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第6話 言いたくない魔法

 魔法使いと思しきアッシュが自ら距離を詰めてくるのに、意外そうな顔をした試験官の男は、模造剣で簡単に突きを放った。

 剣先がアッシュの肩を捉える寸前、アッシュは高速で体を回転。剣先を躱しながら、強烈な回し蹴りを放つ。

 人体だけでは再現不可能な高速回転に虚を突かれ、男は模造剣を引き戻しながら片腕で防御をした。


「ぐっ」と呻く男。


 アッシュの蹴りが直撃した衝撃で、ふらついた男。それでも模造剣を正眼に構え、次の攻撃に備えようとする。


「隙だらけだ」


 目の前にアッシュの姿があるにもかかわらず、右後方から聞こえた声にゾッとし、男が左に跳ぶ。

 しかし、男が跳ぶのを予め予想していたアッシュ。収納魔法で取り出した木の長棒を振り抜く。


「それは判断ミスだ、新人」


 模造剣で長棒を防ぎ、競り合いに持ち込もうと画策する男だったが、次の瞬間、目の前で起こった事象に目を疑った。

 模造剣で受け止めた長棒が、鞭のようにしなり、男の肩に叩きつけられたのだ。


 肩に受けた強烈な衝撃。模造剣を落としそうになりながら、男は歯を食いしばって後方に飛び退く。

 アッシュが持つ長棒を見るが、ギルドの備品であると証明する刻印がしかと付けられていた。収納魔法から取り出す際に、別物と交換した訳ではない。


「何をしやがった?」

「ちょっと言いたくない魔法を使いました」

「実家に伝わっている秘伝の魔法か」


 男の言葉に、アッシュは曖昧な笑みで返す。


 アッシュが使った魔法は『しなってもいいですか』というあらゆる棒状の物を鞭のように扱えるようにする魔法だ。禁書『倦怠を破った懲罰棒』に記載されている、SMプレイ用のエッチな魔法である。副次効果として、叩く方も叩かれる方もちょっと楽しくなるおまけつきでもあったりする。

 当然、男を叩く趣味がある訳じゃない。アッシュは曖昧な笑みを返す以外の方法がなかっただけ。

 男が構えを解いて、長棒で叩かれた肩を回す。


「とりあえず合格だ」と男。


「ここまで良いように誘導されたのは初めてだ。ちょっと楽しくなったくらいだぜ。ひとまずCランク相当の実力を認めるが、Dランクからスタートだ。Cランクは護衛依頼もあるんでな。実績がそれなりにないと与えられないんだ、勘弁してくれ」

「構いませんよ。ありがとうございました」


 一礼して、借り物の長棒を返却する。

 男は肩の調子を確かめた後、ヴェロニカを見た。


「そんで、そっちのお嬢ちゃんなんだが、本当に試験を受けるのか?」


 差別をするつもりはない。純粋な戸惑いだった。


「ふむ、実はちょいと悩んでおる」

「だよな、危ないぞ」

「そうなのだ、下手したら殺しかねんからな。ちょいと魔法を空撃ちしても構わんかの?」

「お、おう。とりあえずやってみろ」


 子供特有の、出来もしない大口を叩いてると思ったらしく、微笑ましそうに見物客達がヴェロニカを眺めている。

 雰囲気の良いギルドだな、とアッシュだけはヴェロニカではなく、冒険者達を眺めていた。


「泣く王子に捧ぐ潮騒、亡き王女に捧ぐ血の灰――」


 ヴェロニカの詠唱。


「うげぇ、クソ馬鹿め」


 両腕をふらふらと振りながら、半円を描く足運びで踊り始めたヴェロニカの詠唱を理解したアッシュは、情けない声を上げてすぐさま試験官の大男の腕を掴み、訓練場の端へと強引に引っ張った。

 なんだなんだ、とアッシュの慌て様を面白がる冒険者達。この後何が起きるのかを何も知らない。


「枯れぬ永久の煩悩渦に誘いとて、亡者、王者、夢の中。月光徒然──」


 魔法詠唱をした直後、ヴェロニカの頭上に直径二メートルの月を象った球体が出現。

 冒険者達の中でも、球体が内包する膨大な魔力に気付いた魔法使い達が血相を変え、一斉に訓練場の端へ駆け出した。

 音もなく、球体から半月状の“斬”が複数放たれる。

 斬は訓練場の誰もいない隅へと飛んでいき――地面を圧縮するように陥没させた。


 二波、三波、四波。遂に二十を数えた頃になって、ようやく球体が消滅した。

 二十もの斬の波を受けた訓練場の隅は、深さ八メートルほどまで抉れている。もしもその場に人がいれば、原形をとどめていないだろう。地中にあった石も粉々になっている。


 静まり返った訓練場を見回して、ヴェロニカは腕を組んだ。


「失敬な奴らじゃな。そんなに逃げんでも人に向ける訳がなかろう」


 ごくり、とアッシュは生唾を飲み込み戦慄する。確かに、完璧に制御しきっていた。威力を落としてあるとはいえ、本来、軍属の魔法使いが五人で扱う攻城用の攻撃魔法を、たった一人の少女が。


「ご、ご、合格」


 試験官の判定を否定する者は誰一人いなかった。凄まじい新人が入ってきた、と騒ぎ始める冒険者たちを見て、アッシュは空を仰ぐ。


 早くも新しい、偽りの身分が必要なのではないか、と。

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