"大黒熊"とはよく言ったもので、確かにデカかった。前の世界のテレビで見た、デカいヒグマくらいありそうだ。
「サーミャが襲われたのは、こいつではないのかな……」
こいつ相手だと革鎧とか関係なしに、一発であの世行きの気しかしない。そいつは俺が近づくのに気がついたから逃げたのだろうってことだし、多分違う個体じゃないかとは思う。この何週間かで一気にデカくなった可能性は捨てきれないが。
「すまんな、お前に恨みがあるとかではないんだが」
願わくば、こいつの巣に腹をすかせた子熊がいたりしないことを祈りたい。俺はゆっくりと槍の穂先を熊に向ける。いろんな能力が俺に危険を知らせているが、不思議とワンパン貰って終わり、と言う予感はない。確実に勝てる、とも思えるような状況ではないが、俺にはチートがついてる、と言う感覚が今はありがたい。
のそり、と熊が立ち上がる。ますますデカい。俺の身長の二倍近くあるように思える。それでも俺は腰を低くして、穂先を向けることを止めない。熊は再び四つん這いになって、俺の方に駆け寄ってくる。こうなったら俺の足では離脱は無理だ。俺かアイツか、どっちかが息絶えなければ終わらない。
飛びかかってくる熊の腕をギリギリで
熊はすばやく体勢を変えてこちらに向き直る。だが先に体勢を作っていたのは俺の方だ。すばやく槍を突き出すと、槍は難なく熊の脇腹に突き立つ。
すばやく槍を抜き取り、飛び退ったがギリギリで熊の前足に追いつかれ、衝撃が胸を襲う。飛び退っていたおかげでなんとか衝撃は最小限で抑えられたが、それでも肺の空気が全部出ていくかと思った。こらえて後ろに転がりながら体勢を立て直す。30歳に若返ってて良かったぜ。40だとこうはいかない。今度は逆に前に飛び込みながら、熊の前足を頭上スレスレで躱し、懐に飛び込んだ。一見すると熊に覆いかぶさられているようにも見える。
「俺の勝ちだ」
その体勢のまま、槍を熊の体に勢いよく突き刺した。スルスルと抵抗なく刺さっていく。前にサーミャが切れすぎて気持ち悪い、みたいなことを言ってたが、たしかにこの感覚は慣れないな。そのまますぐに深くまで槍が進むと、熊は俺を払い除け、俺は衝撃でゴロゴロと転がり、槍からは手が離れてしまった。
しかし、今のは手応えがあった。熊は胸に突き立った槍をどうにかしようと
熊は倒れたまま少しの間暴れていたが、やがてそれも静かになった。何かあったらナイフ一本だが、何もないよりはマシだろうと考え、護身用のナイフを抜いて、ゆっくりゆっくり、そろりそろりと近づいていく。呼吸をしている様子はない。少しためらわれたが、足の先でつついて反応がないことを確かめる。相変わらず動きはない。一応警戒を解かずに、刺さったままの槍を抜く。ゴボリと血が溢れてきて、毛皮と地面を濡らし、緋色が雨と混じって広がりながら地面に溶けていく。その間も全く反応はなかった。
仕留めたのだ、と確信した瞬間、腰が抜けた。当然だが、あんなギリギリの命のやり取り、前の世界では1回もしたことはない。それに今回は完全にチートとインストールに頼って戦闘をこなした。相当ギリギリだったのは言うまでもない。
はぁーっと一つ大きなため息をつく。それで人心地ついた。緊張が解けてくると、体中に痛みが走る。当然ふっとばされた時に、無傷ではなかったからだ。擦過傷も打撲も無数にある。改めて体を動かしてみた感じ、骨は折れてないようなのが幸いだ。これで骨が折れていたら、しばらくは建築も鍛冶もできない。今でも最低1日くらいは休む必要があるだろう。
まじまじと
「よいしょ」
槍と一緒に熊の腕を肩に担ぐ。流石にめちゃくちゃ重い。確かヒグマのオスの小さいのでも、250キログラムくらいあるんだっけか。重いが、そのまま引きずっていく。雨が降っているから、血も抜けるだろう。あちこちの怪我もあり、雨で足元も多少不安定になっているせいもあって、思うようには進まない。こうしてる間に別の熊や狼に襲われたら面倒なことにもなるので急ぎたいが、それで熊や狼の気配を見落としたら意味がない。一歩一歩踏みしめるように進んでいく。
来たときのたっぷり倍の時間をかけて、家まで半分ほどの距離まで戻ってきた。ありがたいことに
「うわぁっ!」
ナイフを抜く暇もあらばこそ、俺はそのまま地面に押し倒される。押し倒した"何か"は立ち上がり、熊の方を向き、
それはサーミャだった。俺の首に手をかけていた時が可愛く思えるほど、完全に怒った目をして、熊の方を向いている。俺は起き上がって声をかけた。
「サーミャ! 俺は大丈夫だ! そいつは仕留めてある!」
その声にビクッとしてこっちを振り向くサーミャ。
「本当か? ホントのホントに平気なのか?」
「ああ、あちこち擦り傷やら打ち身やらで痛みはあるけど、大きな怪我はないよ」
それを聞いたサーミャがまた俺に飛びついてくる。多少不意を打たれたが、さっきと違い、俺は受け止めることができた。
「良かった……良かったよぉ……アタシ、アタシ……」
泣きじゃくるサーミャの頭を、俺はずっと撫で続けるのだった。