バヤジット王国に限らず、この世界に存在する国家のほとんどが多神教だ。
禁書庫を燃やした異端者狩りの隊長が掲げていた紋章。快癒の神『リッパー』を始め、清水の神『イェルメス』、土壌の神『オベリスク』など様々な神が信仰され、それぞれの教会に教主、枢機卿など神の権能を代行する存在がいる。
中でも、快癒の神『リッパー』は、外傷を治す治癒魔法や、体内に入った毒物を除去する解毒魔法など、暗殺などで命を狙われる王族にとって無視出来ない権能を持つ。
必然的に、どんな王家もリッパー教会との敵対を避けたがる傾向にあった。だが。
「バヤジット国王、禁書庫に放火したリッパー教会を激しく非難、と書かれておるのだが、号外が出るほど凄い話なのかの?」
「まぁ、異例だとは思うぞ」
「他人事みたいに言っておるが、これの原因はお主であろう」
「いや、原因は枢機卿会議の放火だろ。俺は被害者だ」
特定の教会や国家、あるいは枢機卿会議が過去、または現在も禁書に指定している書物を多数所有している。だがバヤジット王国の法は冒していない。法に照らせばアッシュは純然たる被害者である。
「いや、教会が禁書に指定しておるのだから、一切の非がない、とは言えんのではないか」
と問うヴェロニカ。
「たまに勘違いしている輩がいるが、いかなる教会、枢機卿会議の決定も法的拘束力はない。従った方が利口だ、などと思考停止する輩は多いがな」
とアッシュが言った。
「まぁ、お主に本の事で制限を設けようとしても無駄じだろうとは思うがねぇ」
呆れと諦めが籠った溜息をつき、ヴェロニカは再び新聞を見た。
「それで、どうするのじゃ」とヴェロニカ。
「バヤジット国王が枢機卿会議に非難声明を出しておるのなら、アッシュも保護してもらえるのではないかの? この号外、『枢機卿会議と敵対してでも守ってやるから帰ってこい』というアッシュに対するメッセージとも読める」
「いや、戻る気はない」
「ああ、予想はついておる。一応確認じゃが、何故だ?」
「枢機卿会議を焼き討ちしてないからだ」
「本が絡むと本当に見境がない奴だねぇ。それをやったら、もう誰も庇えないであろう」
なんとか思いとどまるようにとヴェロニカが説得を試みたが、アッシュの意思は固い。本に関しては本当に見境がない。
とはいえ、流石に物理的に枢機卿会議を燃やそうなどとは、アッシュも考えていなかった。
「枢機卿会議の勢力をそがないと、また焚書される」とアッシュ。
「醜聞をかき集めて、暴露本を発行してやるんだ」
「成程、遂にお主の本まで禁書棚に並ぶの」
「ああ、そうなるか。感慨深い。今からタイトルを考えておかないと」
「そうじゃない、我は呆れておるのだが」
ヴェロニカはつんつんと、アッシュの頭を人差し指でつつき、白い目を向ける。一方のアッシュはどこ吹く風とばかりに無視。
「枢機卿会議に今すぐ喧嘩を売りたいが、まずは先立つものが必要なんだよな。さて、どうするか」
新聞を畳むアッシュ。考え込む。
「火事場から持ち出した書物を少し売って資金にする。どうだい?」
「却下!」
ヴェロニカの案を即時却下したアッシュ。
「じゃろうな」と呆れるヴェロニカ。
「売るのは却下だが、使うのはアリだな。ちょっと見てみるか」
「使う?」
「写本すれば売れるかもしれないし、知識だって売り物になるもんだ。よっと」
アッシュが指先で簡単な印を結ぶ。すると、黒い靄が現れた。
ヴェロニカが意外そうな顔をする。
「詠唱しなくても使えるのかい? あの火事の中で悠長に唱えておったから、てっきり無詠唱は出来ぬのかと思ったんだが」
「出来ない事はない。ただ詠唱を破棄すると、長時間の維持が出来なくなる。簡単な出し入れなら無詠唱で十分なんだよ。これは元々、ラマ族という遊牧民族の族長が一族の財産を守るために――」
「話が逸れ始めたわ」とヴェロニカが制止。
「そのうんちくはまたの機会に聞くとしよう」
「なんだよ、全く。お、『そこにいた証の領域』もある。追われる身のままだと動きにくいし、偽の身分証を作りに冒険者ギルドへ行くか」
アッシュは黒い靄の中から、一冊の分厚い本を取り出した。
魔物が残す痕跡のあれこれを記載してある、冒険者のバイブルともいえる『そこにいた証の領域』だ。
ヴェロニカがアッシュの膝に横座りする。
「冒険者か。アッシュが冒険者というのは、ちょいと想像しにくいの。本の虫じゃろ、お主は」
ヴェロニカが言った。
「本は全体的に見れば幾らか安くなったとはいえ、俺が持っているのは希少本が殆どだ。売れば王都の一等地に使用人と庭師付きで家を建てた上に、遊んで暮らしてお釣りがくる価値がある。そんな資産家の俺が、基本的に独り暮らしをしていたんだぞ」
ドヤ顔を見せたアッシュ。
「腕に覚えがあるらしいの。人前でむやみに禁術を使わないのなら、確かに良い選択かもしれぬが」