否定能力の否定? 仙道はそう言ったようだが、俺にはその意味が判らない。そもそも魔法なんて非科学的なモノは、俺が否定しようがしまいがこの世に存在しないのだ。それとも仙道の奴は、美神には存在しないモノを存在させる能力があると言いたいのか?
「美神さんは、どうしてその石を拾ったのかな、と」
摂理の大切な『石』を見つけてくれた美神に、仙道が素直に理由を尋ねた。
「えっ? 何となくこれかなと思っただけですけれど」
美神は屈託のない笑顔で答えた。確かに偶然見つける可能性はゼロではない。たとえそれが一兆分の一でも、ゼロと比較すれば遥かに大きい。……しかし……
「……偶然……そう、科学的に考えて今のは偶然にすぎない」
発生確率を計算してみると何だか頭がくらくらしてくるが、それ以外に科学的かつ合理的な説明はできなかった。俺がブツブツと独り言をつぶやいていると、摂理が心配そうに俺の顔を傍らから覗き込んでいることに気が付いた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
摂理が優しくそっと問い掛けてきた。妹の温かい指が俺に触れる。兄の俺を心配する摂理の気持ちは、アイデンティティが揺らぎかけていた俺の心を直ぐに立ち直らせてくれた。
「うん、科学的に見ても大丈夫だ、摂理。心配かけてすまない。……大切な石が見つかって、本当に良かったな」
俺は努めて冷静に考えた。そうだ、今一番大切なのは事象の発生確率の妥当性じゃなくて、摂理が笑顔でいることなのだ。それに確率は極端に低いとしても、何ら非科学的なことはここに存在しない。美神だって自分は魔法を使わないと明言したじゃないか。ならば科学的に考えて、俺が問題にすることは何もないはずだ。
「いつも森羅くんは科学的って言いますけど……それ、口癖なのですか?」
突然、美神が俺に直に問い掛けてきた。ポリシーを口に出そうとした俺に変わって、仙道が横から口を挟んで説明する。
「博士はくしは6歳の潜在能力検査でとんでもない数値を出して以来、ガチガチの自然科学の信奉者になったんだな、と。コイツ、超常現象を一切認めないんだな、と」
俺が科学信奉者になったキッカケは、確かにあの潜在能力テストだった。テストでマイナスにゲージを振り切った途端、周り中から受けた妙な視線に、冷たい反応に、まだ子供だった俺がどれほど傷付いたと思うんだ。今、思い出しただけでもムカついてくる。
俺を偏屈な人間と決めつける仙道に、俺は真っ向から反論した。
「それは違うぞ、仙道。認めていないんじゃない。事実として、俺は非科学的な現象を未だに見たことがないのだからな」
そう、俺の人生に非科学的なモノは存在しなかった。少なくとも俺の目に非科学的なモノが映ることはなかったと、今も自信をもって言えるのだ。
「そうですか。……やはり今回も森羅くんは、自分が非科学的と思うモノを一切認めない人になってしまったのですね」
「今回も?」
美神の言葉が気になって俺は聞き返した。しかし彼女は、俺の問うた疑問には答えてはくれなかった。その代わりに俺の顔を見ながら、その美しい顔に微かに悲し気な表情を浮かべた。うーん……何となくだが、この憂いに満ちた表情も、かつてどこかで見たような気もするのだが……。しかし今の俺にはそれを科学的に説明することが困難だったのだ。
「……ところで、お兄ちゃん。この人、何方?」
突然、今まで大切な石を見つけてくれた美神を感謝の気持ちで見つめていた摂理が、何か重要な事に気付いたかのように真顔になって、俺に尋ねてきた。言われてみれば、摂理にはまだ美神を紹介していなかったな。
「摂理にも紹介するよ。この人は今日転校してきた美神愛月さんだ」
「えっ、この学校に転校生? ……セツリ、とても信じられない」
「そう言われてもなぁ。きっと検査の時にたまたま機器にエラーが生じて、選抜に漏れたんだろうな」
この説明はあくまで俺の憶測にすぎないが、可能性としてはこれしか考えられない。だからそう摂理に伝えても問題はあるまい。しかし摂理は俺の説明に全く納得できないという表情で聞き返してきた。何で摂理が美神を警戒しているのかは判らないが、妹は俺の背に隠れると、俺の袖口を両手でギュッと強く掴んでいる。どうしたんだ、摂理は?
「機械のエラーなの? 本当に?」
摂理は俺の答えに明らかに疑問を感じているようだった。確かに気持ちは判らないでもない。能力有無の判定検査は、決して漏れがない様に3種類の機器を使って厳重に実施されていたからだ。3種全ての機器で判定エラーが生じる可能性は極めて低い。そもそもポテンシャル測定で初めて自分に隠された力があることを知る子供がほとんどなのである。だから少し説得力に欠けるかもしれないが、俺は妹にいつもの持論を展開することにした
「摂理。量子力学的に考えれば、あらゆる事象に揺らぎは存在する。したがってどんなに精緻な機器でもエラーは排除できないものなのだ」
科学に裏付けされた俺の持論を聞くと、大体の人間はそのまま黙ってしまう。しかしこの時の摂理だけは違っていた。非科学的に思えるが、妹は美神を警戒している……見方によっては怯えている様に見えなくもない。その一方で、美神は摂理のことが気に入ったのか、妹の顔を見つめながらニコニコと天使のように微笑んでいた。もとい、天使は非科学的だから台詞から削除だ。……それにしても摂理がこの様子では、今後、美神に対して俺がどう対応するべきか少し判断が難しくなってしまったな。
「……お兄ちゃん。お兄ちゃんが大好きな統計科学で考えて、今の出来事、単なる偶然として納得できるの?」
摂理が痛い所を突いてくる。うーん、俺に似て摂理は本当に賢いからな。可愛い上に賢い……本当に俺の宝物だ。それはともかくとして、確率が極めて低いと言っても可能性がゼロではない。発生した事象は事実として認めるべきだと思うのだが。
「まあ、実際に起きた事実を否定しても仕方がないからね」
まだ美神への警戒を解いていない様子の摂理に、俺は淡々とした口調で語った。仮に美神が潜在能力の検査に漏れていたことが偶然ではないとしても、妹にとってその何が問題なのかが俺には判らなかった。それに今は情報不足で的確な判断が難しい。そこで俺は無難な行動として、この場から美神を連れて早々に立ち去ることを選んだのである。
「俺たち、美神さんに校内を案内している途中なんだ。だから摂理、そろそろ行くよ」
「昼休みは短いからな、と」
何かを俺に伝えようとして口を開きかける摂理。しかし、それを言葉に変える直前に思い留まったみたいだった。何だか妹の態度が少し気になる。やはり俺はここに残るべきだろうか? 迷いを見せる俺を目の前にして、美神が妹に優しく言葉を掛けた。
「大丈夫ですよ、摂理ちゃん。後でまたゆっくりとお話ししましょうね」
何がどう大丈夫なのか、俺には全く判らないぞ。しかし摂理は、美神の言葉にビクッと反応しながらもコクリと頷いていた。もしかして今、震えていないかったか、摂理は?
「摂理、もしかして気分が悪いんじゃないのか? それなら俺が残って……」
「ううん、セツリは大丈夫。だから構わずに行って、お兄ちゃん」
妹の様子が気になって、俺は強く後ろ髪を引かれていた。しかし摂理が俺の背をドンと強く押すので、渋々だがその場から離れることにした。悲しいことにこの場に残ることを妹に拒絶された俺は、仕方なく当初の予定通りに生徒会や委員会、各部が集まる第二校舎へと足を向けたのである。
古呪術研究会の部室は第二校舎の片隅にある小部屋だった。仙道が先に入って美神を招く。傍から見れば、そこは古書や古文書を幾重にも積み重ねた倉庫か納戸のように見えるだろう。特有の埃臭さが俺の鼻につく。この乱雑な様子を見る度に、いつも俺は仙道に文句を言わずにはいられなかった。
「おい、本は読めるうちに中身をデジタル化しておいたらどうなんだ?」
しかし俺の合理的な提案を仙道はいつもスルーする。
「本だからいいんだな、と。ファイル化なんて味気ないとは思わないかな、と」
「思わないね。相変わらず仙道の考え方は非科学的かつ不合理だ。俺は正直呆れている」
俺と仙道がいつものやり取りをしている間、美神は部室を隅々まで興味深げに眺めていた。やがて彼女は独り言のように呟いた。
「……古呪術研究会、とても冷遇されてきたのですね」
正解だった。いや美神でなくても、壊れかけた古い机や今にも段が落ちそうな書棚を見れば、当研究会が活動資金に窮していることが判るだろう。
「活動費、全然出ないからな、と」
「契御主学園ではメンバーが三人以上いないと正式な研究会になれないんだ」
俺と仙道が今の状況を交互に説明した。去年までは四人いた研究会メンバーも、三年の卒業で仙道一人になってしまった。今は俺が加わって二人になったが、それでも人数が足りない。二人しか会員がいないこの研究会は、今や廃止対象の筆頭候補だったのだ。文字通り、研究会は存亡の危機にあった。
「部員数が少ない研究会はここだけじゃないが、あちらは厚遇されているんだな、と」
そう、会員数が二人以下のレアな魔法の研究会はここだけではなかった。しかし、それらが廃止対象に挙げられているとは聞いたことがない。それどころか過分な予算も与えられている所もあると聞く。
「ずいぶん不公平な扱いなのですね」
「美神さんもそう思うだろ?」
おそらくは古呪術を魔法の体系に帰属させることに大きく反発する仙道を、生徒会は決して快く思っていなかったのだろう。それに加えて魔法を否定する俺が在籍しているのだ。意地でも潰してやりたいと思っているのに違いない。なにしろ魔法至上主義者のマリカが生徒会長を務めているのだから。俺としては、魔法も古呪術も五十歩百歩……どちらも非科学的だと考えているけどな。しかしその数に任せて少数派である仙道を弾圧しているところが、俺としては気に食わなかったのだ。
「これは科学的でもなければ、合理的でもないよな」
しかし、断定的に語った俺の言葉を、背後で即座に否定する者が現れた。
「そうかしら? ワタシは合理的判断だと思うけど」
突然開けられたドアからズカズカと部室に入ってきたのは蒼い目をした金髪の美少女――もちろんそれは生徒会長マリカ・W・ウィナーその人だったのだ。