう。
それに、梨英の名誉のために隠している秘密の件もある。
秘密を伏せつつ、堂々と二人の関係を公開するにはどうしたらいいか話し合った結果『居候としてやってきた秋良に、いつの間にか清詞が胃袋と心を掴まれてしまった』という形で収まった。
この報告に朱嶺家は大爆笑した後、諸手を挙げて喜んでくれたが、同性との結婚を田舎にある本家の紺藤家が許すわけはなく。
この件で清詞は、そちらの家とは綺麗さっぱり縁を切るかたちになった。しかし清詞は『ずっと逃げ出したい場所だったから、いいんだ』と言うだけだった。
こういった経緯もあり、結婚式の出席者は朱嶺家と、二人の事情を知る友人知人のみになった。
「……なんで、白無垢なの」
身体中にのしかかる、ずっしりとした布の重さに耐えながら立つ秋良が夏綺に聞くと、あっけらかんとした声が返ってくる。
「アタシがどーせ着ないから! アタシは教会でウエディングドレス着るもーん」
「……恋人もいないくせに」
「うっさいわね!」
元々は、結婚の報告を兼ねたささやかなお祝いの席だけで済ませる予定だったのだが、母の明澄と姉の夏綺が張り切ってしまい、結婚式用の衣裳を借りてきて、簡単な人前式まですることになった。
「まーまー。秋良は清詞くんの後妻さんに入るんだし、簡単とはいえ、ちゃんと花嫁さんの格好したほうがいいでしょ!」
そう言いながら、明澄が秋良の帯揚げの形を整える。それから、ふふ、と笑って。
「……アンタの小さい頃からの夢、叶っちゃったわねぇ」
なんだか嬉しそうな母親を見ていたら、これはこれで悪くないかもしれないな、と秋良は思った。
そこへコンコン、とノックが聞こえる。
「そろそろ行けるー?」
引き戸を開けて入ってきたのは、スーツに身を包んだ秋良の兄・
「やぁやぁ、とても綺麗な花嫁さんだね」
「清詞さん! ……オレ、変じゃないですか?」
秋良の問いかけに、清詞は目尻に皺を寄せて笑う。
「いいや、全く。僕はとんでもない幸せ者だねぇ」
旅館の一番広いお座敷で、簡単な人前式をした後、ささやかな形だけの披露宴が行われた。
秋良が小さい頃、清詞にプロポーズをしながら追いかけ回していた思い出や、一緒に住むことになった経緯、そして結婚を決めることになったきっかけの話で大いに盛り上がる。
一通り騒いで衣裳を脱いだ後は、温泉旅館を貸し切っているため、秋良たちも出席者もそのままそこに一泊する、のだが。
──当たり前だけど、清詞さんと一緒の部屋……!
温泉にゆっくり浸かり、宿の浴衣に着替えてようやく落ち着いた部屋は、宿の一番奥にある豪華な和室。
旅館側の配慮なのだろうか、新婚となる二人が泊まる部屋には、当たり前のように大きな布団が一組だけ敷かれていた。
「……なんだか、照れちゃうね」
部屋に入ってすぐ、二人して立ち尽くしていると、清詞がぽつりと言うので、秋良は思わず隣を見上げる。
ほんのりと頬を赤らめて、優しそうな眼差しの清詞が秋良を見下ろしていた。
「そう、ですね……」
周りにきちんと言っていなかっただけで、清詞と恋人同士になって二年以上は経つ。
なので身体の関係がないわけではないが、こうして改めてそういう間柄であることを明示されると、なんだか気恥ずかしいものがあった。
ふと、清詞が秋良の髪に触れる。
「あれ。秋良くん、後ろのほうがまだ濡れてるよ」
「本当ですか?」
「うん、拭いてあげる」
そう言うと、清詞は大きな布団の上に
秋良がそろそろと示された場所に腰を下ろすと、清詞は肩にかけていたバスタオルで、癖のある黒い髪を包むようにして拭いた。
「……いい結婚式だったね」
「はい」
披露宴前の式は、結婚証明書への記入と結婚指輪の交換を行う程度の簡単なもの。けれど、父と母が嬉しそうに拍手してくれたのが、すごく印象に残っている。
友人代表として、遥太とその彼女も呼んでいたのだが、遥太がめちゃくちゃ号泣していたので笑ってしまった。
簡単なものとはいえ、準備はそれなりに大変だったが、終わってみるとすごく満足感がある。
「母さんも父さんも嬉しそうだったんで、やって良かったなって思いました」
「うん、僕もお二人にちゃんと挨拶ができたし、本当に良かった」
清詞がそう言いながら、拭いていたバスタオルを秋良の肩に掛けると、そのまま後ろから両腕を回して、ぎゅうっと抱きしめた。
「──これからは、秋良くんが本当に僕のお嫁さんなんだね」
どこか噛み締めるように清詞が言う。
回された左手の薬指に、自分のつけているものと同じ銀色の指輪が光っているのが嬉しい。
秋良は清詞の顔を見上げて言った。
「
「こちらこそ」
見つめあって、ふふ、と笑い合うと、ゆっくり唇が触れ合う。
唇を合わせたまま、布団の上にまるで雪崩れ込むように、清詞が秋良をゆっくりと押し倒した。
「ちょ、清詞さん……!」
ようやく唇が離れて、秋良が慌てたように名前を呼ぶ。覆い被さるようにしてこちらを見下ろす清詞の耳が、少しだけ赤い。
布団の上に投げ出された秋良の左手を、清詞がそっと手にとって、薬指で光る銀の指輪に口付けた。
「今夜は、新婚初夜なんだよ、秋良くん」
「──……そう、ですね」
顔を真っ赤にして答える秋良の唇に、清詞がゆっくりと噛みつく。
それを受け入れるように、秋良は目を閉じて、両腕を清詞の首の後ろへと回した。
ピピピ、ピピピ、と規則正しいアラームの音。
ぼんやりした視界には、見慣れない天井が広がっている。
秋良は引きずるように身体を起こし、アラームを止めながら辺りを見回した。広い和室に大きな布団。
昨日結婚式をして、その会場の温泉宿に泊まっていたのだった、とようやく意識がハッキリしてきた。
隣を見ると、何も着ていない清詞が布団の中でまだスヤスヤ寝息を立てている。ハッとしてよく見れば、自分も何も着ていないではないか。
辺りを見まわし、布団の脇に山になった二組の浴衣を見つけると、秋良は這うようにしてそれらを掴み、小さい方をひとまず羽織る。
時計を見ると、もうすぐ朝食の時間だ。朝食は昨日の出席者全員と一緒に食べる予定なので、主催である自分たちもそろそろ行かなければ。
「清詞さん、清詞さん! 起きてください!」
「んんー、あと五分」
朝の苦手な清詞が、寝ぼけ眼で普段のように秋良に抱きついてきた。予定のない休日であれば、このまま一緒にゆっくり微睡みたいところだが、今日ばかりはそうはいかない。
「もー、朝食の時間ですよ! みんなに挨拶しなきゃ!」
「……そうでした」
清詞が眠そうな目を頑張って開けてた。
大きな欠伸をしながら起き上がり、清詞は秋良から渡された浴衣に袖を通す。秋良は自分の浴衣を整えると、まだぼんやりとしている清詞の身だしなみも整えた。
室内にあった姿見を覗くと、首の付け根周りに昨晩のものと思われる赤い痕跡がいくつもあって、秋良は思わず衿合わせをぎゅっと詰める。
「さ、行きましょう!」
「うん」
清詞と秋良は顔を合わせると笑い合い、揃って部屋を後にした。