私たちが生活する大陸は、ほとんどの国が多神教だ。
星座の数ほどの神々が天上の星となり、いつも人々を見守ってくれている……と伝えられている。
私が生活する王国、ウィンズストン王国は、王族を頂点とする絶対君主制国家。
王族は、太古の昔に善悪両面ある女神ランダから王権を授かったといわれている――『王権神授』だ。
貴族の序列は、上から順に大公、公爵、侯爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵。
王侯貴族の下に、商人や職人や農民といった平民がいる。
そんな階層社会の中で、私の家であるサマーワルス男爵家は、家柄的には『貴き一族(貴族)』の末席にいる。
由緒正しく貴い血筋なのだが、貧乏だ。
それも、単なる貧乏ではない。
ド貧乏だ。
しかも、生活費用以外に突発的な雑費が必要になったりすることが多い。
そのため、私はいつもお金に困っている。貧乏はつらいよ。
でも、前向きに生きていきたい。がんばろう。
「ただいま帰りました、お父様、お母様、エイミール、バロン!」
指輪が売れた私は、足取り軽く帰宅した。
「今日は、じゃがいもを買ってきましたよ……!」
手入れがされていなくて雑草が伸び放題の庭。ヒビが入った塀。空っぽの馬小屋。おんぼろのお屋敷。ああ、愛する我が家!
ここに、私の大切な家族が揃って住んでいる。
ピンク色の髪をした美少年エイミールは弟で、バロンは大きな黒い犬。
お父様とお母様は、質素な服装に身を包んでいて、二人揃って後天性の下がり眉だ。
前はもっと溌剌とした顔付きだったのに、貧乏生活で人相が変わってしまった。心が痛む。
二人の眉を上がり眉に戻してあげたい。
それが、私がひそかに抱いている野望だったりする。
「ロザリー。いつもすまないねえ。父様が情けないばかりに」
「お父様。それは言わない約束じゃないですかっ」
元気を出して、お父様。上がり眉になって。
「ロザリー。お母様、今日は刺繍をしたの。売れるかしら」
「お母様の刺繍は素敵ですもの。きっと売れますっ!」
お母様の刺繍が売れますように。上がり眉になって。
この家の始祖は功績を多く挙げた騎士で、一族は剣の腕は誇るが領地経営や商売のセンスがあると言われた祖先がいない。
剣は本当に体格とか筋力とか関係なしに巧みに操れるので、「たくさんいる神様の中のどなたかが一族に加護をくださっているに違いない」なんて囁かれてるんだけど。
ひとことで言うと脳筋一族……とは、親族でコソコソと「俺たちってこうだよな」と囁いている事実である。
そんなわけで、代々のサマーワルス男爵は赤字を計上し続けている。
赤字のバトンリレーは「あわわ。借金がこんなにあるよ。俺の代では潰れずに済んだけどこのままだとヤバイぞ。次の当主、なんとかしてくれー」という無茶振りのリレーでもあった。
当主とは罰ゲームのようなものだ。
当代の当主である父も、現在進行形で苦労している。上がり眉になって。
「また事業に失敗した……。なんとかしないといけないのに、自分が情けないよ」
「あなた。家庭教師の求人がありましたの。わたくし、働きますわ」
領地経営に苦労した末に没収された父と、内職したり外で働こうとする母。
二人はとても善良で、子供たちに愛情をたっぷり注いでくれている。
しかし、メイクマネーの才能は、ない。
現在、男爵家は領地もなく、使用人を雇う余裕もなくして、おんぼろの家で身を寄せ合って暮らしている。
「ごほっ、ごほっ、……お姉様。騎士就任おめでとう……ぼくも匿名で書いたポエムが有閑貴族マダムに買ってもらえたよ。『金がない。ああ、金がない。金がない。ぼくは12歳』……お屋敷に招待もしてもらえたよ。お金くれるかな?」
病弱な弟エイミールは、12歳。
ピンク髪に水色の眼で少女のように可愛らしいサマーワルス男爵家の後継ぎだが、咳をしながら蒼白い顔で金策を頑張っている姿は、なんとも弱々しい。
「エイミール。お屋敷のご招待は断りなさい。貞操が危いと思うの。絶対狙われてる……っ」
弟を招待した有閑貴族マダムは、ショタコンで有名だ。
ちょうど今夜、男性を襲う強姦魔に出くわしただけに、弟が襲われるところを想像してしまう。
だめ、絶対。この子は私が守ってみせる。
「でもお姉様。この金策本に『なりふり構わず、金になるものはなんでも売りなさい』って書いてるよ」
「エイミール! なんてことを言うの。貞操は全力で大事にして……っ」
「貞操よりお金だよ。お金がないとご飯が食べられないし、家もなくなっちゃう。最後は泥水が流れる川の近くで震えながら死ぬんだ」
「エイミール、現実に戻って来て。悲観してはだめっ。お姉様がご飯をいっぱい食べさせてあげるからっ」
お母様はお料理が下手で、貴重な食材をいつも黒焦げにしてしまう。向き不向きはあるので、仕方ない。
なので、夕食は私が作る。
以前はお抱え料理人が腕を奮っていた厨房は、帰宅してから料理しながら家族と語り合う場所として機能している。
「私がお金を稼ぎたいと言ったら、新人仲間の騎士が警備のお仕事を譲ってくれたのよ。親切な同期がいて助かるわ。私のために靴下を脱いで『これも売っていいぞ』とくれたのです。売れるのかしらって思ったけど、売れたわ」
「姉さん。その同期の騎士さん、なんか気持ち悪くない?」
エイミールと母は私と一緒にじゃがいもの皮をむき、父は食堂のお掃除だ。犬のバロンは廊下にいる。害虫駆除という崇高な任務のためだ。
「そうそう、それと、警備のお仕事中にお手柄を上げたんですよ。薔薇園で……殿方が殿方に襲われていたんです――」
「まあ!」
強姦未遂に出くわしたことを言うと、お母様が目をギラリとさせた。
母は、殿方同士の恋愛物語を愛好しているのだ。ちなみに、目はギラギラしてるのに眉は下がり眉である。
「あの、喜ぶような事件ではないのです、お母様。合意がなくて。未遂で済んだのでよかったのですが、そのおかげで偉いお方に褒めてもらえたんです……という経緯を説明しようとしたんです」
じゃがいもを鍋に入れ、ぐつぐつと煮る時間になると、食事の期待にお腹がきゅうきゅうと鳴き始めた。
私はじゃがいもが好きだ。入手しやすくて、栄養があって、ほくほくしていて美味しいから。
土が少し付いている皮なんて、愛おしくなる。大好きだ。
「悪漢から被害者を助けたら、大金をくれました! あの方のおかげで、じゃがいもと……お塩が手に入りました!」
武勇伝を語りながら、私は紫色の小瓶を取り出した。
そして、家族の視線からじゃがいもの皿を隠すように体を移動した。
全員の皿に振りかけるふりをして、弟のじゃがいもにだけ紫色の小瓶の中身を垂らした。
これは、単なるスパイスではない。
100万金貨もする。
材料が希少で調合も至難らしく、たまたま在庫があったものの、手が出せずにいた――ああ、買えてよかった。
この
それは、今朝、私が知った危機だった。
実は、私には異能がある。未来が見える能力だ。
自分で見ようと思って見ることはできず、知り得た未来を、他人に話すこともできない。
ただ、ふっと未来の光景が突然見えて、消える。
それも、近くにいる誰かが、もうすぐ不幸になる、という未来だ。
「どのようにすれば回避できるか」のイメージもセットで見える。
この異能で、私は過去、何度も他者の悲劇を防いできた。
「エイミール。味見してくれるかしら?」
「お姉様。なんか、ちょっとぬめっとしてない?」
「気のせいよ!」
弟はじゃがいもを食べてくれた。どきどきしながら、顔色を見守る。
「味は普通に美味しいよ」
ひとくち、ふたくち、エイミールがじゃがいもを平らげていく。
これで弟の命は繋がった……はずだ。
ああ……よかった。
「よかった!」
思わず弟を抱きしめる。
弟、エイミールは痩せていて――パッと視界に何かが閃く。
あっ、異能だ。
今現在、腕の中にいる小柄な弟。この子が、ベッドにいる。
落ちくぼんだ目。こけた頬。蝋のような肌。苦しそうに上下する肩と胸。
涙があふれて、瞼が下りる。
……死のイメージだ。
「やだ。またなの……っ?」
「ど、どうしたの、お姉様?」
『お姉様。迷惑ばかりかけて、ごめんね……っ』
弟は、何もしないでいると、流行病に罹って死んでしまう。
私は、その未来を理解した。
ショックを受ける私の耳に、別の声も聞こえる。
知らない他人の声。
今ではない、未来の私が聞く予定の、誰かの声だ。
『流行病の特効薬ができたぞ! 今まで捨てていたじゃがいもの芽をすりつぶして、既存の治療薬に加えて煮込むだけでいいらしい。薬ができてよかった! 多くの命が救われるだろう!』
弟が死んだ後、流行病の特効薬が開発されるんだ。
未来の光景は、止まらない。
もう見たくないと心が悲鳴を上げているのに、どんどんと流れていく。
破滅の未来を、見せられる。
『ごめんなさい。私はもう、生きるのが辛くなりました』
もともと男爵家の窮乏に心を痛めていた母が絶望し、自害する。
『ロザリー! こんな現実とおさらばしよう。生きていても、いいことなんて何もない』
恐ろしい形相の父親が心中を迫ってくる。
そんな風にして、サマーワルス男爵家は滅亡する……。
ひいん――終わりだ。
「……なんて……ひどい……ひいん」
「お姉様、どうしたの。大丈夫? ひいんって、ちょっと下品だと思う」
「ロザリー、体調が優れないの? いつも無理させて、ごめんなさい。それと、お母様もひいんは品がないと思うわ」
弟と母が心配してくれる。ひいんは品がない?
男爵令嬢だものね、言葉には気を付けなきゃ。でも、咄嗟に出てきちゃったんだから許してほしい。ひいん。
ああ、愛しい私の家族たち。
……この家族を救えるのは、自分だけなんだ。
しっかりして、私。
まだ未来は変えられる。
私がみんなを助けるの。きっと、できる。
「……大丈夫」
家族はまだ、全員生きている。
私は自分を励まして笑顔を作った。
「ちょっとじゃがいもの匂いにうっとりしていたの! お腹すいちゃって!」
私は誤魔化し笑いをして、捨てる予定だったじゃがいもの芽を拾い集めた。
「お、お姉様っ! じゃがいもの芽は食べちゃだめだよっ? 毒があるんだ」
「ええ、ええ。わかっているわ。これはね、えっと……全力で肥料にします!」
この芽を使えば、特効薬を作ることができる。
「とりあえず、安いからじゃがいも」という考えて買ってきたけど、これも運命ってやつじゃない?
じゃがいも最高。神様ありがとう。拝んでおこう。
「じゃがいもって最高ね。美味しいし、安いし、栄養たっぷり。多くの人を救ってくれる救世主よ! ありがとう、じゃがいも。愛してるわ!」
じゃがいもへの愛を叫びつつ、私は今後の行動指針を練った。
この芽を持って、錬金術師のところに行こう。お薬作ってーってお願いするのだ。
ただし、夕食を食べてから。
「腹が減っては、戦はできぬ」とは、隣国の大賢者様が唱えた有名な格言である。
「では、いただきます!」
じゃがいもはホクホクしていて、美味しかった。
大地の恵みに感謝! 敬礼!
「ロザリー、お父様が頼りないばかりに、苦労かけてすまないねえ。貴族令嬢なのに、こんなに……ううっ、だめだ。言葉にするのがつらすぎる」
「あなた……! 私たちがしっかりしないと」
お父様とお母様が泣いてる。
な、泣かないで。
どうか二人とも、上がり眉になって……。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――『ロザリーのひとことメモ』
ウィンズストン王国は王族が女神ランダから王権を授かった絶対君主制の王国。
私には異能がある。
そして、両親を上がり眉にしたい。