調査現場となる森は静まり返っていた。
「早くも不自然で違和感しかないな」
周囲を見渡すアッシュが言った。
「今までの調査ではどうなっておるんだい?」
「動物が少しずつ数を減らしている、とは書かれているんだが、虫が一切いないことには触れられていないな」
「元々虫がいない土地なのかもしれんの」
「俄かには信じ難いが──ああ、あり得ない話でもないな」
地図を思い出して納得すると、アッシュは森に分け入った。
雑草が健やかに育ち、アッシュの行く手を遮っている。好き勝手に伸ばされた木々の枝から、つる性の植物が垂れ下がり、周囲に花の香りをばら撒いていた。
適当な石を蹴り転がして裏側に虫がいないかを観察するが、やはり姿がない。
「原因に心当たりはあるんだが、それでもちょっと行き過ぎている気もするな」
「原因とはなにかの?」
「この森の奥に廃神の教会がある。除虫の神『ガランドウワーム』の教会だ」
建物が残っているなら今夜の野営地にでもしようと思ったが、この様子ではどちらにしても見に行かない訳にはいかなくなった。
ヴェロニカがアッシュの後ろを歩きながら、首を傾げる。
「なんだい、その廃神というのは」と聞くヴェロニカ。
「そんなことも知らないのか、ガキめ」
「子供に物事を教えるのも大人の務めじゃろうて」
「へいへい」とアッシュ。
アッシュは行く手を遮る雑草を踏み倒す。ヴェロニカに道を作りながら、廃神について説明する。
「世の中には様々な神がいるが、中には信仰を集められずに権能魔法が使えなくなる神がいる。こういった神や教会は枢機卿会議で審査し、廃神と見なされる。除虫の神『ガランドウワーム』も八十年ほど前に廃神と認定された神だ」
「ほほう、つまり、客が減りすぎて閉店した神ということかい?」
「身も蓋もない言い方をすれば、その通りだ」
カナエは樹皮の状態や落ちた枝を観察し始める。不自然なほど虫がいない。虫を主食にしている鳥の類もおらず、草食、果実食の動物や鳥、それを狙う肉食獣も数が少ない。
「さっきから虫の姿ばかりを探しておるな。魔物の調査に来たのだろうて」
「ああ、依頼は現地の調査だ。魔物に限った話じゃない。それに、さっきも言っただろ。ガランドウワームは除虫の神なんだ」
「権能魔法が使えない筈の廃神の神殿の近くで、権能魔法が使われた痕跡がある、という話じゃな?」
誰かが虫を払った可能性があるとなれば、ただの違和感だけで片付けられない。作為的なものならば、より目的を調査する必要がある。
「ドッタの実が落ちとるぞ」
ヴェロニカが地面に落ちている実を拾う。
「虫は?」
アッシュがが尋ねると、ヴェロニカはドッタの実を遠くの木の幹に投げつけた。
ドッタの実のオレンジ色の笠が外れ、中から凄まじい勢いで種を吹き出しながら飛んでいく。中に虫が巣食っていると飛ばないため、あの実には虫がついていないことになる。
ヴェロニカが食べ終えたドッタの種が入っていた小瓶に、新たにドッタの実を入れ始めた。森に虫がいない証拠にするのだろう。
「のう、ガランドウワームは何故廃神になったんだい? 虫が近寄らなくなるのなら、冒険者に旅人、害虫に悩む農家にと大人気な気もするが」
「除虫の権能魔法は害虫と益虫を区別しない。教会がこんな森の中の辺鄙なところにあるのは、農村部で嫌われていたからだ。曰く、土の質が悪くなる、実りが悪くなる、とな。それでもヴェロニカの言う通り、旅人や冒険者に根強い人気のある神だった」
いくら探しても虫による食害の後や巣穴がない。探すのを諦めたアッシュは昼食に買っておいたミートパイを収納魔法から取り出した。
ヴェロニカがドッタの実でいっぱいになった小瓶に蓋をして歩いてくる。
ヴェロニカの分のミートパイを渡し、アッシュは除虫の神『ガランドウワーム』が廃神となった経緯を話し始めた。
「事の起こりは八十年前、旅ブームに由来する。ちょうど、魔物の大氾濫が起きる直前の時期だ」
「旅ブームで除虫の神に注目が集まった、という訳だねぇ?」
「ああ、利用者も爆発的に増えたからな。そして、観光地だった花畑が壊滅した」
「何故?」
「旅人が除虫の神『ガランドウワーム』の権能魔法を受けた状態で観光したせいで、花粉を媒介する虫が寄り付かなくなったからだ。他に養蜂業にも悪影響があったらしい。お陰で、一時は邪神認定を受けかねないほど、世間からの心証が悪くなった」
「そんな副作用があるとはの。世の中、うまくいかないものだねぇ」
ミートパイを齧って幸せそうな顔をするヴェロニカが、他人事のように言った。
「さっきも言った通り、ガランドウワームは農村部で嫌われていて、こういった辺鄙な場所に教会が建っている。評判が悪くなったガランドウワームの神官のなり手は少ない。辺鄙な場所にある教会の利用者も激減し、それで廃れたんだ」
「ガランドウワームも不満じゃろうな。持ち上げておいて、いきなりポイと捨てられるのじゃから」
「その点については同情するよ」とアッシュ。
ヴェロニカの意見に頷いて、ミートパイを食べる。
匂いに釣られた虫がやってこないかと期待していたが、昼食の間も虫の姿はなかった。
アッシュはつま先で地面を抉り、土の状態を探る。腐りかけの葉っぱが積み上がっているが、どの葉っぱにも虫による食害の後はない。
「この森、死ぬだろうねぇ」とヴェロニカ。
木漏れ日を見上げて呟く。
「腐った枝葉を食べる者がおらぬ。木々が根腐れを起こしかねんぞ。花粉を運ぶ者もおらぬのでは、実もつかんじゃろうて」
「問題はそこだ。ドッタの実は受粉しなければ実らない。なのにヴェロニカ、さっき集めていたよな?」
「虫の代わりに花粉を運ぶ何かがおる、と?」
ヴェロニカがきょろきょろとあたりを見回す。
アッシュは適当な木の枝を折り、ヴェロニカに突き出した。枝にはツタが巻きつき、締め上げたような跡が残っている。
「恐らくは魔物だ。擬態を行う植物系魔物の中には、自身が紛れ込めるように周囲の環境を整える生態を持つ奴がいる。それが受粉させて回っているんだろう」
「成程の。つまり、森は生き続けるんじゃな」とヴェロニカが言った。
めでたしめでたし、と拍手をする。だが事はそう単純ではない。寧ろ、状況は今もなお悪化していると言っていい。
「魔物だぞ? 単に受粉の手助けをして終わりじゃない」とアッシュ。
「魔物が受粉を手伝った種からは、約三割の確率で同種の魔物が発生するんだ。種の段階で高い魔力があるから虫も積極的に食べるが、この森ではそんな自然淘汰が機能しない。後は、分かるな?」
「森全体が植物魔物になっていく」
「御名答。魔物の大量発生の傾向が指摘され、既に四年が経ってる。今までは冒険者が間引いていただろうが、そろそろ限界だろう」
虫の演奏会は無期限延期。代わりに魔物様がスタンバイときた。
招かれざる客という訳だ。