四歳の子供に戻った俺の魂は、その肉体から離れてベランダから星空を眺めていたらしい。以下の出来事は朝になってから仙道から聞いた話なんだ。
滅多に見られない流星群が夜空いっぱいに広がっていた。あどけない少年の無垢なる魂は、心からの願いを祈りへと変えていたと聞いた。
「神さま、ボクに妹をください」
少年の魂は一心不乱に妹が欲しいと願い続けた。そう、あの四歳の夜のように、夜半が過ぎても一心不乱に祈っていた。
「神さま、ボクに妹を返してください」
少年の魂は、何度も何度も星にその願いを繰り返し唱えた。誰よりも何よりも必ず妹を大切にするからと。しかし、いつの間にか仙道とマリカも眠ってしまったらしい。その先に何が起きたのか、それは今も未来もこの二人には判らないだろう。
何も見えない深い暗闇の中で、ボクは手探りで何かを探していた。とても大切な……ううん、一番大切なものを探しているはずだった。正直、何も音が聞こえない暗くて冷たい闇はとても気持ち悪くて、子供心にすごく怖かった。だけど僕は必死に闇の中を前に進んだんだ。するとその先に……。
――お兄ちゃん……大好きだよ、お兄ちゃん――
聞こえてきたその声でボクは思い出したんだ、ボクが探しているのは何よりも大切なセツリ……ボクのたった一人の妹なんだって。ボクは勇気を振り絞って、声が聞こえた方の深い暗闇へ思い切り手を伸ばしたんだ。だけどいくら伸ばしても手が届かない。
「セツリ! お願いだから手を伸ばして! ボクの手を握って!」
果たしてボクの声が聞こえたのだろうか、誰かがボクの掌をそっと握り返してきた。それはとても暖かい掌だった。思わずボクはその小さな掌を力一杯握り返したんだ……。
掌に心地よい暖かさを感じて俺はそこで気が付いた。俺も仙道もマリカも、その場の全員がベランダで正体不明になって眠っていた。意識を戻した俺は瞳を微かに開けてみる。俺の傍らでは俺たちの他にもう一人……良く見知った愛らしい女の子が俺の掌を握って眠り続けていた。この愛しい寝顔を俺が見間違うはずがなかった。少女は本当に天使のようだった。うん、これは科学的に言っても言わなくても天使としか言いようがないや。……愛する摂理……俺のたった一人の大切な妹。
「……お帰り、摂理……」
俺は小さな声でつぶやくと、妹を起こさないようにそっと優しく抱きしめた。俺は協力してくれた二人に深く感謝しながら、心の中で小さくつぶやいた。
――誰よりも何よりも大切な摂理……もう決して手放さない。心から……愛している。
そうつぶやいたその時、夜の帳の中に美神の姿がはっきりと映った。しかし俺以外の皆は誰一人として目を覚まさない。美神は俺に優しく微笑むと、親し気に話しかけてきた。
「森羅くん、摂理ちゃんを無事に取り戻せたのですね」
「……うん、皆のおかげだ」
「本当に良かったです。……ところで森羅くん。この結末、非科学的だと思いますか?」
「いや、事象に再現性がみられたから科学的かな。……うん、魔法も科学なのかもしれないと本当に思えるよ」
俺の堅苦しい答えを聞いて、美神は独りでくすくすと笑った。
「相も変わらず森羅くんは堅物の科学者みたいな回答をするのですね。それでは、今の貴方のポリシー、私に聞かせてくれませんか」
「俺は非科学的な魔法は認めない。……だけど魔法も論理的に解析すれば必ず科学になる」
それを聞いた美神は、その美しい顔に満面の笑みを浮かべた。
「おめでとう、博士さん。貴方は魔法と科学の真理に今、辿り着きました」
「美神のおかげだ。ありがとう……神さま」
美神との別れが近いことを悟った俺は、長く心に引っかかっていたことを、どうしても本人に聞かずにはいられなかった。
「美神……いやルナ・グレイス。教えてください。神を恨んだ俺はあんなにも態度が悪かったのに、どうして俺を助けてくれたのですか?」
俺の問いかけに美神は転生の女神の姿に戻ると、優しくそして春風のように温かい微笑みをその顔に浮かべた。女神は穏やかな声で俺に語りかけてきた。
「博士さん。神にとって、人とは自分の子供と同じなのです。たとえ恨まれていても、憎まれていたとしても、親が子の幸せを願ってはいけませんか?」
それは何ともあっさりとした答えだった。そうか俺が摂理を愛しているように、神様もまた俺を愛してくれていたのか。俺が今までそれを気付けなかっただけなんだ。
「……だから博士さん。辛いことがあっても、あまり神を恨まないでくださいね」
その言葉を俺一人に残して、転生の女神――ルナ・グレイスは光の柱となって消えていった。おそらく俺が次に彼女と会えるのは、俺が今の生を全うして次の生に向かう時に違いない。
「本当にありがとう、美神……いや女神ルナ・グレイス。俺は今度こそ道を間違わないと貴方に約束するよ」
心が洗われたようなすがすがしい気分で、自然と俺は神様への感謝の言葉を口にしていた。
翌日、登校した俺は事の顛末を仙道とマリカに説明することになった。あの後、二人は朝になるまで目を覚まさなかったんだ。早朝に気付いて慌てて家に帰った二人だが、やはり遅刻は免れなかったようだ。
「おはよう。二人にしては遅いじゃないか」
俺からの朝の挨拶に、仙道とマリカが不服そうな表情で応えた。あれれ? この二人、何となくさらに仲が良くなっていないか?
「遅刻はお前のせいだぞ、と」
「男の子の家で一夜を明かして朝帰りなんて……ワタシ、とても叱られましたからね」
「悪い。本当に迷惑をかけたな。でも、おかげで大成功だ」
俺はまず二人に陳謝し、その後に儀式の成功を報告した。しかし……。
「儀式が成功したことは見れば判るぞ、と」
「本当に、見ているこちらが恥ずかしくなるわね」
「あー、コレのことかな?」
なんと摂理が俺の右腕に両手で抱きついて、決して放そうとしなかったのだ。俺だってもう摂理を二度と手放したくない。しかし……これはさすがに行き過ぎかもしれないな。
「セツリ、もうお兄ちゃんから離れないから。――大好きだよ、お兄ちゃん」
妖であるとことを知ってもなお愛し続けてくれた俺を、摂理は決して放そうとはしなかったんだ。実は朝からずっとこの状態が続いている。俺は嬉しいような、困ったような……何とも複雑な気分だった。
そんな時、摂理に恋する少年Cが俺たちの教室へと乱入してきた。
「摂理さんから手を放せ、このシスコン!」
魔法の杖を振り回しながら人のことを変態呼ばわりしている。またか、ヤレヤレだな。俺が見ている内に、杖の先端に不安定な炎が宿り始めた。
「駄目だ、基礎がなっていない。故にお前の魔法は却下する」
たちまちのうちに杖の先端で燃え上がっていた炎は消え去った。それを見て顔を見合わせる仙道とマリカ。これでは前の俺とあまり変わらないと考えていることが見て判る。
「おいおい、と」
「魔法を認めたのではなかったのですか、森羅くん?」
確かに今の俺は認めている、科学的な土台と基礎がある真の魔法はこの世に存在するのだと。しかし目の前で見たような中途半端な魔法では、厳然たる科学の一部とは認めることができなかった。あんなに不安定では、科学的な魔法だと信じることができないな。迷うことなく俺は新たに築き上げた信念を口にした。
「俺は、科学的な魔法しか絶対認めない!」
呆れたような表情をする仙道とマリカ、楽しそうに笑う摂理……うん、この世界に転生した今の俺は、間違いなく世界中で誰よりも幸せな男に違いない。