ディアナが、子狼がいかに可愛かったかを夕食の間中力説した翌日、朝の日課を終えた俺たちは、デカい鹿を引き上げるべく森を歩いていた。
さっきからディアナがソワソワしているのは、今日も子狼がいないかどうか気にしているのだろう。俺も前の世界では野良猫の親子を見かけたら、しばらくはその付近を通るときにいないかどうか注意するようになったから、気持ちはわかる。だが、そうやって探していると滅多に現れないものなのだ。俺が野良猫を探したときもそうだった。
果たして、狼の親子は発見できずに湖に着いた。ディアナのテンションが目に見えて落ちているが、人はそうやって学んでいくのだ……。
前にサーミャたちが仕留めた猪もかなりの大きさだったが、今回の鹿もかなりデカい。これ体長2mくらいあるんじゃないのか。
「これは仕留めるのに苦労しただろ?」
「エイゾウ特製の矢じりだったし、今回は当てどころが良かったんだろうな、ほとんど即死だった」
「おお、それは凄いな」
「いやぁ、普通の矢じりだったら、帰るのは日が沈みきるかどうかのギリギリになってたと思う」
サーミャが遠回しに褒めてくれたので、素直に「ありがとよ」とお礼を言っておいた。
リケには大きめの木を伐ってもらうよう頼んでおいて、残る3人で頑張って引き上げる。最初は多少の浮力があってその分は楽だったが、岸に近づくにつれて重くなってくる。サーミャ(と今は俺にディアナ)の筋力が、普通の人間よりはかなり強いからなんとかなっているが、これは普通の人間が2人だけだったらちょっと厳しいのでは、と思わせる重さだ。こないだの猪と合わせて、肉の貯蔵量がかなり増えるだろう。
大きめの木で作った運搬台に、4人で引きずりあげる。このときも、いつもより苦労して引き上げた。もちろん、引っ張るのも運搬台が大きいこともあるが、鹿の重さも相まって、帰りにはいつもより時間をかけることになってしまった。
家に戻って吊るすのも一苦労はしたが、その後はあまり変わらなかった。切れるナイフでササッと処理できているのもあるにはあるが、手慣れてきているのも大きいだろう。ほぼ毎週捌いてるからな。肉と今回はサーミャの要望で腱をとってある。腱は後で弓の弦にするらしい。塩漬けにするのも限界があるので、今回はかなりの量を干すことになった。鍛冶場のあちこちにぶらんと肉が吊り下げられて、なんだか肉屋のようである。やはりどこかで燻製小屋兼用の貯蔵庫を作る必要があるな……。
昼飯は鹿肉のソテーである。そして、ここからは完全に休暇なので、昼間からワイン(リケは火酒)も出した。世界が違っても、昼から飲む酒は美味いな。元々こっちの世界でも昼から酒というのはままあることではある(水の代わりに飲むということはほぼないが)ので、俺以外の3人も肉と酒を楽しんでいた。
午後からは三々五々、それぞれの好きなことをする。サーミャは弓の手入れ、リケは細工物の作製、ディアナは剣術の稽古だ。俺は中庭に作ろうとしていた花壇兼家庭菜園の整備の続きである。前からほったらかしになっていたので、土はある程度の柔らかさを保ってはいるものの、雑草は生えまくっていた。これは耕し直すか。
作業場から鍬をとってきて、耕し始める。前よりは大分楽なので、3人の手伝いは特に必要ない。やってることはある種、鍛冶の仕事に似ているが、こちらは売り物でもなんでもないので、気楽さが段違いだ。身体を動かすのは嫌いではないし、畑仕事もたまにはやっていかないとなぁ。
なんとか1人でも中庭を耕し終えた。土が結構フカフカになっている。本当ならここで土をふるいにかけたりしたほうが良いのだろうが、今後どれくらい手をかけてやれるかも分からんからな。再びここが雑草畑にならないようにだけ気をつけていこう。
夕食は鹿肉のワイン煮込みにしてみた。ワインは明日また仕入れるから、気にせず使ってしまう。こう言うのがあると休日だったって感じがあるな。この日は話も盛り上がり、明日からの英気を十分に養うことができたのだった。
翌日は街へ商品を卸しに行く日なので、荷車にみんなで荷物を積み込んで、森の中を行く。俺は金貨を2枚持ってくるのも忘れない。森の道中は、時折鹿なんかの動物に出くわすくらいで、特に危険はなかった。……ディアナが必要以上にキョロキョロしてたのは子狼を探してたのだろう。
街道も警戒は怠らないが、いつもどおりの、のどかな風景が広がっている。サーミャとディアナにちょくちょく確認しても何事もない。そのまま街に着くことができた。
今日の立ち番は前の帰りに見た衛兵さんだ。マリウスの同僚氏はどうしたんだろうな。あの人も俺の製品を買ってくれたから、少し気になる。マリウスのときみたいなことになってないと良いんだが。そんなことを思いながら、会釈して街に入っていった。
カミロのところに着いたら、いつもどおりの流れである。ただし今日はミスリルのレイピアを荷車から下ろして直接持っていく。流石にこれを置いたままにはできないからな。
商談室で待っていると、これまたいつもどおりにカミロと番頭さんが現れた。カミロは部屋に入ってくると、俺の持っているものに目をつける。
「おお、できたのか」
「なんとかな。一苦労も二苦労もしたよ」
俺は持ってきたレイピアをカミロに渡す。受け取ったカミロはレイピアを鞘から抜く。俺の打った細剣は、それ自体が淡く発光していて、護拳と相まって我ながら中々に神々しい。カミロは刀身を見て満足そうに頷くと、
「確かに。やはりお前に頼んで正解だったよ」
「そうか。気に入ってもらえたんなら良かった」
俺は表情には出さないように努めながら、内心でほっと胸をなでおろす。
「それで、言ってた"アポイタカラ"なんだがな」
「ああ、どうなった?」
「確実に入手できる算段が整った」
「おお、やったじゃないか!」
「まぁな。ただミスリル以上に貴重なものだから、手続きやらでもう少しかかりそうだ」
「そうなのか。まぁ、それなら仕方ないな」
「すまんな」
「アンタのせいじゃないんだ、気にするな」
俺はそう言って、懐から金貨2枚を取り出す。
「とりあえず、こいつは持ってきちまったから今払っておくよ」
そう言ってカミロに渡し、受け取ったカミロはいい笑顔で
「まいどあり」
そう言うのだった。