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昼食を済ませた後は、先に清詞の家からも比較的近い距離にあるお弁当屋さんに顔を出した。
久しぶりに秋良の顔を見たパートのおばちゃん達は、元気でいたことを喜んでくれて、一緒に来た清詞にも気さくに話しかけてくれる。ちょうど店にいた店長に、来月からシフトに入れることと、住所が変わることなどを伝えた。
それからまた移動して、大学近くのショッピングモールへ着く。中に大きな本屋も入っているので、秋良もよく買い物に来ていた場所だ。
出入り口にある掲示板には、催事場で絵画展をやっていることを知らせるポスターが掲げられている。
「この展示が、見たかったやつですか?」
「うん、そうなんだ」
清詞が嬉しそうに答えた。そういえば、紺藤家にも小さな絵画がところどころに飾られている。ポスターには色んな画家の絵がいくつか載っており、そのうちの一つは、紺藤家にあるものとどこか似ていた。同じ画家の作品だろうか。
時計を確認すると、居酒屋にはまだ人が来ていない時間だ。
「んー、お店のほうは多分まだ人がいないと思うんで、オレもちょっと見てみたいです」
「そうなんだ。じゃあ、一緒に見て回ろうか」
二人は連れ立って、展示会場のある最上階へと向かった。
広々とした催事場には、パーテーションがいくつも立ち並び、そこにずらりと様々な絵画が掛けられていた。さながら簡易的な美術館である。会場入り口には展示即売会と書かれており、購入もできるらしい。
色んな絵画を見ながら、迷路のような通路を進んでいくと、一角に紺藤家に飾られていた絵と雰囲気の似た作品が並んでいた。すると清詞が足を止めて、一枚ずつじっくり眺め始める。
「この人の絵、お好きなんですか?」
「うん、長いことファンでね。優しくて柔らかくて、綺麗でしょう?」
「はい」
確かにどの作品も、穏やかな雰囲気があって、見ていてどこかホッとする絵だ。
「秋良くんがうちに来てくれたから、太陽とか夕陽とか、紅葉でもいいかな。そういう、赤い絵が欲しいなぁと思っててさ」
言われて、秋良は階段の踊り場に掛けられていた絵を思い出す。
山あいを流れる小川の様子を描いたものと、洋梨が二つ寄り添った絵。あれは清詞と梨英をイメージしたものだったのだろう。
そこに飾るつもりなのだろうか。
なんだかあの家の、本当の家族の一員にしてくれるみたいで、嬉しい気持ちになった。
一緒に作品を見て回っていると、不意に鮮やかな朱色が目に入る。
燃えるような夕焼けを思わせる、紅葉。
優しい雰囲気の中に情熱の滲む、降りしきる紅葉の様子を映し取ったような絵画で、秋良は思わず見惚れてしまった。
「……これ、綺麗ですね」
「うん、いいね。すごくいい」
清詞も深く頷くと、近くの販売員に声を掛けて、購入の相談を始める。
購入や搬送の手続きがあるというので、秋良はその間に展示会場の近くにあった雑貨屋を見て回ることにした。
時計を見ると、そろそろバイト先の居酒屋に人が来る頃合い。清詞のほうの手続きが終わったら、声を掛けて移動すればちょうど良さそうだ。
そんなことを考えながら、雑貨屋の店先にある品々を見ていると、聞いたことのある声に呼び掛けられる。
「あれ、秋良じゃん」
「──蘇芳、さん……」
少し長めに伸ばした金に近い茶髪を、後ろで雑に一つまとめ、切れ長の目をどこか眠そうに細めて笑う、長身の男性。
火事の後に一度会ってそのまま別れて以降、メッセージも電話も出ることのなかった、
「なんだよ、なにしてんの? こんなとこで」
「いえ、別に……」
蘇芳はまるで以前と変わらない様子で近寄ってきた。あまりに自然に、当たり前のように隣に立つので、別れ話をしたことなどまるで忘れてしまったかのよう。
「ちょうどいーや、お前のこと探してたんだよね」
「へ?」
そっと肩を引き寄せ、蘇芳はグッと顔を近づけると、予想外の言葉を口にした。
「俺たち、やり直さねぇ?」
「……は?」
「いやー、お前がいなくなって実感したんだよ。俺、お前がいないと、やっぱダメなんだなーってさぁ」
そう言いながら、肩を抱いた手が腰へと回り、身体を密着させてくる。以前は嬉しいと思っていたことなのに、背中がぞわりと
「お前だってそうだろ? だって、男じゃないとイケない身体だもんな?」
「それは……」
「あ、しばらくしてなくて溜まってんじゃない? ちょうどいいや、今からホテルいこーぜ」
耳元で甘く囁く声が、今はもう気持ち悪くて仕方がない。
「もちろん、今まで連絡してこなかったお前が悪いんだから、支払いはお前持ちな?」
一方的に別れると言って、電話もメッセージも拒否したのはそっちなのに。
色々と言いたい言葉が口から出そうになったが、秋良はグッと唇を噛んで堪える。
この人は自分が好きなのわけではないのだと、都合の良い、言いなりになる人間が欲しいだけなのだと、ようやく分かった。
それなのに、身体が強張って動けない。
「秋良くん?」
手続きを終えたらしい清詞に声を掛けられた。
ハッとして、秋良は蘇芳を突き飛ばすようにして離れる。こなところを清詞に見られたら、同性が好きなことを隠していたのがバレてしまう。
振り切るように清詞のほうへ駆け寄ろうとする秋良の腕を、蘇芳が咄嗟に掴んだ。
「……ねぇ、そのおっさん、ナニ?」
度々見たことのある、不機嫌を露わにした顔で蘇芳がこちらを睨みつける。ぎゅうっと力強く握られた腕が痛い。
「この人は、その……」
「俺と別れてすぐ新しい相手? なんだよ二股でもしてたのか、おい」
「そ、そんなんじゃない」
怒られる恐怖、嫌われる恐怖、失ってしまう恐怖。
色んな恐怖が身体の中を駆け巡るようで、うまく言葉が出てこない。
「ああ、じゃあなに、寂しくなってパパ活中とか? なんだよ、そんな寂しかったのか? それなら俺が……」
「だから違うって!」
清詞を馬鹿にするような言葉に、カッとなって大きな声が出た。
思い切り腕を振り、蘇芳の手からなんとか逃れると、ずっと黙って見ていた清詞が秋良の肩を掴んで抱き寄せる。
「……あっ」
清詞は蘇芳から庇うように、秋良の前に立った。
そして驚いている蘇芳に向かって、静かな声で言う。
「申し訳ないが、彼は私の連れだ」
「はぁ? 俺はそいつの恋人ですけど。おっさんはどっか行ってくんない?」
苛立ちを露わにした声で蘇芳がぶっきらぼうに言うも、清詞は至って冷静だった。
「……彼にそういう相手はいないと聞いているよ。火事で焼け出されて困っているのを助けもせず、一方的に振った相手ならいた、とは聞いているが?」
チラリと清詞の顔を見ると、今までみたことのない、怒りを滲ませた厳しい表情。
流石の蘇芳も、自分より年上の相手に言われると分が悪いと感じたのか、小さく舌打ちする。
「悪いがお引き取り願おう。それでもまだ付き纏うというなら、然るべき手段をとらせてもらうよ」
清詞の言葉に、蘇芳はもう一度舌打ちすると、くるりと踵を返して去っていった。
「……すみません」
清詞に厭な言葉を聞かせた上に、助けもらうなんて。
情けなさと申し訳なさで、秋良は涙が出そうなのをグッと堪えた。
しかし清詞は秋良の頭をそっと撫でると、いつもと変わらない声で言う。
「バイトの相談は今度にして、今日はもう帰ろう。……いいね?」
「はい……」
秋良はただ頷くしか出来なかった。