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清詞の家で暮らし始めて数日。
必要なものを整えたり、火事の後始末や色々な手続きもあってなかなか来れなかったが、秋良はようやく大学へ行ける状態になった。
お昼時になり学食へ向かうと、見知った声が呼び掛ける。
「お、秋良じゃーん」
「あ、遥太」
同じ学部で仲の良い遥太だった。
「めちゃくちゃ久しぶりじゃん! どうよ、初恋の叔父さんとの二人暮らしは」
「うん、まーまーって感じ」
そう言いながら笑う秋良に、遥太も嬉しそうに顔を綻ばせる。
二人は学食の人気メニューであるカレーを揃って頼むと、空いている席に向かい合って座った。
「その様子だと、上手くやってる感じじゃん」
「うん、それがさ。清詞さんてば家事が苦手らしくって。ずっと外食かコンビニ飯だったっていうから、今はオレがご飯作ったり、洗濯とか掃除とかもやってるんだ」
嬉しそうにカレーを頬張りながらいう秋良に、遥太は持ち上げたスプーンをつい皿に戻す。
「……お前それ、またいいように扱き使われてないか? 前の彼氏の時も、おんなじこと言ってたぞ?」
呆れたような声に、秋良は口の中のものをゴクンと飲み込んでから反論した。
「蘇芳さんの時とは全然違うよ。家に置いてもらう代わりに、家事やってるようなもんだし」
蘇芳の元へ足繁く通っていた頃は、家事や食事の用意だけやって追い出されたり、文句を言われることも多かったが、今回はきちんと割り切った関係である。清詞は本当に食事の用意や掃除、整理整頓などが苦手なようで、放っておくと大きなウォークインクローゼットの中に布の山が出来るのだ。それを片付けるだけで、清詞は照れながらも嬉しそうにお礼を言う。食事だって毎回残さず美味しそうに食べてくれるし、文句を言われたことは一度もない。
そして一番の違いは、お金の部分。
「あと清詞さん、オレに一円も出させてくれないんだ。食材とか洗剤とか、必要なもの買うときはコレ使いなさいってカード渡されちゃって」
秋良はそう言うと財布を取り出し、シックな黒がキラリと光るクレジットカードをちらりと見せる。富裕層にだけ許されると言われる、幻のようなカードだ。
「うわ、めっちゃいいカードじゃん」
「清詞さん、いつも『作ってくれてありがとう』って、言ってくれるんだ。だから、すごく嬉しい」
大好きな家事をさせてくれるし、喜んでくれる。清詞との生活はそれだけでも十分なくらいだ。
「……そっかぁ。お前が幸せなら、それでいいや」
家がなくなり、憔悴しきった顔を見たのが最後だったので、遥太は照れながら笑う秋良の様子に、なんだか嬉しくなる。
ひとまずこれで、秋良は火事に遭う以前の生活に戻れそうだ。安心できる家が見つかって、学校にも来れるようになったのであれば、その次は秋良のもう一つの生活基盤であった、バイトが再開できればほぼ元通りである。
「あ、そういやお前、バイトはどうしたんだ?」
「住むとこ落ち着くまではって、お休みさせてもらってたから、そろそろ再開しよっかなーって思ってさ」
「バイトはすんのか。清詞さんの家にいる間は、生活費の心配なんて必要なさそうだけど」
遥太がカレーを口に運びつつ尋ねると、秋良が口を尖らせた。
「さすがに遊ぶお金まで頼れないよ」
「んー、話聞いてる限り、清詞さんは全然いいよって言いそうだけどな」
「パソコンも新しく買わなきゃだし、レポート用に買った本もいくつかは買い直したいし……」
「そういや、図書館だと人気すぎて順番待ちなんだっけ?」
「うん。だからわざわざ買って手元に置いといたのに、燃えちゃったからさぁ」
レポートで使う資料は学内でも人気の本が多く、図書館で貸し出しされているものは常に予約待ちになっている。それなら少々値は張るものの、手元にあったほうがレポートも捗るというものだ。
遥太は秋良のバイトについて、うーんと頭を悩ませる。彼は確か、バイトを二つ掛け持ちしていたはずだ。
「バイトを再開するにしてもさ、弁当屋は隣町方面で近いから行けそうだけど、居酒屋は逆方向だろ? 遠くね?」
「そこなんだよねぇ、どうしよ」
「その居酒屋、チェーン店だろ? 清詞さん家の近くに店舗ねぇの? あるならそっちに移動させてもらうとか、もしくはその辺で探すとかしたほうがいいと思うけどな」
「あ、そっか。相談してみよっかな」
清詞の家の家事も任されているので、なるべくならもう少し通いやすい場所で働いたほうがいいだろう。
秋良はスマホを取り出すと、新しい最寄り駅周辺の地図を覗き込んで、バイト先の居酒屋のチェーン店がないかと探し始めた。
その様子を見ながら、遥太は気になったことを口にする。
「でもさぁ。蘇芳さんと別れたんなら、掛け持ちするほどバイトしなくてもいいんじゃないの?」
以前までは、安アパートに住みつつ、家賃や生活費以外にワガママな蘇芳に付き合うのため、お金が必要なのだろうと思っていた。しかし今に至っては、家賃も生活費も不要な状況である。バイトを掛け持ちしなければいけないほどとは思えない。
「……だって、ずっと清詞さんの家にいるわけにいかないし」
「んだよ。いっそ恋人同士にでもなっちまえよ。初恋の人なんだろ?」
遥太がニヤニヤと楽しそうに言う。
しかし残念ながら、そんな未来はありえない。
「無理だよ。……だって清詞さん、女の人が好きだし」
「あれ、そういや結婚してたんだっけ? 奥さんは?」
「三年前に事故で奥さん亡くしてるの。毎日お花の水替えたり、手を合わせたりしてる。指輪もずっとしてて、オレのことは困ってる親戚の子としか見てないよ」
清詞の奥さんである、梨英の葬儀の後のことが秋良の脳裏を過ぎる。
しとしとと涙雨の降る家の裏で、喪服を着た親戚たちはコソコソと話していた。
『子どもがいなくて本当に良かった』
『まだ若いのだから、早々に後妻を
清詞はあんなに悲しんでいるのに、なんて酷い人たちだと思った記憶がある。
もちろん、清詞のお嫁さんになりたいと思った時期があるくらいだ。出来るならこのまま近くで助けたい気持ちはあるけれど、きっとその役割は、自分ではない。
「男のオレじゃ、叶いっこないよ」
秋良はそう言うと、残っていたカレーをかき込むように口に入れた。