「か、顔を上げてください」
俺は慌てて女性に声をかける。しかし、女性は動こうとしない。
「お願いします! 私を弟子に!」
これはもしかして弟子にするまで、
周囲にもなんだなんだと人が集まりつつある。俺はともかくこの女性と、何よりサーミャをあまり好奇の視線の中に置いておきたくない。
「とりあえず、店じまいをしてしまいますから、それから話を聞かせてください」
それで女性はひとまず立ってくれた。すかさず、俺はバタバタと店じまいをする。衛兵が来る前に立ち去りたい。あんまり衛兵には迷惑をかけたくないのだ。
俺がこれまでの最速タイムを叩き出して片付け、販売台を持ち、3人で返却場所へ向かおうとした瞬間、マリウス氏と出くわしてしまった。だが、やけにのんびりしているな……。
「おー、ドワーフのお嬢さん、ちゃんと会えたのか。良かった良かった」
「はい! おかげさまで!」
にこやかに返事をするドワーフの女性。あぁ、マリウス氏が朝言ってたのは、この人のことか……。
「マリウスさん、別に朝言ってくれてても良かったのに」
俺はマリウス氏にゆるく抗議する。
「いやまぁ、言ったところで結果は変わんないし、どうしようもなかっただろ?」
それはそうなのだが、こう、心の準備というものがあるのだ。
「それに普段仏頂面なアンタの、あんなに驚いた顔が見られたから、俺にとっては儲けものだったな」
やけにタイミングよく出てきたと思ったら、巡回かなにかにかこつけて遠くから見ていたらしい。
「酷いなぁ……」
「まぁ、許してくれや。ここらじゃあ、こういうことくらいしか楽しみがないんだよ」
「貸しにしておきますからね」
「了解いたしました!」
最後はおどけて敬礼までするマリウス氏。悪い人じゃないとは思うのだが、こういうノリがちょっと苦手な部分はある。とにかく貸しにしたからな。
マリウス氏にも別れを告げ、販売台を返し、新市街にある宿屋に来た。ご多分に漏れず、1階が酒場で2階が宿泊施設になっている。このドワーフの女性は、3日ほど前からここに逗留しているそうだ。
「私はリケ・モリッツと言います」
と、女性は名乗った。デカいジョッキ――ガラス製ではなく、小型の樽に取っ手がついたようなもの――を抱えているが、頼んでたのエールじゃなくて
「家名?」
ボソリとサーミャが疑問を口にする。だが、
「あ、いえいえ、モリッツは家名ではなく、工房名です」
「工房名?」
今度は俺が疑問を口にする番だった。サーミャは隣でエールをちびちび飲んでいる。
「ええ。ドワーフは基本的に、いくつかの家族で集まって工房を持ちます。そこで生まれたり、暮らしたりする人は、自分の名前以外に工房の名前を名乗るんですよ。私だとモリッツ工房のリケ、という意味です」
部族とか、村の名前を名乗るようなものか。
「俺の名前はエイゾウです。こっちはサーミャ」
サーミャがちらっと俺を見た。多分“タンヤ”の方を名乗らなかったからだろう。別にリケさんには言ってもいいのだが、酒場では誰が何を聞いているか分からないからな。こっちの世界にある家名だったら、面倒なことになるし、わざわざそんな危険を
「よろしく」
ぶっきらぼうにサーミャが言う。
「こちらこそ、よろしくお願いします。エイゾウ、さん……北方の方なんですか?」
「ああ。出身はね。ちょっと色々あって、“黒の森”に住み着いて、そこで鍛冶屋をしています」
「なるほどそれで……」
俺の話を聞いて考え込むリケさん。
「どうかしましたか?」
「ああ、いえ、これだけの物が作れる鍛冶屋を、ここに来るまでに見なかったのはなぜか、と思ってましたもので」
「ああ……」
俺はカップの中身をチビリと飲む。水で割ったワインで、そんなにうまくはない。……見た目に反してアルコールに弱いのだ俺は。
まぁ、普通は森の中に工房は作らないよな。もうちょっと流水に近いところで、水車なんかで鎚を動かしたりするらしい。前の世界で鍛造するのに使う油圧式のハンマーとかが近いのかな。俺の場合は森の中に用意されてたから、問答無用だが。
「その辺の事情は深く追及しないでいてくれますと、助かります」
「そうですね。特に興味もないですし」
あっさり言うな、リケさん。
「それで、弟子になりたいというのは?」
俺は話の流れを軌道修正する。
「あ、はい。その話ですよね。ちょっと話すと長くなるんですけど」
リケさんはジョッキの中身をグビリと飲んで、はぁっと息を吐く。
「私と弟たちは工房を出て、研鑽を積むべく各地の工房を訪ねて回っていました。これはと思う工房があれば、そこで弟子入りさせてもらって、やがて元の工房に帰ってその技術を使い、新たな物を作りだし、再び弟子入りした工房に還元する。それがドワーフの生き方です」
え、そんなの“インストール”には無かったぞ。動物の細かい生態とかは入ってないから、こういうのも入ってないんだろうか。まぁそっちのほうが楽しみはあるが……。
「そんな、下手をしたら技術が流出するようなこと、みんな断らないのですか?」
「はい。ドワーフに弟子入りを願われるのは、普通、工房にとっては名誉なので。それにうまく行けば、自分の工房にもメリットがありますからね」
だけど鍛冶屋でない普通の人間は知らないから、あの時、弟子入りの驚きより好奇って感じの目線だったんだな。壁内の鍛冶屋に見られてたら、やっかみを受ける可能性はあるってことか。さっさと立ち去ったのは正解……いや、
リケさんは続ける。
「それで、3日ほど前この街に着いた時に、さっきお会いした衛兵さんが、ナイフを使っているのを見て思わず聞いてしまったんです。それを作った人に弟子入りしたいので、住んでいる場所を教えてください、と。その時はこの街の鍛冶屋だと思ってましたからね」
「ふむ、それが私のだったと」
「はい。ですが、名前も住んでる場所も知らないが、週に一度は自由市に来る。前に来たのがちょうど1週間ほど前だったから、そろそろ来るんじゃないか、そう言われました」
「確かに今はそんな感じですね」
「それで今朝、弟たちを旅立たせて、ロングソードも見せてもらいました。やっぱり弟子入りして、この技術を身に付けたい、そう思っています」
「なるほど。……ん?」
今気になることを言ったな。
「弟さんたちはもうここにはいないんですか?」
「ええ。彼らには彼らが向かうべき工房がありますので」
ニッコリと微笑むリケさん。
「じゃあもし、ここで私が断ったら……」
「女の一人旅で、次の工房を探すことになりますね」
いや、それは危ないにも程があるだろう。と言うか見越して言ってるんだろうな……。ここは観念するか。我ながら甘々だとは思うが。
「分かりました。弟子入りを認めます」
隣でサーミャが大きくため息をつく。すまんな。でも予想してただろ?
「いいんですか!?」
「はい。ただし、条件が4つあります」
「は、はい。なんでしょう?」
「1つめ、私は今回のリケさんみたいな、自分を犠牲にする覚悟で、というのは嫌いです。今後はやらないでください」
「はい」
居住まいを正して、頷くリケさん。
「2つめ、うちには十分な部屋がありません。最初はその建築からになります」
「はい。モリッツ工房でも、家族に子供が生まれたりしたら、部屋の建て増しを工房のみんなでやっていたので、大丈夫です」
「3つめ、さっきとちょっと被りますが、鍛冶以外にもいろいろ手伝ってもらいます」
「はい。弟子入りってそういうことですので」
「4つめ」
「はい」
「敬語はやめにしよう。俺もリケって呼ぶから、リケもエイゾウって呼んでくれ」
「いえ、そういうわけにはいきません、親方!」
それを聞いたサーミャがキョトンとしている。
「お、親方……」
「ええ、私は弟子なのですから、親方と呼んで敬意を表すのが
サーミャはとうとう堪えきれずに笑いだした。お前覚えとけよ。
こうして、だいぶ先になるだろうと思っていた俺の弟子が出来たのだった。