自分は魔法を使わない――美神の言葉は俺の心に大きく響いた。何と科学的で合理的な言葉なのだろう。それが本当ならば俺と美神とは良い友達になれるかもしれない。しかし、彼女の言葉を偶然耳にしたマリカは、そうは思わなかったようだ。
「何ですって?」
マリカは大声を張り上げると、席から立ち上がった。しかし衆目を浴びたことに気付いて、顔を赤らめながら椅子に座り直す。黒間がわざとらしく咳ばらいをしてみせた。
「今は休憩時間ではないのだよ、マリカくん」
「……すみません、先生」
「判ればよろしい。では、世界史の授業を続けよう」
そして黒間はつまらない授業を再開した。話を聞いていると次第に眠くなってくる。睡魔と言うと実に非科学的で嫌なのだが、科学信奉者の俺ですら本当に睡魔が存在するのではないかと疑いたくなるほどだ。そんなことを考えながら必死に眠気に耐えていると、仙道の奴が再び俺の背中を突いて、一枚のメモを渡してきた。
――美神さんに、昼休みに学校を案内すると言ってくれ。
俺には仙道の魂胆が見えていた。自分が主催するクラブに彼女を誘うつもりなのだ。しかしそれは悪くない考えかもしれない。俺はその伝言メモを、目立たないようにそっと美神の机に置いた。彼女からの返事は聞かなくても判った。美神の顔に浮かんだ眩しい笑顔が、言葉以上に全てを物語っていたからだ。……だけど、俺には何となく気になるんだよな、美神の眩しいこの笑顔が。
待ちに待った昼休み、俺と仙道は美神をエスコートして、学園内の施設を案内して回ることになった。出かける前にマリカと一悶着あったが、他ならぬ美神自身が自分の希望だと伝えてくれたことで、俺たちは彼女の案内役となることができたのだ。一通り学園内を案内すると、仙道は自分が主催するクラブ――古呪術研究会の部室に彼女を案内したいとさりげなく申し出たんだ。
「もし興味があればだが、部室に見学に来てくれると嬉しいな、と」
仙道は、顔に浮かんだ照れを隠さずに美神を部室に誘った。誰もが振り返るような美少女の美神を誘うのは、いかに修験者のように厳つい仙道でも心理的な壁があるらしい。
「古呪術研究会……ですか。今、部員は何人なのでしょうか」
「二人だけなんだ。今や存続の危機にある、と」
そう、古呪術研究会の会長は仙道、そして唯一の会員は俺なのだ。それを聞いた美神は部室の見学を快く承知してくれた。どうやら彼女は人の好い性格らしい。魔法を使わないうえに、人が好い……警戒心を解かれた俺は、隣を歩く美少女への好意が一入強くなるのを感じていた。そんな時である、校庭の片隅で探し物をする摂理に出会ったのは。
「どうしたんだ、摂理? 何か失くしたのか?」
思わず俺は妹に問いかけた。声を掛けられた摂理はハッとして俺たちを振り向く。可愛い顔に隠せない当惑が浮かんでいた。
「あっ、お兄ちゃん。実はセツリ、大切な『石』を落としちゃって」
摂理が『石』と言ったのモノは、正確には『
「それは困ったことになったな、と」
仙道が周囲を見てつぶやいた。摂理が立っていた場所が加工前の『魔晃石』の集積保管場所であることに気付いたからだ。この場所で自分の『魔晃石』を探し出すことは、砂漠の中から特別な一粒を探し出すのに等しい。困り果てた妹は、俺の前で魔法を使っても探したいと言い出した。
「摂理、魔法なんて非科学的なものは存在しないんだ。残念だが諦めるしかない。偶然にここから特別な『石』を探し当てるのは、確率的に無理だから」
妹は俺が非科学的だと断言したことは決して起きないことを知っている。俺の言葉を聞いて、泣きそうな表情でその細い肩を落としている。よほど大切な石だったらしい。こんな摂理の顔を見るのは兄として本当につらい。本当に科学を恨みたくなるくらいに。
「……でも、確率はゼロじゃないんでしょう?」
美神はそう言うと足元の『石』を一つ拾った。そして、それを掌に載せて摂理に差し出す。刹那、妹の表情がパッと輝いた。
「あっ、これです! これがセツリの探し物なの! お兄ちゃんから貰った大切な『石』。見つけてくれて本当にありがとう」
何と美神がさりげなく拾った『石』が摂理の探し物だったのだ。偶然としか言いようがない。しかし、その確率を計算した俺は思わず心の声を口から出してしまった。
「……そんなバカな……」
事実を否定しても仕方がない。確率的には限りなくゼロに近いが、非科学的と言い切れない。しかし、これは……まさかこんなことが起きるとは。
「良かったわね、摂理ちゃん」
美神はそう言いながらニッコリと摂理に微笑んで見せた。相変わらず眩しいばかりの笑顔である。後から考えてみると、俺が美神に違和感を感じたのはこの時が初めてだったのかもしれないな。微笑む美神を見つめながら、仙道が独り言のようにボソリとつぶやいた。
「……もしかして、美神さんの能力は否定能力の否定かな、と」
否定能力の否定だって? 確かに俺は非科学的なモノは否定することを是としている。しかしだな、俺が否定したからと言って、物事が変わるとは思っていないぞ。
「何だそれ?」
俺は心の声をそのまま声に出した。虫の予感と呼ばれる根拠のない未来予測は非科学的だ。しかしこの時、仙道の言葉を耳にした俺は、いつの日かこの美神が『科学第一主義』という俺の鋼のポリシーに立ちはだかるような気がして仕方がなかったんだ。