首元に不思議な感覚を覚えて、目が覚めた。いかん、完全に寝入っていた。
あの子は大丈夫だろうかと目を開けると、当の本人が俺の首に片手をかけていた。
「まぁ、こうなる可能性も考えないではなかったが」
俺は努めて冷静な声で言った。
首にかけた手には力はこめられていない。本気で力を入れていたら、あえなく俺の2回目の人生は開始1日にして、寝入ったままあっさり終了していただろう。
「とりあえず、怪我は大丈夫か?」
虎っぽい顔をして、こちらを睨みつけている女の子に声を掛ける。
その言葉が予想外だったのだろう、一瞬キョトンとした表情をしたが、すぐにまた表情を戻して言った。
「まだ結構痛むけど、まぁ、治りそうだ」
「そうか、それは良かった」
俺は心底ホッとして微笑みながら言った。助けようと思って助かったのだから、素直に嬉しい。
すると、女の子は今度はキョトンとした顔のままで、
「お、おう……」
と言った後、顔をそらす。この手を掴んで外すなら今がチャンスだろうが、それをしてこの子の機嫌を損ねるのは多分
彼女はパッと向きなおり、声にやや怒気をはらませて言う。
「アンタ……見たのか?」
彼女の手に少し力が入っている。俺は最初よりも更に冷静になるよう心がけつつ答える。
「処置するのに必要だったからな。誓って言うが処置以外には何一つ触れてないからな」
「本当だな?」
「ああ」
彼女はしばらくじっと俺の目を見つめていたが、やがてフッと軽くため息をつくと、俺の首にかけた手をひっこめた。
「とりあえず、信用するよ」
「そうしてくれるとありがたい」
「嘘をついたときの人間の匂いがしなかったしな」
「そんなのが分かるのかお前!?」
「犬系の獣人とは違って、大きく心が動いたときだけな。今、すげぇ驚いてるだろ」
「あ、ああ……」
処置した時にいらん気を起こしてあちこち触ったりしていたら、さっきのタイミングで嘘がバレてお陀仏だったということか。2日目にしてやたら綱渡りさせられている気がするぞ……。
俺は寝室を漁って、自分の着替えを渡す。
「とりあえずこれを着ろ」
「アタシの服は?」
「血でベトベトだったし、処置するのに脱がせる必要があったから切った」
「……そうか」
「大事なものだったのなら、すまない」
「いや、そんなことはない。ただのボロさ」
今更ではあるが、着る間後ろを向いておいた。
「ところで、アンタはこの家の持ち主だよな?」
着替えた女の子が質問してきたので、俺は彼女の方を向いて答える。
「そうだ」
「こんなとこで何してんだ?」
「鍛冶屋だ」
「鍛冶屋?」
「ああ。……とは言っても、昨日ここに住み着いたばかりの新参者だが」
いつから住んでいることにしようか迷ったが、ここは正直に話すことにする。彼女はおそらくこの辺りを知っている。下手なことを言うのは下策だと思うからだ。
「こんな家、この森にあったかな……」
しめた、彼女はここがどこか知っている。
「ん? 俺が昨日来たときにはあったぞ?」
これ自体はほぼ事実だ。この家が突然
「まぁ“黒の森”のこっち側にはあんまり来たことないから、見落としてたのかも知れねーな」
“黒の森”か。“インストール”された知識に該当があった。
心の中でだけ拍手喝采だが、あまり大きく心を動かしすぎると、こいつに感づかれる。知識と地形を照らし合わせれば、ここの大体の位置はわかる。
「ここは東の方だからな」
「ああ。アタシは北と西でねぐらを回してるから、あまりこっちには来ない」
良かった、合ってた。
「たまに来たと思えば
「なるほどね」
そんなヤバいのもいるのか。多分彼女は弱い方ではない。虎の獣人とは言え、女一人でこの森をウロウロするということは、少なくともそれをしても問題ない、身を護るすべを知っているということだ。
だが、今は怪我も治りきってないし、ここで放り出すのもなんだかモヤっとする。そこで俺は切り出した。
「で、一つお前に話がある」
「なんだ」
「怪我が治るまでは暫くかかるだろ?」
「ああ、多分な。アタシたちは人間よりはだいぶ頑丈に出来てるが、このくらいの怪我だと、まぁ2週間ほどは狩りとか探索は無理だ」
「じゃ、ここに住まないか?」
「は?」
「別に何かあるわけじゃない。俺は越してきたばかりだし、これから先、
「まぁな」
「それに多分ここにいたほうが暮らしは安定すると思うぞ。少なくとも雨風しのげて煮炊きには困らん」
「なるほどな……」
彼女はじっと考え込む。虎っぽいので単純にずっと見てたいのもある、というのは言ったら滅茶苦茶怒られそうなので言わない。
「わかった。怪我が治って、普通に動けるようになるまではここに住むよ。そっから先はそれから考える、ってのでどうだ?」
「おう、構わない」
「じゃ、そういうことで、よろしくな!」
「おう!」
こうして、俺の「猫を飼いたい」という願いは、「虎の獣人の女の子と一緒に暮らす」という予想外な形でおそらくは達成されたのだった。