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日課

 小さな宴をして翌朝。うっすらと朝靄の残る中、家の外に出た俺は伸びをした。


「う~ん、気持ちが良いな」


 肌を突き刺すような冬の寒さはすっかり消えているが、うららかな陽気というには少し時間が早い。冬の残りのような寒さは僅かながら残っていた。

 それでも清廉な空気を胸いっぱいに吸い込めば、気持ちよく脳も回転を始めてくれた。


「おはよう!」

「ああ、おはよう」


 挨拶をしてくれたのはマリベルだ。見れば娘達がズラッと並んでいる。


「皆もおはよう」


 俺がそう言うとクルルとルーシー、そしてハヤテが小さめの声で挨拶した。声の大きさは“母親たち”への配慮であるらしい。


「よしよし、それじゃあ行こうな」


 娘達4人の頭を撫でて、クルルとルーシーに水瓶を渡し、俺たちは湖へと向かった。


 湖への道中、マリベルが“修業”で何をしたのかは聞かなかった。

 昨日の宴でも聞かなかったが、一つには興味本位で聞くのが憚られるように思えたことと、もう一つはそもそも聞いて理解出来るような話ではなさそうだったからだ。

 マリベルが何をしてきたかは、彼女が自分の中で糧にしてくれればいい話で、俺たちが聞いてどうこうしていいものじゃなさそうだし。


 なので、道中もマリベルの話よりも、彼女がいなかった間に何があったのかをメインに話す。


「ええっ、狸が来たの?」

「うん。まぁ、来たって言うか病気で行き倒れてたのを保護したんだけど」

「見たかったなぁ」

「そのうち見ることがあるかも知れないぞ」

「そうなの?」

「ああ」


 俺は頷いた。あの律儀な狸はその時のお礼なのだろう、薬草を持ってきてくれるのだ。

 それも人間(や獣人やドワーフやエルフや巨人族)が見つけにくい場所に生えているような希少なものを。

 今のところ、それらを存分に活かす機会はありがたいことにまだ訪れていないが、これから先もずっとそうとは限らない。

 なので、ありがたくストックさせてもらっている。干したりの加工はリディがいそいそと嬉しそうに行っていた。


「だから、運が良ければ森の中でバッタリ出くわすかも知れないし、薬草を置きに来たときにも見かけるかも」


 あの賢い狸のことだから、俺たちの気配を察したら避けようとすると思うが、炎の精霊であるマリベルに対してはあまり警戒しない可能性がある。いわば自然の一部とも言えるからな。

 それを置いておいたとしても、バッタリ出くわす確率はそこそこにある。少なくとも薬草を置きに来るときは何もないところを通って来ざるをえないのだし。

 俺の言葉にマリベルは目を輝かせた。


「じゃあ、狩り? に行くときに一緒に連れて行ってもらおうっと!」

「そうするといい」


 どのみちうちの娘さんたちは全員ついて行っているのだ。

 マリベルの手を借りなければいけないような作業があった場合は別だが、今のところそれもオリハルコンの加工くらいなもので、そんな作業の依頼がひっきりなしに舞い込むような事態はちょいと考えにくい。

 なんせ、この世界でもとびっきり貴重な鉱物なのだから。


 湖に辿り着くと、ほんの僅かだが水の温度が上がったように感じる。夏の盛りでも結構な冷たさだったので、雪降る冬の季節の温度と比べれば、だが。


 なによりその証拠に、湖に到着して水瓶をクルルとルーシーから下ろした瞬間、凄い勢いで2人が湖へ突撃していった。

 さしもの彼女達も真冬の寒い時期には多少控える素振りがあったものだが、今日は全くそんな気配もない。

 つまりは、2人が飛びこんでもいいと思うくらいには冷たくないのだろう。それをどうやって知ったのかは謎だが。


 ハヤテは小さくため息のような(もしかするとそのものかも知れないが)息を吐いて、飛び込んでいった2人の後を追う。


「一緒に行って良い?」


 その様子を見たマリベルが俺を見上げてくる。


「消えたりしないなら」


 俺は頷いた。“炎の精霊”たるマリベルが、ちょっと行水したくらいで消火されてしまうとも思えないが、一応の確認だ。


「そんなことあるわけないじゃん」

「じゃあ良いぞ」

「やった!」


 俺の言うが早いか、マリベルが湖に近づいて足を洗われ、「つめたーい!」などとはしゃいでいる。


「はしゃぎすぎて身体を冷やしすぎるなよ」


 これも“炎の精霊”には言っても詮ないことなのだろうけどな。こういうのは気持ちの問題でもある。言っておかないとなんとなく気持ちが悪い、ような。


「わかってる!」


 そう返してくる末の娘を眺めながら、俺は水瓶を1つ、少し水温の緩んだ湖に沈めるのだった。


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