俺は全てを思い出した。前世の出来事も、天界での女神との話も、過去に俺に起きたことについても。それは非科学的かもしれない。合理的ではないかもしれない。だけどそれが何だと言うんだ! 摂理がいなくなったことに比べれば、もうどうでもいいことだった。俺は家から出ると、行くあてもなくフラフラと歩き始めた。それは俺にとって、摂理がいない家があまりにも寂しかったからかもしれない。
「大丈夫ですか、森羅くん」
呼びかけられて顔を上げれば、俺の前に美神が立っていた。何となく彼女と出会う気がしていた俺は、彼女に会っても特に驚かなかった。
「摂理が……いなくなってしまったんだ」
「そうですか……」
「ずいぶん冷静なんだな」
「スマホの会話、私にも聞こえていましたから」
「……そうか」
俺は美神の答えが真実かどうか疑わしいと思った。彼女なら何でも知っている様な気がしたからだ。美神は俺の瞳を正面から見つめながら、真顔で尋ねてきた。
「初めに大切なことを一つ確認させてください、森羅くん。まさかとは思いますが摂理ちゃんの存在を否定したりしていませんよね?」
「そんなことするもんか! 俺にとって科学は確かに生き様そのものだった。だけどそれより大切なものだってあるんだ。……摂理は、誰よりも何よりも大切なんだ!」
隠さずに吐露する俺の激しい思いを目の当たりにして、美神は安心したような表情を浮かべた。そして優しく微笑みながら俺に語りかけてきた。
「……良かった。それが本当ならばまだ望みはあります」
「それ、どういうことだ?」
「摂理ちゃんを取り返すチャンスがあると言うことです。まずは何が起きたのかを私に正確に教えてください」
今晩、俺と摂理に起きたことを、俺は包み隠さずに美神に伝えた。摂理を取り戻すためにはそうしなければならないと思った。美神は真剣な顔をして漏れなく俺の話を聞き続けている。そして最後に確認をするように尋ねてきた。
「もしかして森羅くんは……前世を思い出したのですか?」
「前世なんて非科学……いや、そんなことを言っている時じゃないな。うん、全て思い出した。前世も、天界での出会いも、過去の話もね」
「……判りました。それなら話は早いです。では森羅くんは、非科学的だからと言って、目の前で起きていることを、やたらに否定はしないのですね?」
「うん、もうしないさ。摂理が自分は座敷童だと告白して、俺の前から消えてしまうのを目の当たりに見たからな。……ようやくバカな俺でも気付けたよ、いろいろなことに」
俺は美神の顔をまっすぐに見つめながら、事実を確かめるようにはっきり尋ねた。
「美神はあの時の転生の女神――ルナ・グレイスなんだろ?」
美神は俺の言葉を否定しなかった。やはりそうか。潜在能力センサーが測定限界以上に振り切れるわけだな。彼女は絶対者たる神だったのだから。大悪魔すら手玉に取れるわけだ。
「美神は神様だから知っているんだろ? 教えてくれ。座敷童って、いったい何なんだ?」
俺の問いにしばらく俺を見つめていた美神は、やがてゆっくりと口を開いた。
「座敷童は住み着いた家を幸せにする妖です。その正体は幼くして命を失った純真な子供たちが生まれ変わった姿なのです」
「住み着いた家を幸せに?」
そうだな、摂理がいる家こそが俺の幸せの場所だった。俺の約束の地だったんだ。
「森羅くんに受け入れやすい言葉で説明しましょう。『座敷童』とは無垢な人の祈りがこの星に届き、その願いを叶えるために具現化した星の命……神が『
「そっか、摂理は星の命だったのか」
普通の命ではなくても摂理は摂理……妹を大切に思う心が揺らぐことはなかった。その時、ふと疑問が脳裏に浮かび、それを美神に尋ねてみた。
「俺が岩古那博士だった時、俺がいつも見ていた妹も星命体せいめいたいだったのかな?」
美神は一瞬ためらっていたが、意を決したように語りだした。
「いえ、残酷な真実を告げるようで私も教えるのを躊躇っていたのですが、あれは貴方の絶望が生んだ幻覚に過ぎません」
「……そうか、あれは幻覚だったのか」
「はい。摂理ちゃんの魂は、私が生前とは異なるこの世界にきちんと届けましたから。それは絶対に間違いありません」
美神の意外な言葉に驚いた俺は、心の声を口に出した。
「えっ、摂理の魂をこの異世界に?」
「はい」
「摂理の魂か……できるなら会ってみたい」
今、俺にとって一番大切なのは間違いなく摂理だった。だけど、もし妹の魂にあえるなら、一度だけでもあってみたいのも本音だった。すると……。
「もう出会っていますよ、森羅くんと。私、座敷童という妖は幼くして命を失った純真な子供たちが生まれ変わった姿と言ったでしょう?」
えっ? それって、まさか……。
「あの座敷童の摂理ちゃんには……貴方の妹の魂が本当に宿っていたのですから」
「……摂理……俺の摂理……」
「私は、兄妹でいつまでも一緒にいたいと言う一人の少年の願いを叶えてあげたかったから。だから森羅くんを摂理ちゃんが生まれ変わったこの世界に転生させたのです」
「俺の……願いを」
「そして、私の願い通りに兄と妹は邂逅したのです」
「……そうだったのか」
俺は生まれ変わる時に、人の好い女神に対して傍若無人なことをさんざん言った気がする。悔やんでも悔やみきれないほど、俺は愚かだったと思う。美神も今まで溜めていたストレスを発散するかように、畳みかけて俺に語りかけてきた。
「それなのに貴方ときたら、目に映るものを何もかも非科学的と決めつけて端から消しちゃう。……このままでは貴方が摂理ちゃんを消してしまうと心配して、私はここに来たのです」
実に耳の痛い話だった。全く知らなかった真実と共に、俺はこの美神に数知れぬ心配と迷惑をかけていたことを知った。美神はこんな俺のために泣いてくれたのにな。本当に穴があったら入りたいくらいだ。しかし、俺が摂理を取り戻すためには、美神の助言がどうしても必要であることも判っていた。
「頼む。教えてくれ、美神。俺は……俺はどうしたらいい?」
俺の問いかけに美神は長く真剣に考え込んでいた。やがてその心を決めたかのように、美神は俺にニコリと微笑むと諭すように話しかけてきたんだ。
「ダメですよ、森羅くん。私に全てを頼っては」
……やはりダメか。判る気がする。今までさんざん迷惑をかけておきながら、今頃になって頼るなんて虫のいい話だもんな。
「……そっか、それはそうだよな」
しかし美神が俺に伝えたかったことは、協力の拒否ではなかったらしい。彼女は優しい声で俺に語り続けた。
「森羅くん。貴方は今回のことで真理に近付き大きく成長しました。……だから今回は、森羅くんが私の力を借りずに、自分自身で正しい答えを見つけるのが一番良いと思います」
「俺が自分自身で正しい答えを?」
美神は頷き、俺を励ますように背中をドンと強く叩いて付け加えた。
「ええ、そうです。ですから神である私は邪魔しないように今回は少し席を外します。でもね、クラスメートとして、同じ部活に所属した者として、私は森羅くんを応援していますから」
激励の言葉を残して、美神は一瞬で眩い光の柱となって姿を消した。女神ルナ・グレイスか……彼女はこんなダメダメな俺でも、きっと温かい眼差しで最後まで見守ってくれるのだろう。うん、判ったよ、美神。俺もお前の期待に応えないといけないな。神の力を借りずに、人の力だけで摂理を必ず取り戻してみせるから、俺を信じて見守っていてくれよな。
俺は一晩中必死で考え続けた。最善の答えを導きだすことは、ハイゼンベルグ方程式を解くより難しかった。しかし、俺はきっと正しい結論に辿り着けたのだと信じている。……そう、もはやこれに賭けるしかないのだ。しかし長く魔法を非科学的と断じて否定してきた俺では、あまりにも魔法に関する力が不足している。今の俺に足りない魔法力を補うために何かできることはないだろうか。
「うん、やはりこれしかないな」
意外にも答えはすぐに思いついた。俺が摂理を取り戻せる最後の希望、最後のチャンスなのだ。できることは何でもするつもりだった。俺の覚悟はすでに決まっていた。