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"おかえり"

 俺とカミロが通された部屋には、マリウスが待っていた。2日ほどぶりだが、心持ちやつれたように見える。


「ずいぶんお疲れのようだな」

「ん? ああ、祝宴はごく限られた人達で執り行うとは言え、その前の国王陛下への謁見と継承のご報告の準備やら、継承記録の手続きやらなんやらで、てんやわんやだよ」

「そりゃあ大変そうだ」


 貴族は貴族でやることがいっぱいなんだな。あらためて俺にはできそうもない。


「それで、祝宴はいつやるんだ?」

「明日だ」

「明日? ずいぶん早いな」

「父上と兄上が身罷みまかってから、爵位を継承するまでに時間がかかったからな。普通は祝宴までは間をあけるときもあるが、今回はそうも言ってられんのさ。なるべく早く継承を既成事実として、確定してしまう必要がある」


 俺たち庶民にはなんとも七面倒な話だな。


「じゃあ、俺たちは明日祝宴に参加して、明後日帰るわけか」

「そうだな。それまではゆっくりしていってくれ」

「わかった。世話になるよ」


 そしてマリウスが出ていった。その後はまた使用人の人に連れられて、俺とカミロは客に用意された部屋に案内される。


「何かございましたら、ご遠慮無くお申し付けください」

「わかりました。ありがとうございます」


 使用人の人は一礼をして出ていった。机に椅子、ベッドと一通りのものが設えられ、壁にはタペストリーがかかっている。タペストリーにはどこかの戦いの様子が描かれていた。味方の側には甲冑を着込んだ騎士たちが、敵側にはおどろおどろしい姿をした、おそらくは魔物の姿が描かれている。爵位を貰った時に剣を下賜されたということは、多分そのきっかけになった戦いの様子なんだろう。

 こうした戦いを経て1人の人間の栄誉の証となった剣を、偽物としてしまうことについては忸怩たる思いがないではない。そこには単なる剣の出来不出来以上のものがあるはずだ。他にいい方法も思いつかなかったが、俺の手でぶち壊してよかったのかどうか。どこかに捨ててしまっているのでなければ、うちで預かって、せめてうちで保管していこう。そうすることでくらいしか罪滅ぼしはできない。あとでマリウスに交渉してみるとするか。


 夕食前、部屋へ案内をしてくれた使用人の人――名前を聞いたらボーマンさんと言うらしい――に、「ディアナお嬢様がお呼びですが、いかがなさいますか?」と聞かれたので、素直に応じることにした。多分ここでもやるつもりだろうなぁ……。

 はたして連れていかれた先は中庭で、そこに動きやすい服のディアナが木剣を2本持って待っていた。


「ここでもやるのか」

「当然でしょ」


 ディアナがニヤリと笑いながら言う。お前それお嬢様っぽくないから止めたほうがいいぞ。


「まぁいいか。それじゃ始めよう」


 剣の切っ先を合わせて一礼すると、間合いを空けて、いつもの通り打ち合いを始める。合計で半時ほど経ったので、一度俺が手を止めると、ディアナが息を上がらせながら言ってきた。


「ハァ……ハァ……一度、エイゾウさんの……本気を……見せてくれない?」

「本気かぁ」


 これも今日で最後だし、一回くらいはいいか。


「よし、じゃあ最後にいくぞ」

「ええ」


 ディアナがどこから打ち込まれても平気なように剣を構える。それを確認してから、俺は本気で踏み込んで、本気で打ち込んだ。ディアナはピクリとも動けていない。首筋に俺の木剣が当たる直前で、剣を止めた

「これが俺の本気だ」

「全く見えなかった……」


 俺にそう言われたディアナはがっくりと肩を落としている。


「この数日でもメキメキ腕が上がってるんだし、鍛錬すればいくらでも上は目指せるだろ」


 俺が剣を引きながらそうフォローすると、ディアナはぱっと顔を輝かせて


「本当!?」


 と大層喜び、もうその笑顔が見られないと思うと、胸が締め付けられるような感覚を覚えるのだった。


 稽古を終えて、湯浴みをさせてもらった後は夕食だ。今日はエイムール家の人しかいないので、気楽な夕食になった。会話の話題はディアナがうちに居る間に経験したことが主で、マリウスは嬉しそうにその話を聞いている。俺がその合間合間に補足をし、カミロはいろいろ感心している。そうして夜は更けていった。


 翌日、マリウスは朝から国王陛下へ報告に向かった。記録官への手続きは済んでいるらしいので、国としては、この国王陛下への報告で爵位の継承は完全に完了する。後の祝宴は家としてのものだ。使用人の人たちはボーマンさんも含めて忙しそうにしている。内々とは言うものの、それなりに賓客を招いての祝宴なので、ちゃんとした準備が必要なのだ。

 一応は俺たちもそのお客さんの1人だが、準備優先ということで、朝食や昼食は夕食のパーティーの準備の残り――要はにしてもらった。ここで別にちゃんとしたものを用意してもらうのも気が引けるからな。ボーマンさんや他の使用人の人たちも最初は用意してくれようとしていたのだが、俺が無理を言って通した形だ。

 合間の時間はこれも邪魔にならないように屋敷の中をウロウロしたりして過ごす。今日はまだディアナに会っていないが、どうやらマリウスに付いて陛下と謁見したりしているらしい。少し残念だな。

 俺たちの協力がどれほど功を奏したかは分からないが、祝宴の準備は粛々と進んでいき、本番を迎えた。


 エイムール邸の食堂に大きな卓が囲まれるように配置され、俺達は決められた席に着く。囲まれた中央に料理がおかれていて、給仕さんたちが樽から注がれたワインの入った酒杯を配っている。来客が揃い、酒杯が行き渡ったところで、マリウスが立ち上がる。凝った刺繍の入った服を着ている。あれが当主としての正装なんだろう。


「皆さん、本日はこの祝宴にお越しいただいて大変ありがたく存じます」


 朗々とした声が食堂に響き渡る。


「本日、私、マリウス・アルバート・エイムールは伯爵の爵位と、エイムール家を継承することに相成りました」


 拍手が巻き起こる。チラッと見れば侯爵も拍手をしていた。


「それでは、エイムール家の今後の繁栄と、皆様との変わらぬ繋がりを祈って、乾杯!」

「「乾杯!!」」


 皆で酒杯をあおる。なかなか良いワインだ。そして、これでマリウスは制度上も、みんなの認識としても、伯爵でありエイムール家当主となった。それを思うと、酒の力以上に俺は楽しい気持ちになるのだった。

 祝宴の晩餐会は粛々と進んでいく。中央の料理を給仕さんが取り分け、各人に配る。街では見ないような料理が色々あって面白い。いくつかは真似できそうだし、家に帰ったらサーミャとリケに作ってやろう。


 晩餐会が終わると、今度は舞踏会だ。いずれも格式の高いものではないが、晩餐会と舞踏会を行うのが祝宴の時の決まりらしい。格式が高くなるとそれぞれ別に開催される。ただ、“舞踏会”とは言うものの、酒も飯も十分に腹に詰め込んだお歴々が華麗にダンスできるかと言うと、それは勿論そんな事はないので、舞踏会とは名ばかりで実際には立って軽く飲み物を飲みながら話をする場である。

 そこで俺はディアナを見つけた。さっきまではちょくちょく誰か彼かに話しかけられていたのだが、今は丁度隙間ができたらしい。


「ちょっとよろしいかな」

「あら、エイゾウさん……素敵なお召し物ね」


 そう、当然だが俺は例の貴族っぽい服を着ている。侯爵も居るし、公式にはマリウスの北方の友人――つまり、北方ではそこそこの地位の人間ということになっているからな。


「肩が凝るよ」


 俺は苦笑しながら言った。苦笑しながらではあるが、包み隠さない本心でもある。


「ディアナさんもよくお似合いですよ、そのドレス。“薔薇”と呼ばれるのに相応しい」


 ディアナもこういう場なので当然ちゃんとした服を着ていた。赤を基調としたドレスだが、華美に過ぎない、抑えめの刺繍がとても似合っている。


「お上手ですわね」


 ディアナは顔を赤くして言うが、それが酒のせいなのか、照れているのかはよく分からない。


「本心だよ。ホントに似合ってる。しかし、これも見納めか。残念だな」

「あら、そうかしら」


 ディアナがいたずらっぽい笑みを浮かべて言ってくる。


「え、おい、今のは……」


 俺が言葉の真意を聞こうとした時、ディアナは別の人が、俺には侯爵が近づいてきたので、その応対をすることになった。侯爵とはインストールの知識をフル活用して、北方出身の人間という設定を破らないような、通り一遍の話しかしないようにする。あんまり話し込んでボロを出してもいかんしな。しかし、こうして話すと気のいいオッさんではある。去り際に俺の肩を叩いて「エイムール家を頼むぞ」と言っているのが印象的だった。

 結局、ディアナと話ができたのはこの一回きりで、祝宴はお開きになり、帰宅する者、用意された部屋に戻る者に分かれ、俺は部屋に戻って衣装を着替えさせてもらった後、酔っているのもあって、すぐに寝てしまうのだった。


 翌朝、ようやく全てが片付いて家に帰る日が来た。都に来ることも、そうそうなくなる。ごくたまには来る用事もできるかも知れないし、その時に挨拶に来ればいいな。

 特に持ってきた荷物もないので、早々にカミロの馬車のところまで行く。馬車のところには、カミロとマリウス、使用人の人達が待っていた。朝が早いからか、ディアナの姿はない。


「エイゾウ、今回は本当にありがとう」

「なに、前にも言ったが、街での借りがあるからな。いい領主になれよ」


 マリウスと俺はガッチリと握手を交わす。


「あ、そうだ、例の偽物はどうするんだ?」

「ああ、あれか。途中で切ってしまったし、お前に直してもらおうと思って、馬車に積んであるよ」


 直すのか。それでこの家に残るなら、それで別にいいか。


「直した後は戻せばいいんだな?」

「いや、そのままエイゾウのところで預かっておいてくれ」

「いいのか?」

「ああ。偽物とわかったものを置いておくのも不自然だが、あれは事情が事情だからな」


 実際の本物はあっちだしな。気持ちはよく分かるし、そうさせてもらえるなら文句はない。


「分かった。直した後は大事に預からせてもらうよ」

「頼んだぞ。ああ、それともう一つ預けておきたいものを、一緒の箱に入れてあるから、そっちも頼む」

「ん? 武器か?」

「まぁ、そんなようなものだ。扱いに困ってね」

「へぇ、分かった。そっちも責任持って預からせてもらうよ」

「どっちもお前のいいようにしてくれて構わないからな」

「わかったよ。ディアナさんによろしくな」


 そうして俺は荷馬車の荷台に乗り込み、馬車が動き出す。小さくなるエイムール家の人たちに手を振り、エイムール邸に別れを告げ、そのまま都からも無事に出ることができた。


 帰りの道中、カミロとなんだかんだと話をするが、どうも気がそぞろである。その辺りに水を向けてみてものらりくらりとするだけなので、そこには触れずに話をした。

 やがて昼を過ぎるころ、森の入口に到着する。カミロとも一旦ここでお別れだ。店には卸しに行くからな。


「帰る前に荷物を降ろしていけよ」


 カミロに言われて思い出す。そうだった、預かりものがあるんだった。


「どの箱だ?」

「御者台のすぐ後ろの箱だよ」

「これか」


 俺は言われた箱を開けようとする。あれ、この箱って確か……。


 箱の蓋を開けると、そこには布の包と、それを抱いた女性がいた。女性とはディアナである。


「ディアナ!」


 俺は思わず声を上げた。さん付けも忘れている。


「来ちゃった」


 ディアナは茶目っ気たっぷりに笑う。


「いや、来ちゃったって……家はいいのか?」

「それについては、兄さんから書簡を預かっているわ。これよ」


 ディアナが差し出した手紙を受け取る。そこにはこう記してあった。


『やあエイゾウ。君がこれを読んでいるということは、私とディアナ、カミロの目論見は成功したということだろう。君の驚く顔が見られないのが堪らなく残念だが、こればかりはどうしようもない。諦めよう。さて、“もう一つの預け物”だが、俺が伯爵になったことで、一気に彼女の“価値”が上がってしまった。

 元々伯爵家の一員ではあったが、上に3人の兄がいる状態と、男子が1人だけというのとでは、残念だが“価値”が違ってくる。当然、色々煩わしいことも起きる。それから遠ざけるための方策と思って引き受けてくれないか?』


 なるほどね。分からなくはないが、強引な手を使うものだ。


『追伸:ディアナは本当に思うようにしてくれて構わないからな』


 そんな一文もあったが、俺は無視することにした。やれやれとは思うものの、またあの笑顔が見られるなら良いか。


「まぁ、ここまで来ちまったら仕方ない。一緒に帰るか」

「うん! ありがとう!」


 ディアナはいい笑顔で微笑むと、箱の中から出てきた。


 折れた偽物の剣とディアナの荷物も箱から出し、荷馬車を2人で降りて、手を振ってカミロと別れた。

 荷物はあるが大した重さでもないので、スイスイと森の中を進んでいく。二人共言葉少なだが、別にどちらかの機嫌が悪いのではない。少なくとも俺は何を話していいか分からないだけだ。


 しばらく歩いて、もう家の前についた時


「迷惑……だったかな?」


 ディアナが立ち止まってそうつぶやく。


「迷惑? そんなふうに思ってたら、あそこで追い返してるさ」

「ホントに?」

「ホントに。俺は気の利かない、頑固な鍛冶屋だからな。こういうときに嘘をつく度胸はないな」

「ああ、なるほど、確かに」

「そこで納得するなよ」


 ディアナがクスクスと笑う。


「ほら、家に入るぞ」

「ねぇ、エイゾウさん」

「エイゾウでいい」

「え?」

「うちの家族になるんだったら、“さん”はいらない」

「うん、わかった、エイゾウ」

「よし」


 俺は先に家の扉に向かって歩き始める。


「エイゾウ!」


 ディアナが後ろから呼んできた。俺は振り返る。


「ただいま!」


 俺は笑って返す。


「おかえり、ディアナ」

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