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第20話 旅芸人

 サウスボンスへと向かう馬車。車内では黙々と本を読むアッシュと、宿でお土産に持たされたクッキーを取り出すヴェロニカの姿。

 ヴェロニカはクッキーを頬張りながら、アッシュが読んでいる本を覗き込んだ。


「こんなに文字が詰まった本を馬車で読んでいて酔わぬか?」

「酔い止めの魔法を使っている」

「便利なものがあるのじゃな」

「生活魔法の類だ」


 読書中に邪魔をするな、とアッシュがヴェロニカの頭を押しのける。

 向かいに座っている女性が声を掛けてきた。


「あの、お兄さん、いきなり申し訳ございません。よろしければ、うちの子にもその魔法をかけていただけないでしょうか?」


 女性の問いかけに、アッシュは仕方なく本を閉じた。


「左耳を出して」とアッシュ。


 女性の横で、具合悪そうに外の風景を眺めている少年の左耳に、収納魔法から取り出した赤い顔料で、特殊な魔法陣を描いたアッシュ。

 細かい作業を揺れる馬車の上で難なくこなすアッシュに、乗り合わせた客達のほうが物珍しそうに見守っている。


「はい、次は右耳を出して」


 少年の右耳を軽く弾くと、アッシュは座席に戻った。

 暫く弾かれた右耳を触っていた少年だが、ふと何かに気付いたように胸をなでると、驚いた様子でアッシュ見た。


「治った!」と嬉しそうに少年が叫ぶ。


「それはよかった。でもあまり騒ぐなよ、読書の邪魔だ」

「少年よ、こやつはツンデレという奴だからの、気にするでない」


 素っ気ないアッシュの言葉にフォローを入れたヴェロニカ。


「ヴェロニカ、足が痒くなる魔法をかけてやろう。脛を出せ」

「嫌に決まっておろう」


 膝を抱えて脛を守ろうとするヴェロニカに、アッシュは「ひひひ」とわざとらしい不気味な笑声を上げて筆を左右に振った。

 しかし、唐突に冷めた顔になると、収納魔法に筆を放り込んで本を開く。


「飽きた」とアッシュ。


「お主な」とヴェロニカも呆れる。


 少年にクッキーを分けたヴェロニカが、アッシュの隣へと戻った。


「オークションで何を落とすつもりなんだい?」

「全部」

「お主ならやりかねん。じゃが、流石に冗談じゃろ」

「まぁな。オークションをやることは知っていても、まだ出品されるカタログがない。いつもなら頼まずとも届けてもらえるんだが」


 禁書庫番の主と名高い蔵書狂にして、男爵位を持つ蔵書卿だけあって、オークションの主催者も金づるだと分かっているのだ。今回は現地でカタログを購入することになる。ついでに変装もしなくてはならない。異端者狩りも、網を張るならここだと考えている筈だ。


「お兄さんもオークションへ?」


 隣に座っていた若い男が声を掛けてきた。

 細身で黒髪。右目の下にほくろ。清潔感がある。鍛えているのも分かるが、冒険者ではない。圧迫感を与えないように服の細部にも気を使っているが、行商人でもなさそうだ。


「ああ、自分はエディル。旅芸人をしていてね。サウスボンスへはその関係で向かってるんだ」

「成程、あそこは人が多く集まりますからね」


 オークション開催中は多数の人が集まる。本以外にも様々な人や品が集まることでも有名だ。

 元々サウスボンスは都市国家であるが、関税が非常に安く、交易で栄えている。エディルはサウスボンスの地図をポケットから取り出すと、バツ印を付けた部分を指さした。


「明日から、ここで披露する予定。ゆくゆくは港近くの酒場でも歌わせてもらえれば、なんて考えているんだ」


 港町だけあって、港の近くの酒場は交易船乗りなどで賑わう。だから金払いもいい。それを目当てにした計画だろう。


「オークションの後に小銭の使い道に困ったら、どうぞお越し下さいな」


 ただの営業である。

 屈託のないエディルの笑顔に、アッシュも好感を持った。


「ああ、気が向いたら伺いましょう」

「ありがとう。ファンになってくれるとうれしいな。それにしても、今回のオークションは荒れると噂だけど、大丈夫かい?」


「荒れる?」とアッシュが不思議そうな顔をする。


 ひょっとして、何かとてつもない希少本でも出品されるのか、とアッシュ期待した。しかし、どうやら事情が異なるらしい。


「快癒の神リッパーの枢機卿、ロット氏が出てくるそうだ」

「枢機卿が来る、というのは聞きましたよ。ロットというと、聖人ロットですか?」

「らしいですよ」


 その名前に、アッシュは眉を顰めた。

 リッパー教会枢機卿、ロット。聖人と呼ばれる他、リッパーの聖典『神血と全治』の体現者とも呼ばれる人気の高い神官だ。

 枢機卿の位にありながら、頻繁に各地の治療院を訪れては患者の治療にあたるほか、業務内容の改善など事務的なことも行う。治した患者は数万人に及ぶと言われる有名人。


 多忙を極めるそんな枢機卿ロットが、わざわざオークションに出席する。ともなれば、その目的が気になるのはごく自然な事だろう。

 何しろリッパー教会は各国の首脳陣と関係が深く、枢機卿ともなればその財力もまた計り知れない。オークションで争っても競り勝つのは難しい。


 挙句、本に興味がなさそうな枢機卿ロットがわざわざ出てきたのは、リッパー教会に要請されたから、という可能性も考えられる。

 リッパー教会が支援しているとすれば、競り勝つのは難しいのではなく、不可能だ。一個人の資金力で、数か国に跨る巨大組織に勝てる筈がない。


 しかしリッパー教会は、禁書庫を燃やしたことで号外が出ている。本を扱うオークションに集う者にとって、リッパー教会は敵として認識されている筈だ。

 嫌がらせに値を釣り上げる者も多数出るだろう。それを緩和する為に、聖人とまで呼ばれる枢機卿を派遣したのだとしても、どこまで効果があるか。


「荒れますね。過去最高額が更新されても可笑しくない。ロット氏の狙いまでは分からないですよね?」

「未だ判明せず、です。隠しているんでしょ」


 エディルは肩をすくめた。


「お金は足りそうで?」

「心もとないですね」


 アッシュは素直に答えて苦笑した。

 隣でクッキーを齧っていたヴェロニカがアッシュを見る。


「なんだい、また仕事を受けるのか。観光がしたかったんじゃがの」

「魚は食えるぞ」

「それなら良いの」


 実に安上がりな奴だ、とアッシュは表情に出さないように気を付ける。アッシュとしても、せっかく港町に来たのだからうまい魚料理を食べるつもりでいた。

 予定通りの出費なら目くじらは立てない。アッシュは金策の手段を考えようと、瞼を閉じた。

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