ドラゴンや魔獣に邪魔されずに登校できるのは久しぶりだった。今朝は顔なじみの自衛隊員にも会わなかった。いつもは遅刻すれすれの登校だったが、今日は余裕で大丈夫だ。教室に入ると仙道とマリカが楽し気に話し込んでいる。二人共、昨日までとはうって変わった和やかな雰囲気だ。
「おはよう、博士。今日は早いな、と」
「森羅くん、昨晩はお疲れさま」
教室に入ってきた俺に気付いた二人が話しかけてきた。もうマリカから敵意は感じられない。黒間が言っていたように、マリカは質の悪い大悪魔からマインドコントロールを受けていたのだろう。きっとこれからは、俺もマリカと仲良くできるに違いないな。
「二人に頼みがあるんだ」
俺は単刀直入に話を切り出した。仙道とマリカが俺の言葉を聞いて顔を見合わせる。
「熱でもあるのかな、と」
仙道が掌を俺の額に当てるが、もちろん俺に熱などあるはずがない。
「森羅くんがワタシに頼みですか?」
驚きを隠さずにマリカが尋ねる。
「うん、是非とも学園首席と第二席に力を貸して欲しいんだ。俺は……俺はどうしても摂理を取り戻したいから」
深々と頭を下げる俺に当惑を隠せない仙道とマリカ。しかし、摂理を取り戻したいと語った俺の言葉に、二人は深い関心を示してくれた。
「摂理ちゃんを取り戻すと言ったかな、と」
「どういうことなの? ワタシにも説明して」
俺は二人に事情を詳しく説明した。摂理が実は座敷童であったこと、俺に別れを告げて目の前から消えてしまったこと、俺の特殊能力は、非科学的な超常現象を『否定』により消去する力であったことなどを。ただ一つ、美神愛月の正体が転生の女神ルナ・グレイスであることを除いて。いや、そもそも二人共、美神がこの場にいないことに気付いていない様だ。おそらくは美神が席を外すと言ったことと関係があるのだろう。俺の話を最後まで聞き終えると、仙道とマリカはその口を開いた。
「博士の能力はおよそ想像ついていた通りだな、と」
「ワタシにとって、本当に忌々しい力でしたわ」
俺は素直にマリカに詫びた。特に対抗戦では本当に迷惑をかけたと思っていたからだ。
「本当に悪かった。公衆の面前で全裸を晒したマリカには何と言って詫びればいいか……」
「それは忘れて!」
赤い顔をしたマリカが叫ぶように語った。どうやら俺は彼女に余計なことを言ってしまったらしい。すると仙道が話題をマリカのヌード事件から即座に変えてくれた。
「俺たちの力を借りたいって言うが、博士が否定したら全て消えちまうけどな、と」
「森羅くんは自分の力を軽く見過ぎているわね」
それについては俺も一晩寝ずに考えていた。自分のポリシーと能力を整合させない限りは、俺の能力はこの世界では核爆弾のように危険なモノなのだから。
「ああ。それについては俺なりに答えを出した。やはり俺は非科学的なモノは決して認めない。だけど……俺は信じる、魔法も合理的に解析すればきっと科学になると!」
この結論に至るまでに俺はずいぶんと長い回り道をしてしまった。思い出してみれば天界でルナは、俺に魔法と科学の両方を極めないかと尋ねていた。彼女がさりげなくヒントを出してくれていたのに、俺はそれに気付かなかっただけなんだ。仙道とマリカは俺の言葉を聞いて顔を見合わせ、そしてゆっくりと頷いた。
「うん、それは博士らしい答えだ、と」
「まぁ、森羅くんにはこれ以上のことを期待はできませんわね」
二人は笑顔で俺に語りかけてきた。うん、確かに俺は本気でそう考えている。そして仙道もマリカも、俺の出した結論にどうやら納得してくれたらしかった。
「……で、俺は何をすればいいのかな、と」
「そういうことなら、ワタシも全力で協力いたしますわよ」
そこで俺は、自分の計画について仙道とマリカに詳しく説明を始めた。話を聞きながら時々頷く二人。俺の立てた計画には魔法使いであるマリカと古呪術者である仙道、この二人の力が同時に必要だったのだ。失敗は決して許されなかった。そして俺は、摂理を取り戻せる最後のチャンスに全てを賭けたのだ。
俺はその夜、仙道とマリカを自宅へと招いた。居心地の良かった家が、今では全く温かみを感じられない。あの心地よい温もりは摂理の存在そのものだったことを、俺は改めて実感していた。俺は決意を新たにした、絶対に摂理を取り戻すと。
「仙道、マリカ。本当によく来てくれたな」
約束通り指定時刻に訪問してくれた二人に、俺は心からの礼を伝えた。
「お前のためじゃない、摂理ちゃんのためだ、と」
「ワタシは……魔法学的興味からです。不可思議な星命体をこの目で見られるチャンスを棒に振るわけにはいきませんからね」
仙道もマリカも口ではそう言ったが、二人共、俺のために来てくれたことは明白だった。俺と同じ様に、二人共あまり素直に心根を語れない人種なのだろう。今頃になってだが、マリカにも俺は親近感がわいてきた。
「森羅くん、もう一度ポイントを説明してくれる」
マリカの言葉に応えて、俺は大切な部分のみ要約して語ることにした。
「座敷童とは、流れ星が降る夜、無垢な人間の祈りが星に届けられた時、願いを叶えるために現れる星の命を具現化したもの……星命体せいめいたいと呼ばれる存在だ」
しかし、仙道もマリカもそこまではすでに知っていた。
「それはもう判っている、と」
「確認すべきところは、その召喚条件でしょう?」
俺はマリカの言葉を不満げに一部訂正した。
「魔物を召喚するみたいに言うなよ」
そう、星命体を呼ぶことは、召喚と言うより降臨に近いのだから。
「今晩、その儀式を行いたい。だがここに二つクリアすべき重大な問題がある」
俺は真剣な表情で説明を続けた。そう、今はまだクリアすべき大前提が揃っていない。
「まず第一に今は流星群が見られる時期ではない。普通に考えて星降る夜にならないんだ」
「そこでワタシの流星の魔法の出番という訳ね」
まさにマリカの言う通りだった。自然発生しない以上、人為的に流星を発生させるしかない。流星群を降らせるには、マリカの流星の魔法が頼みだった。長丁場を覚悟したマリカは、保有するありったけの魔晃石を持参すると、自分の愛用の杖にその全魔力を注ぎ始めた。彼女は夜半の一時間前から途切れることなく流星を降らせるつもりだったんだ。
「そして第二に、星には無垢な人間の祈りしか届かないというところだ」
「高校生にもなったら、無垢な子供とはいかないでしょうね」
「それに博士は人一倍ひねくれているからな、と」
「うん……それは否定できない」
成長の過程で子供は少しずつ魂に色がついてしまうものなのだ。特に科学一辺倒だった博士は、素直で無垢な子供とはすでに程遠かった。
「そこで仙道の秘術が必要になる。心の奥底に埋没している四歳の頃の俺の心を探しだして、その魂で星に祈らせて欲しいんだ」
「かなり難しいけどやってみる、と」
子供の心に戻した上で、魂を外に出すという呪術が必要だった。禁術でこそないが、秘法と呼ばれるリスクを伴う高等呪術である。仙道は陰陽師の服に着替えると、秘蔵の魔晃石を掌に載せ、精神統一により自分の気を高めていった。
儀式の定刻が近付いていた。しばらく前から、マリカは杖を縦横無尽に振って夜空いっぱいに流星を振らせていた。俺はベランダで瞳を閉じると、仙道が導魂どうこん術を俺に掛けるのを待っていた。仙道は両掌に強い念を込めると俺の頭上に乗せた。俺の意識はその時点で曖昧になり、長い時間途切れている。