――ドラゴン注意! 危険につき通行止め! ――
何だ、これは? この忙しい時に何の冗談だ? 俺は急いで時刻を確かめた。あと十五分で校門をくぐらないと今学期で三回目の遅刻になる。嫌なペナルティが課せられてしまう。
「えーい、迷っている暇はない!」
俺は通行止めの標識を無視することにした。張り巡らされたロープを潜り、高校に向かって足を速めた。俺の名前は
……だいたいド田舎の山道で熊が出るというのならまだ判るが、都会のど真ん中の通学路に何でドラゴンが出るんだ。なんて非科学的かつ非合理的な標識だ。俺はそんなバカげたものは無視して、道を急ぐことにした。
しかし本当に急いでいるにも関わらず、俺の通学を妨害しようとする輩が大勢現れた。うん、見慣れたこの迷彩服には何となく心当たりがあるな。もしかして、また自衛隊の隊員じゃないのか。この先に何か都合が悪い事でもあるのか、彼らは必死の形相で俺をここから追い返そうとしていた。
「君、君! 通行止めと書いてあったろう? 危険だから、すぐ引き返しなさい!」
どこにでもいる一介の高校生にしか見えない俺に、自衛隊員からの退去勧告がなされる。
「先を急いでるんです。自衛隊の皆さんですよね? 何で通ってはいけないんですか?」
「だから、ドラゴンが出現したんだ。我々、退魔自衛隊が出動したと言うことは、警察レベルでは手に負えない大きな事件が起きたということだ」
俺は眉を上げてその自衛官たちをマジマジと見た。そしてフウッと大きな溜息をつく。脳内で退魔なんていう非科学的な名前の一部を削除しながら。
「ドラゴン? そんな非科学的な生き物が出現するって言うんですか?」
呑気にも聞こえる俺の言葉に、自衛官の一人が上空を指して叫んだ。見ればフィクションでよく登場する龍に似た変な物が大空を飛んでいるような気もするが……。
「見てみろ、君。あれがスカイドラゴンだ! 飛行する竜では最大級で、翼長、体長共に30m以上あり……」
俺はその姿をチラリと見て興味を失った。そして抑揚ない言葉でつぶやく。
「バカバカしい。航空力学的に考えて、あんなものが空を飛べるはずがありません。俺は非科学的なことは認めない」
俺がそう語ると同時に、スカイドラゴンと呼ばれた変な物は目前で失速した。バタバタ翼を動かしているが、それでは浮力が足りないはずだ。
――ドーンッ! ――
一瞬後、大音響と共に地面に所謂スカイドラゴンの身体がめり込んでいた。そしてそのまま果てたらしい。突然起きた意外な展開にポカンとする自衛隊員たち。
しかし、すぐに自衛隊員たちには緊張が戻った。現れた別のアンノウンを目前にして、リーダーが全員に警戒を促すように大声で叫ぶ。
「スノウドラゴンが出現したぞ! 気を付けろ! アイツは全身が雪でできている恐ろしい氷結系ドラゴンで……」
俺はその純白の巨体をサラリと目測すると頭の中で強度計算をした。そして独り言のようにつぶやいた。
「それはない。もし身体が雪でできているなら、あの形状とサイズなら構造力学的に崩れ落ちるはずです。俺は非科学的なことは認めない」
――ズズズズッ ――
次の瞬間、アンノウンの身体はずり落ちるような音をたてて崩れ落ちていった。当然の結果だな。しかし自衛隊員たちは目前の出来事に唖然としている。死力を尽くして戦う決意をしてきたのに、戦うべき相手が次々と勝手にいなくなっていくからだ。
うん、実に結構、結構。科学的かつ合理的な結果だな。さてと俺は道を急ぐか。
そう考えていた矢先に、自衛隊員たちは別のアンノウンを指さした。そしておののくように叫んだ。その顔は蒼白で、どう見ても引きつっているみたいだが。
「まっ……まさか、最強の竜、ブラックドラゴンまで」
「ブラックドラゴン? あの少し成長しすぎた黒トカゲのことですか?」
チラリとアンノウンを見て俺は眉を上げた。今まで見た爬虫類の中では最大級だが、たぶん突然変異をしたトカゲの一種だろう。無駄に牙や角が発達しているが、生物の進化の観点から見ると、この種は淘汰されてしかるべきだな。
「何を言っているんだ、君は! ブラックドラゴンと言えば、大いなる厄災として誰でも知っているだろう? その火炎のブレスは全てを焼き尽くし……」
この自衛隊員は何をファンタジーみたいなことを言っているんだ? 世界は常に科学的かつ合理的でなければならないのに。
「そんなことはありえません。生物学的に考えて動物に火は吐けない。俺は非科学的なことは認めない」
俺の目前でブラックドラゴンとか言われたアンノウンは息を吐いていたが、そのブレスでは何も起きはしなかった。驚くことはない、科学的には当然の結果だ。いくら大きくてもトカゲが炎を吐くなど、科学的にありえないことだからだ。
「……いったいこれはどういうことだ?」
次々と起きる意外な出来事に憮然としている自衛隊員。そのうちにまるでアンノウンの脅威を自分に納得させたいと思っているかのように、ブツブツ語り始めた。
「だが奴の皮膚は鋼より固く、我々退魔自衛隊の通常兵器では歯が立たないはずなのだ」
やれやれ、君たちは何と非科学的なことを言っているのだろう。そもそもこの育ちすぎたトカゲの退治が君たちの仕事ではなかったのかな?
「有機化学学的に考えて鋼より硬い皮膚などありえませんね。俺は非科学的なことは認めない。それを証明したいので、ちょっとそれを貸してくれませんか」
先を急いでいた俺は、自衛隊員の持っていたロケットランチャーを問答無用で借り受けると、それをブラックドラゴンとやらに向けてぶっ放した。
――ドッカーンッ! ――
もちろん標的のそれは粉々に砕け散った。それはそうだろう、仮に突然変異であろうとも、少しばかり大きなトカゲが近代科学兵器に太刀打ちできるはずがない。この科学的かつ合理的な結末を見て、俺は心から満足した。
「……そんなバカな……」
「皆さん、まず事実を認めること。それが科学の第一歩ですからね」
自分の目で見てもまだ信じられない成り行きに呆然とする自衛隊員を残して、俺はいつもの言葉を伝えると道を急ぐことにした。今の俺は、学校に遅刻するかしないかの方が大切な問題だったのだから。
チャイムとほぼ同時に、俺は校門をくぐった。今日も何とかギリギリでセーフ。良かった、もう少しで危うく非科学的な『転移魔法』とやらのレポートを書かされるところだった。この学校に通う生徒には遅刻はあり得ないなどとムチャクチャなことを言って、当然の様にこんなペナルティーがまかり通っている。何て理不尽なんだ。この俺はノンフィクションの現代科学のレポートは得意だが、ファンタジーの創作は苦手なのだ。地味に嫌なペナルティを回避できて本当に良かった。やれやれ。
「お兄ちゃん、遅いよ」
遅刻寸前に登校してきた俺に、一際目立つ美少女が声を掛けてきた。校門の所で俺を待っていた彼女を見て、思わず俺の顔が喜びにほころぶ。
「でも間に合っただろ?
彼女の名は
俺より後に家を出たはずの妹だが、なぜか俺より先に学校に着いている。事実なのだから、この際、合理性を疑わない。もちろん俺にとって科学的合理性は極めて大切だったが、摂理の幸せだけは全てに優先するのだから。
――お兄ちゃん、お兄ちゃん――
目を閉じると思い出す。幼い頃から俺の後ばかり追ってきた小さな妹……摂理。俺はそんな妹を誰よりも愛おしく思っていた。そして何よりも大切だった。
「どうしたの、そんなに私の顔を見つめて」
「いや……摂理はいつ見ても可愛いなって思って」
「やだなぁ、お兄ちゃん。皆にシスコンだと思われちゃうよ」
シスコンだって? その何処が悪い? そもそも生物学的に見れば、妹は自分と最も近しい遺伝子を有するのだ。そんな妹を大切に扱うことは、科学的に考えても合理的な行動のはずだ。だから兄であるこの俺が、妹に付きまとう誰とも判らぬ馬の骨を問答無用で排除することは、決して非科学的な行動ではない。そうとも合理的行動なのだ。
「いや、科学的合理性があるからシスコンはノープロブレムだよ」
それに百歩譲って科学的合理性がなくても、誰に何を言われようと、俺は誰よりも何よりも摂理が可愛いのだ。そして、それを公言することを止めるつもりなど俺には全くなかった。
「まーた、そんなこと言って。ダメだよ、お兄ちゃんたら。この前だって……」
しかし、呆れたような声で話す摂理の言葉は、不意に横から掛けられた俺への怒号によって途中で遮られた。
「森羅博士! この俺と勝負だ!」
どこか見たことがあるような男子生徒が一人、右手に妙な棒きれを一本持って、激しい怒りに燃えた瞳で俺を睨みつけていた。