生徒会からの嫌がらせに疲れた俺が学校から帰ろうとすると、帰路にまたしてもこんな表示があった。
――ドラゴン注意! 危険につき通行止め! ――
またか……。まったく何の冗談なんだ? 俺は早く帰って摂理の可愛い顔が見たいのに。
「やれやれ、面倒くさい」
俺は今回も通行止めの標識を無視することにした。迷わずに張り巡らされたロープを潜る。非科学的かつ非合理的なものは無視して、俺は道を急ぐことにした。
しかし、俺の行く手を塞ぐ大勢の男たちが現れた。ああ、この迷彩服は自衛隊の隊員だな。ご苦労なことだ。彼らは必死の形相で俺を追い返そうとした。
「君! 通行止めと書いてあったろう? 危険なんだ。すぐ引き返しなさい!」
「俺、早く帰りたいんです。自衛隊の皆さん、何で通ってはいけないんですか?」
「またしてもドラゴンが出現したんだ。我々、退魔自衛隊が出動したということは、警察レベルでは手に負えない事件が起きたということだ」
俺は自衛官たちをマジマジと見つめた。フウと大きな溜息をつくと、脳内で非科学的な部分をすぐ削除する。
「ドラゴン? そんな非科学的な」
俺に向けて、自衛官の一人が空を指して叫んだ。何だか判らないが、大空で何か大きな物が燃えているように見えるが……。
「見てみろ、君。あれはファイアードラゴンだ! 炎を纏った飛行する竜で、その火力は街を一つ焼き尽くすこともあるという……」
俺はその姿をチラリと見て興味を失った。実につまらない。
「お笑いですね。俺は非科学的な事は認めない。生物があれほどの炎に包まれたなら、科学的に推算して三十秒で炭になりますから」
三十秒後、ファイアードラゴンとやらは空中で炭となっていた。
――ドーンッ! ――
一瞬後、大きな炭の塊が大地に振ってきた。意外な展開に呆然とする退魔自衛隊隊員たち。うん、実に結構なことだ。これは科学的かつ合理的な結果だ。さてと俺は帰るとするか。
「じゃ、急いでいるから俺は帰りますんで」
引きつった顔をしている自衛隊員たちに別れを告げると、俺は摂理の待つ自宅へと急いだ。俺はトカゲの消し炭には全く興味がないからな。
俺は学校から真直ぐ家に帰った。摂理の愛らしい笑顔が待っているかと思うと、どこか寄り道する気になどなれない。玄関ではいつものように、妹が笑顔で俺の帰りを待っていた。
「お帰りなさい、お兄ちゃん。」
「ただいま、摂理」
摂理の笑顔を見ていると俺はいつでも心が落ち着く。誰にシスコンと言われても、俺は全く気にしない。ただし摂理がブラコンと笑われるのは、正直な話、俺は少し気に入らないが。
しかし、今日に限っては妹の様子が少しだけ変だった。何となくだが、摂理がそわそわしているように見えるが。
「あの……」
俺に話しかけてきたものの、摂理は少し言い澱んでいた。妹の瞳には僅かながら不安の色が混ざっている気がする。俺はその様子が気になって妹に問い正した。
「どうかしたのか? 学校で何か虐めでもあったのか?」
俺を良く思わない連中が、腹いせとして摂理に嫌がらせをしたのだろうか? もしそうならば絶対にそいつらには後悔させてやる。……しかし、俺の質問に妹は首を左右に振ったんだ。どうやらそういう話ではないらしい。
「あの、お兄ちゃん。彼女……美神さんだっけ……セツリのこと、何か言ってなかった?」
それは俺にとって意外な質問だった。今まで摂理は他人の評価など気にしたことがなかったからだ。誰に何を言われても、いつでも俺の傍にいてくれたのに。
「うん。とっても可愛い妹さんね、と褒めてくれたぞ」
俺は満面の笑顔でそう伝えた。摂理が誰かに褒められると俺は自分のことを褒められた以上に嬉しくなる。うんうん、摂理は可愛いし、綺麗だし、清楚だし、素直だし、正直だし……愛すべき俺の天使だ。たとえ非科学的であったとしても、やはり摂理には天使と言う言葉こそが相応しい。この後どんなことがあったとしても、俺は絶対に妹を誰にも渡したくない。
「そっか……何も言わなかったのね」
「いや、だから摂理のことを可愛いって褒めていたって言っただろ? それとも美神さんは、摂理のことで俺に何か話すことがあったのか?」
「えっ? ううん、特になければ別にいい話なの」
そう答えると、摂理は普段通りの笑顔に戻って俺の世話をあれこれと焼き始めた。俺たちの両親が二年前に海外赴任して以来、まるで摂理は俺の世話女房のようだ。家の中も外も、両親と暮らしていた時以上に清潔で綺麗だし、住み心地が最高だ。それに俺は、この愛すべき妹に世話される一時が何よりも楽しかったのだから。
次の日、特筆すべきことは何も起きなかった。少なくとも放課後に至るまでは。もちろん、通学路で日常的に現れる大きくて奇妙なトカゲは数には入れていない。それから相変わらず俺に絡んでくる輩もカウントから外している。奴らはいつものように科学的かつ合理的に現実を親切に教えてやったら、全員裸足で逃げて行った。
うん、そもそも魔法なんて非科学的なものはこの世には存在しないのだ。魔法なんて存在自体が科学的でもなければ合理的でもないと、いつも奴らには教えているのに、全く進歩がないんだよな。学習しないことサルの如しだ。いや、そんなことを言ったらサルに失礼か。
俺はやれやれと肩を竦めると、古呪術研究会の部室へと入った。
「あら、遅かったのですね」
美神が眩しい笑顔で語りかけてきた。ふと部室を見渡すと部屋中に散らかっていたアイテムや呪符がきちんと整理整頓されていた。戸棚のあちこちに積もっていた塵や埃も、もはや全く見られない。
「へぇ、美神さんが片付けたのか」
「一人で待っているのも暇でしたから」
僅かな時間で正確無比な断捨離を行った美神は極めて有能な人材である。しかも彼女は綺麗好きだ。不精な仙道がエントロピーの如く散らかしたこの混沌カオスな空間を何とか修正できるのは、どう考えても彼女以外にあり得ない。そんな美神に、この俺が珍しく異性に対して少なからぬ関心を持ったとしても不思議はあるまい、もちろん不動の一位、最愛の摂理は別挌としての話なのだが。
「それにしても仙道はどうしたんだろう? 俺より先に教室を出たはずなのに」
「仙道くんなら生徒会に呼び出されて出かけましたけど」
「生徒会?」
何だか嫌な予感がする。いや、予感と言うのも非科学的だな。過去の事象から統計的に推計した未来予測に関する不確定要素を含む認知と定義することにしよう。先日、マリカのヤツが何か良からぬことを企んでいたようだしな。
「きっと魔法対抗戦についての説明だと思います」
「美神さん、その魔法と言う言葉を使うのはどうかな。魔法なんて非科学的なモノ、この世に存在しないのだから」
俺のその台詞を聞いた美神は、なぜかすぐには言葉を返してこなかった。
「……森羅くんは、いつもそう言いますね」
やがて美神は少し哀し気に微笑むと、ゆっくりとした口調で俺に語りかけてきた。うーん、この憂いの表情、前にどこかで見たことがあるような気がして仕方ないのだが。
「科学――これこそが俺の全てだから。これだけは決して譲れないな」
「本当に、そうでしょうか?」
どういう意味だ? 俺にとって、この世に科学以上に大切な物があるとすれば、それは妹の摂理だけだ。そう、俺にはこの世に摂理より大切なものはない。
――大好きだよ、お兄ちゃん――
一瞬、聞いたことがあるような声が俺の脳裏を過った。この言葉――いったい何なんだ? 俺は首を左右に振ると、美神に質問の真意を尋ねようと口を開きかけた。