森の中にはほとんど冬の空気は残っていない。わずかにひんやりとした空気の気配があるが、それを押し出すようにふわりと柔らかい風が森の中を渡っていく。
遠くの方を見ると、鹿がのんびりと木の枝から葉をちぎり取っているのが見える。狼や虎など肉食の獣は何の理由によるものかは分からないが見当たらない。
それで俺たちはヒヤヒヤすることもなく、のんびりした森の中を楽しむことが出来ていた。
「クルルルル」
クルルも久しぶりに荷車を牽けるのが嬉しいのかご機嫌である。喉を鳴らすように鳴いている。
もしクルルが疲れた素振りをみせるようなら遠慮無くすぐに止めるよう、手綱を握るリケには言ってある。
しかし、快調な速度で飛ばしていくところを見るとどうやら杞憂に終わったようだな。
いや、まだ森も抜けてないし、街道もある。油断は禁物か。
サスペンションもあまり柔らかくはしていなかった。簡単な仕組みでまともな減衰装置もないので、柔らかくしすぎるとぐわんぐわんと揺れ続けてしまいそうだったからだ。
今はそれが功を奏して、荷物を満載していても底付き――バネが伸びない状態にまで重さがかかってしまうこと――にはなっていない。時々ガツンと突き上げるような衝撃は来るので、ややサスペンションの機能が損なわれていそうな感じもあるが。
この辺は帰ってきたら大丈夫かチェックするか……。どのみちメンテナンスも必要だしな。
のんびりと、しかし、それなりの速度で(速度を出しているのはクルルだが)森の中を抜ける。
今まで俺たちの頭上を覆っていた樹木が無くなると、一気にその場を光が満たす。
一瞬眩んだ目が光りに慣れると、そこには一面に青が広がっていた。
「うわぁ」
俺は、いや、皆も思わず感嘆の声を上げた。こっちに来てからはじめて見たときもなかなかの光景だと思ったが、今はその倍は感動している。
「花か」
「うん。この時期の数日しか咲かない。運が良かった」
サーミャは目を細めながら言った。俺が来たときは既に時期を過ぎていたか、森に引っ込んでる間に咲いたか、とにかくタイミングが合わなかったことは間違いない。
「しかし、見事なもんだ。咲くって分かってたら花見にしたかったところだな」
「花見?」
遠くを見ていたアンネが俺の方を見る。俺は頷いた。
「北方に桜って木があってな。それが花を咲かせる時期に集まって花を見る」
「へえ」
「てのは半分は建前で、本当の目的は花を見ながら酒を呑んだり飯を食ったりだな」
「あら。でも、なるほどね。いいわね、そういうの」
アンネは目を丸くしたあと、微笑んだ。
「確か、わっと花を咲かせる木が森にもあったような……」
そう言ってサーミャが首を捻る。リディがコクコクと小さく頷いた。
「それなら私も心当たりがあるかも知れません。故郷の森にも多分同じ木がありましたから」
「お、じゃあ今度の狩りの時に探すか」
「はい、そうですね」
サーミャとリディが顔を合わせて笑う。
「私も私も!」
「もちろん」
「わんわん!!」
「わかったわかった、お前もだな」
「わん!」
「キュイッ!」
「もちろんハヤテもな」
ディアナとルーシー、ハヤテが花見の木探しに立候補し、サーミャがルーシーの頭を撫でた。
そんな様子をヘレンが眺めている。
「ヘレンは良いのか?」
「まぁ、どのみち狩りにはついていくし」
「それもそうか」
狩りには基本、俺とリケ以外全員参加だ。ヘレンも言わずもがなついていく。狩人としての腕前ももちろんだが、純粋に戦力としては我が家随一……と言うよりはこの地域近辺では右に出る者無しとまで言っていいくらいなので、一緒に行ってくれていて随分と助かっている。
「花が咲くかどうかってあんまり気にしたこと無かったなぁ」
ヘレンは花咲く草原を眺めた。俺はその横顔に向けて言った。
「ちょっとずつ覚えていけばいいと思うぞ」
ヘレンは俺のほうを見てキョトンとしたが、すぐに満面に笑みを湛え、
「そうだな!」
大きな声でそう言った。
そして、クルルの牽く荷車は街の入り口へとさしかかった。