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第12話 灰銀の繭玉

 この世には、「希少本」と呼ばれる本がある。

 発行部数が極端に少ない本。絶版された本。個人出版の無名の本。禁書に指定され、闇取引でしか手に入らない本。


 世界には数多の神がいるが、それぞれに聖書や聖典が存在する。これらは教会の神官でなければ手に入れる事が出来ず、もし市場に流れたとしても、即座に教会関係者が買い取ってしまうため、幻の本、とされている。

 まして、廃神の聖典ともなれば絶版になっているのに等しい。ただでさえ流通していない聖典は、当然新たに発行されることもない。即ち、その存在は希少中も希少。金輪際、手に入れる機会が一生に一度訪れるかどうか。


 いや──、ここで手に入れなければ、もう一生無理だ。


「おいおいおいおい、それは聖典だな? 間違いないな? よし、聖典だ。絶対に聖典じゃあねぇかこらッ、ひゃっはあああー!」


 虫の気配が絶えた森で、本の虫が叫ぶ。心なしか、教会に巣食っていた魔物が気圧されたように後ずさり。

 身体は歓喜に打ち震え、瞳は爛々。魂は蔵書欲に燃え、じゅるり、と舌なめずりしらしながら、アッシュは魔物に手を伸ばした。


「ほぉら、いい子だからそれを寄越せ」とアッシュ。


「そうしたら見逃してやってもいい。ほぉら、な?」


 しかし言葉が通じる筈もない。魔物はラッパ型の花を向け、花粉を撒き散らした。


「ちっ、クソが」


 憎悪の籠った舌打ちを残し、アッシュは後方に跳んで花粉から逃れる。服を翻して着地。怒気を露わに魔物を睨みつけた。


「何でそういうことするんだよ。希少本を見せびらかすとか、悪趣味にも程があるんじゃあないか? そもそも、それお前のなの? 読めるの? 無理だよな。読めないよな。どうせ読むための努力もしてないだろクソ植物。その本の価値を見くびるなよ? 寄越せ」


 アッシュが収納魔法の黒い靄に手を突っ込む。数枚の円盤を取り出した。銅製の円盤。何の変哲もない。アッシュは円盤をフリスビーの如く、魔物へ向けて連続で投げつける。

 切断出来るような鋭利な物ではない。武器としても柔らかな銅製だけあって、貧弱なその円盤が魔物の周囲に散らばり、重力に負けて落ちる。


 続けざまに、アッシュは長大な杖を取り出した。装飾のない、二メートル弱の無骨な杖。両端が僅かに鉤状になっている。


「見たことのない魔物だが、その花の特徴は除虫草のヤエルだろ。教会に植えられていた園芸種が魔力の溜まり場に浸かって魔物化した、って手合いだな」


 鉤杖をくるくると回す。教会の敷地でもあり、開けたこの空間であれば、振り回すのに支障がない。アッシュが笑みを浮かべた。


「お前には無関心なほど興味ないが、聖典はシビれるほど欲しい――、死ね」


 鉤杖を腰だめに構え、アッシュは走り出した。瞬く間に魔物との距離を詰める。

 射程圏内。鉤杖の間合いに入った瞬間、アッシュは靴裏に仕込んである円盤に、代用ろくろの魔法を作用させる。


「引っ掛けまして」とアッシュ。


 ぐるり、とアッシュが高速で一回転する。


 代用ろくろの魔法は、円形の土台の上にあるモノを固定し、任意の速度で回転させられる魔法だ。元々は陶芸用のろくろの代わりをさせるための生活魔法である。

 高速で回転するアッシュが持つ鉤杖が魔物の根っこを捉え、回転に合わせて引き込む。ぶちぶちと根っこが音を立てて千切れた。


「これは要らない、聖典だけ寄越せ」


 アッシュが回転を止めると同時、引き千切った根っこを魔物に投げ飛ばす。植物魔物だけあって痛みを感じていないのか、魔物は即座にツタを振り回して反撃態勢に。

 アッシュはばら撒いてあった銅円盤を鉤杖に引っ掛け、投げ飛ばす。

 投げ飛ばされた銅円盤は、魔物のツタに払い落とされる直前、高速回転した。


「時差発動も出来るんだよ」


 獰猛に笑ったアッシュが鉤杖を放り投げ、後方に飛び退いた。鉤杖が落ちたのは、銅円盤の上。ギュンッ、と銅円盤が高速回転し、その上の鉤杖が回りだす。

 間近で回りだした鉤杖の間合いに入っていた魔物は一気に根もツタも巻き込まれ、無造作に引き千切られていく。

 鉤杖の魔手から逃れようと、魔物が這うように移動するも、そこにはアッシュが最初にばら撒いた銅円盤があった。


「逃がすか」とキマった瞳を向けるアッシュ。


 魔物の体が銅円盤に乗った瞬間、代用ろくろの魔法を発動。代用ろくろの魔法は、台座の上の粘土が遠心力で飛ばないように固定する副次効果がある。

 つまり、乗ったら最後、逃げられない。

 魔物の体が複数の銅円盤に固定され、高速回転する。回転方向の違いにより植物由来の柔な体がブチブチと引き裂かれ、千切れ跳んだ。試合終了。


「ぃひゃっほおおお、聖典『灰銀の繭玉』ゲットだぜい、いぇい」


 絶命まではしていない。だが瀕死状態の魔物には目もくれず、アッシュは魔物のツタに絡んでいた、楕円形が特徴的な『灰銀の繭玉』本を拾い上げ、いやらしく頬ずりする。


「はぁ~、素晴らしい保存状態だ。少なくとも八十年は放置されたであろう品が、これほどまでに綺麗に残っているなんてまさに奇跡だ。まるで、俺の手に納まることが運命だったかのようだよ。そう思うだろう?」


 興奮のあまり、友好的に微笑みながら問いかけるアッシュに、瀕死の魔物はピクピクと花弁を揺らしていた。


「繭を模したこの造形は、造り手の素晴らしいセンスだ。それが除虫の神の聖典だというのだから実に皮肉も効いている。元々ガランドウワームは山岳民族が信仰していた神だというが、聖典に書き起こしたのは平野の農耕民族であるルルカ人でね。ルルカ人は様々な民族を併呑していって、多数の神の聖典を書き起こしたんだ。それにしても、聖典をこの手にする日が来るなんて。 あぁ、人生最良の日かもしれない」


 瞳を輝かせる。屈託のない笑顔を魔物に向ける。


「ありがとう!」とアッシュが感謝を告げた。


 勿論返事はなく、魔物既に絶命していた。

 そこに、アッシュを追いかけてきたヴェロニカが、息を切らせて現れた。


「だ、大丈夫かアッシュ――、って、終わっておるし」

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