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俺は摂理がいない世界なんて認めない ②

 全く視界が効かない光の靄の中で、俺の意識は当てもなく漂っていた。俺には全く判らない。いったいここは何処なのだろうか。


岩古奈いわふるな博士さん、気付きましたか?」


 自分の名前を呼ばれてふと顔を向けると、そこには今までに見たこともないほど美しい女性が、眩しいほどの笑みを湛えて私の目の前に立っていた。


「ここは……どこですか? 合理的かつ科学的に説明してください」


 まるで『あの世』にいるみたいだった。彼女は説明に困ったような顔をしている。


「質問を変えましょう。あなたは何方です?」

「……実は私、転生の女神なのです」


 全く話を信じていない私の様子に、女神は眩しい笑顔で私に問いかけてきた。神と言う言葉を聞いた私は、心の底から反発する気持ちが沸き上がってきた。私は神が嫌いだった。摂理を救けてくれなかった神を恨み、心底憎んでいたのだから。


「岩古奈さんとお呼びしてもよろしいですか?」

「できれば、岩古奈 博士はくしとお呼びいただきたい」

「それでは岩古奈博士。貴方に何が起きたのか、全く思い出せませんか?」


 やがて回想を終えた私の表情を見て、女神は優しい口調で話しかけてきた。


「起きたことに納得できましたか? 岩古奈博士、真に残念なことですが貴方はお亡くなりになりました」

「何とも非科学的な話ですね。私にはそんな戯言は信じられません」

「やはり信じていただけませんか。……それは少し困りました。次の生に向かっていただくために、そこだけはご理解いただきたかったのですが」

「いや、百歩譲ってこれが現実だとしても次の生に行くのは困る。摂理が私を待っているから」

「えっ、摂理さんが博士を待っていると」


 私の言葉を聞いて自称女神は大急ぎで黄金色のノートを読み返していた。そして何とも複雑な表情を見せている。理由は判らないが彼女は傍目にも心底困ったような表情になっていた。憂いと悲しみを背負い、それでいて何か大切なことを伝えなければいけないと言った顔だった。そうか、この表情なんだ。俺がどこかで見たことがあると思ったのは。


「ところで、貴方のお名前を聞いていませんでしたね」

「私ですか? 私の名前……そうですね、ルナ・グレイス――ルナとお呼びください」

「……それではルナさん。貴方の用件だけは伺いましょう」


 私の言葉をきっかけにルナは説明を再開した。


「岩古奈博士は、たくさんの転生ポイントを貯めておられます」

「……でも、そもそも転生という概念そのものが非科学的ですね」

「非科学的、ですか。でも、岩古奈博士。世界の理は現在までに解明されている自然科学だけではないのですよ」

「いえ、私にとっては自然科学こそが全て。科学の他には認めたくありません」


 ルナは哀しく憂いに満ちた表情で黄金色のノートをもう一度読み返している。なぜかは判らないが、彼女は本気で俺を心配しているようにも見えた。


「私、岩古奈博士ならば、あらゆる学問を習得して傑出した方になれると期待しておりました。それに貴方はその世界でしか……」


 何かを私に伝えかけていたルナは、ハッとして口をつぐんだ。そしてもう一度優しく微笑むと、私に祈るような表情で語りかけてきた。それはまるで、その世界にしか俺の幸せの場所はないと伝えているかのように。


「最後にもう一度だけお勧めさせてください、岩古奈博士。魔法も科学も存在するとある世界で両者を極めてみませんか? その世界で、きっとあなたの探し物が見つかるはずです」


 しかし彼女の期待と厚意を蹴るかのように、私はにべもなく宣言した。


「魔法がある世界? もしそんな所があるのなら、私は是非ともそこに行って非科学的なそれらを全て否定し、人々に科学技術のすばらしさ、優越性を伝えたいものですね」

「……判りました。そこまでおっしゃるならば仕方ありません」


 私はそのままコクリと深く頷いた。うん、これで何も問題はない。


「お望みなら、神クラスに近い特殊スキルも私の加護として付加いたしますが……」


 私は自分の望みを迷わずに伝えた。そう、私の望みは自分の目に映るあらゆる非科学的な物を否定することだと。そう、この世に神も悪魔もいない……いや必要ないのだから。


「そう……ですか。では本当に残念ですが、それを貴方の絶対スキルといたしましょう」


 私の記憶はルナの言葉を最後にそこで再び途切れている。そうか女神ルナ・グレイスだったのか。やることなすこと変だ変だとは思っていたが、そうか彼女だったんだな。





 俺が四歳の時だった。長く入院していたおふくろがようやく退院してきた。家に帰ってきたおふくろは俺を呼ぶと、膝に乗せて悲し気に告げたんだ。


「博士。ごめんなさいね、あなたに兄弟はもう生まれないの」

「えっ、どうして?」


 俺は日頃から兄弟が……いや、妹が欲しいとおふくろにねだっていた。そしておふくろも、それを笑って聞いてくれていた。それなのに……。


「ごめんね、博士。手術して、もう子供が産めなくなってしまったから」

「嫌だ! そんなの嫌だ!」


 子供だった俺は、おふくろの気持ちも考えずに大きな声で泣いて騒いだ。


 ――大好きだよ、お兄ちゃん――


 幼い俺の頭に浮かんできたのは俺への愛が込められた言葉。一通り泣いて騒ぐと、幼い俺はそのまま疲れて寝てしまったらしい。

 俺が目を覚ますともう夜になっていた。掛けられていた温かい毛布をどけると、窓から星空を眺めた。今日は滅多に見られない流星群が降っている。幼い頃から少しずつ科学科学と言い始めていた俺だが、傷心のこの日に限ってはロマンチックな気持ちになっていた。


「神さま、ボクに妹をください」


 まだ小さかった俺は一心不乱に妹ができることを願った。夜半過ぎまで祈っていたが、いつの間にか寝落ちしている自分に気が付いたんだ。ふと横を見ると、小さな女の子が俺の傍らで眠っている。本当に愛らしい子供だった。天使みたいと言うと非科学的で悔しいが、そうとしか形容できないほど可愛い。科学的でも合理的でもなくてもいいや、妹ができるのなら。


「……セツリ……」


 俺は頭に浮かんだ名前で小さな女の子呼びかけた。それが俺と摂理の本当の出会いだった。俺が誰よりも何よりも小さな摂理を愛したことは言うまでもない。そして俺はこの夜の出来事を少しずつ忘れていった。





 子供のころから科学一辺倒で他を顧みなかった俺は、明らかに周囲の子供たちから浮き上がっていた。それに加えて、俺が非科学的だと否定すると、なぜだか魔法が使えなくなるという噂がいつの間にか広まり、俺は傍から奇異の目で見られるようになっていた。そんな俺を唯一癒してくれたのが妹の摂理だった。


 ――大好きだよ、お兄ちゃん――


 いつでもどこでも俺の後を追いかけてきた小さな妹……限りなく俺を愛してくれた小さな妹――摂理が可愛くない訳がなかった。科学では決して埋めることができなかった俺の空しさを、心の隙間を温かい思いで満たしてくれたのは、温かく曇りのない摂理の笑顔だった。何に代えてもこの幸せを、摂理がいる幸せを護りたいと俺は心の底から思っていた。そして、それは今でも決して変わらなかったのに……。

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