「怪我人は七名、いずれも軽症で死者はなし。全体の討伐数は百五十六体だ。皆よくやってくれた。今日は無礼講だ」
魔物掃討戦の打ち上げ。冒険者ギルドの訓練場で、立食パーティーが開かれた。
後発の回収班により、討伐した魔物の素材が大量にギルドへと納入されたことで、懐が潤っているらしい。
テーブルがいくつも置かれ、料理が運ばれてくる。元が訓練場だとは思えない状態だが、試験でヴェロニカが抉ったクレーターが名残を感じさせた。
埋めなくていいのだろうか、とアッシュはクレーターの淵から底を覗き込んで考えていた。
落ちないよう、アッシュの服の裾をギュッと握り締めるヴェロニカ。自らが開けたクレーターを覗き込み、首を傾げた。
「梯子が掛けられているの」
「横穴も掘られてる。訓練場の下に地下倉庫でも作る気か?」
冒険者ギルドは転んでもただでは起きないらしい。クレーターを覗き込んでいたアッシュ達に、副ギルド長が声を掛けた。
「新人、あまり覗きこまないでくれ」
「どうしてですか?」とアッシュが聞き返す。
自分が開けたクレーターだけあって、用途は気になるらしいヴェロニカ。まだジッと穴を覗いている。梯子を下りたいのか、チラチラと気になっている。
苦笑した副ギルド長は、口の前に人差し指を立てて内緒の話だ、と前振りしてから、周りに聞こえない小さな声で続けた。
「薬品倉庫になる予定だそうだ」
「えっと、それで?」
冒険者は魔物を相手にする為、毒薬、治療薬の類に触れる機会が多い。薬品倉庫に備蓄するのも可笑しな話ではない。だが内緒にする必要が分からなかった。
副ギルド長は「ああ、新人だもんな」と呟いて続けた。
「ここに入れるのは、傷薬だ」
「どうして、傷薬を?」
外傷の治癒はリッパー教会の権能魔法の出番。今回の魔物掃討戦でも、医療団を派遣してもらっている程だから、ギルドとの関係は良好だろう。わざわざ外傷に備えた薬を備蓄する理由は何か。
「最近、リッパー教会が権能魔法の使用を渋っているんだ。冒険者相手にはそうでもないが、町の住人は少し不満が溜まっていてな」
「初耳ですね」と関心を示すアッシュ。
「今回の作戦で外から応援に来た冒険者にも話を聞いたが、どの町でも同じらしい。四年前から巡礼団の派遣がなくなったことも合わせて、備えておこうと思ってな。ただ、リッパー教会から支援を受けている俺達が傷薬を備蓄すると、外聞が悪い。だから外ではあまり話すな」
「事情は分かりました」
納得して、アッシュはヴェロニカを連れてクレーターから離れた。
副ギルド長は外から応援に来てくれた冒険者に挨拶に行く、とアッシュ達に告げて去った。つまり、挨拶よりも優先して、アッシュ達をクレーターから遠ざけたかったという事だ。
ヴェロニカがテーブルから、パイを山盛り皿に乗せて戻って来る。
「冒険者向けじゃから、水分を抜いた干からびたパイを想像してたのじゃが、これは大当たりだの。サクサクだねぇ、サックサク」
「よかったな。他の人の分も残しておけよ」
「心得ておる。誠に美味なのじゃこれは。お、バターを乗せもよいな。アッシュもどうだい?」
「後にしておこう、なんか来るしな」
「うむ?」
足音を聞きつけたアッシュがパイを遠慮して後ろを見る。そこにはリッパー教会の紋章をつけた男が立っていた。
作戦中、医療班を率いていた男だ。アッシュと目が合うと、友好的な笑みを浮かべた。本心はどうあれ、この場で騒動を起こすつもりはないらしい。
「こんにちは。新人らしからぬ大層なご活躍だったそうですね」と男。
無意識に脳内変換するアッシュは、こう受け取った。
「うちの異端者狩りが世話になったな」と。
アッシュは溜息を吐いて続けた。
「ええ、少し腕に覚えがありまして。雑魚ばかりでしたがね」
次は男が脳内変換。
「異端者狩り弱過ぎ」と受け取り、男が笑みを深めた。
「町に住む者として心強いです。しかし、昨今は強い魔物も各地で確認されていますので、どうぞお気を付け下さい」
「もっと強い奴を送り込んでやろう」と受け取るアッシュ。
「魔物と親交を深めるのは不可能ですからね。まぁ強い魔物の死骸でも掲げれば、幾分か寄ってこなくなるという話もあるそうですが」
「お前らと仲良くするつもりはない。また来たらバラすぞ」と受け取った男。
売り言葉に買い言葉。 作り笑顔でバチバチと睨み合う両者を眺めて、ヴェロニカは疲れ顔でパイを齧った。
「お主らを見ていると、折角のサクサクパイの味がせぬわ」
ヴェロニカをちらりと見た男。一瞬戸惑ったようにアッシュと見比べた。
「本当に妹連れなんですね」と男。
「我にも雑魚の討伐ぐらいは出来ようぞ」
「私にもパイを頂いても?」
「自分で取ってくるがよい。甘えるな」
淡々と断られた男。歩み寄りは不可能と悟ったらしい。男は周囲の目を気にしてから、静かに告げた。
「誤解があるかもしれませんが、魔物の討伐に、冒険者ギルドが動くきっかけを作って下さったこと、私共も感謝しています」
「ほお」とヴェロニカ。
真意を探るように男を見つめてから、頷いた。
アッシュは男の言葉の真偽を測りかねたが、ひとまず続く言葉を促した。
「それで?」と聞くアッシュ。
「これ以上の深入りは戦争になりかねません」
「成程。それはどことどこの?」
「我々と、後は記憶にないですね」
唐突に話を打ち切って、男は背を向けて去っていった。ヴェロニカが混乱したようにアッシュを見上げ、答えをねだった。
「何だったんだい、今のは。暗喩か?」
「記憶の神『バーギィ』の神官の常套句だ」
記憶の神バーギィの権能魔法は、忘却と記憶の呼び起こし。昔、諜報員を多用した国王が、バーギィの神官にこう尋ねた。
『バーギィの神官こそ、最も機密を握っているのではないか、と』
対する神官の言葉は非常にシンプル。
『記憶にないですね』
聞いたヴェロニカが「ほう」と声を漏らした。
「この逸話が転じて、バーギィを利用する諜報員やそれを利用する貴族、国を指す暗喩になったとされている」
「アッシュが異端者狩りの記憶を消したから、リッパー教会を探りに来た諜報員だと思ったのじゃな。しかし、戦争とはまた物騒な言葉だねぇ」
ヴェロニカが顔を歪めた。
「そうだな。だがこれでリッパー教会が組織として動いているのは確定だ。この町の教会だけではないのなら、リッパー教会の権威が揺らぐネタが手に入るかもしれない」
「警告を無視してよいのか?」
「勘違いしているぞ」
「はて?」
「既に俺の本が燃やされた。戦争は始まってるんだ」
「ブレない奴じゃな」とヴェロニカが呟いた。