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異世界に転移する

 目を覚ますと抜けるように青い空が見える。俺は仰向けに寝転んでいる。身体を起こして周りを見れば鬱蒼とした森が広がっている。その中で開けた広場のようなところに寝転んでいたようだ。

 パッと見た限りでは日本となんら変わらない森。


 しかし、俺はここが日本どころか、そもそも地球上ですらなく、さらに言えばもうあの世界でもないことを知っている。


 ここは、だ。


 そもそもは残業に次ぐ残業でもうテッペンを回ってから会社を出て帰ろうとした時、フラフラと歩く野良猫を見つけたところから始まる。

 その野良猫に負けず劣らずフラフラと歩きながら駅に向かっていた俺は、その猫が道路のど真ん中へフラフラしたまま向かっていくのを見てしまった。


 その向こうからはトラック。全く減速する様子はなく、猫には気がついていないだろう。疲れていたのかなんなのか、それを見た瞬間に俺は猫に向かって走っていた。


 俺が猫に近づくたびに、トラックも猫に近づいていく。これは純然たる競争だ。俺とトラックのどちらが先に猫に到達できるか。

 速さで言えば当然トラックの圧倒的勝利だが、距離で言えば俺のほうがかなり近い。

 しかし、ある程度まで近づいたのに届かない場合はトラックの一人勝ち(どういう意味の勝ちなのかどうかは一旦置いといて)である。


 俺と猫の間がドンドン縮まり、そして俺の手が猫の胴体をひっつかんで放り投げた。その直後、ドン、という音とともに俺の身体は宙を舞い、薄れゆく意識の中で、火事場の馬鹿力ってあるんだなぁと的はずれなことを考えた。


 どれくらい時間がたったのかは分からない。すぐなのか、それともかなり長い時間なのか。俺はふと

 目を覚ました、でないのは、そこが真っ白な空間で、俺の身体も何も見えなかったからだ。

 意識が何かを認識しているのは確かだが、これは果たして「起きている」と言えるのかはかなり怪しい。意識がはっきりしているとも言えるし、朦朧としているとも言える、そんな曖昧な状態だ。


 そこに語りかけてくる"声"があった。かなり若い女の声だ。


「やあ、目を覚ましたかい?」


「この状態をそう呼べるのならそうだな。起きてるよ」


 俺は端的に事実だけを答えた。この"声"でのやり取りも、明確に音波が耳に届いて「聞こえている」ということではないし、逆に俺も肺から空気を送り出し、声帯を震わせて音波を発しているわけではない。


 この感覚を表現するなら、テレパシーかも知れない。

 誰かが自分に対して、そういった意思の疎通を図ろうとしていることが感じ取れる、逆に俺は誰かに向かって意思の疎通を図ろうとしている、という非常に迂遠なイメージでの"会話"だった。


「とりあえず魂に欠損はないようだね。本来、魂の保存はボクの権能で許される範囲を少しだけ超えてしまっているんだ」


「ふむ。言っている意味がよく分からん」


「まぁ、簡単に言えば、君は"あの世界では"死んでしまった。普通、あの世界に限らず、どの世界でも死んでしまった人間の魂は

 そうだね、キミのやっていた仕事風に言えば、確保していたメモリが解放されるようなものさ。で、ボクはそのメモリを解放されないようにロックをかけたんだけど、これは本来ボクの権限ではやっていいことではない、ってこと」


「なるほど、状態そのものは分かった。で、これからどうしようって言うんだ?」


 俺は不思議と落ち着いていた。「お前は死んだ」という非常に重要なことをさらりと宣言されたにもかかわらずだ。


「良かった、落ち着いているね。大変申しわけないんだけど、今はキミの認識を少しいじって、死に対する概念を一時的に希薄にさせてもらっている。

 そうしないとキミの魂が壊れてしまう――さっきの例えで言えば、本来は解放されているべき、と気がついてしまったメモリはGCガベッジコレクタよろしく自らを解放してしまうからね。

 そうなれば当然その中のデータは消し飛んでしまい――キミという概念は肉体も魂も消滅してしまう」


「ふーむ。それも今は冷静に理解できる」


「うん。ありがとう。それで、キミはこうなる前に野良猫を助けたね?」


「ああ。それは間違いない。俺は猫が好きだからな」


 齢は40をいくばくか過ぎ、"外見的には完全にヤクザ"、"そこまで行かなくてもカタギには見えない"などと言われる外見の俺であるが、割と可愛いものは好きで、猫は殊更大好きだった。


 それと連日連夜の激務、寄る年波で落ちた体力、それに伴って限界以下まで落ちた思考能力、これら全てが(完全に間違った方向にではあるが)奇跡的に噛み合ってしまった結果、俺自身にああいった行動を取らせたのだろう、とこうなった今ではそう思う。

 それは突き詰めれば「猫が好きだから」というただその一点の理由に尽きるのだ。


「結論から言えば、アレはボクで、ボクは"世界を見張るものウォッチドッグ"なんだ。と言っても分からないだろうね。平行世界、という概念を聞いたことがあるかな」


「ある。SFやらファンタジーやら、そういった作品には結構触れてきてたからな」


「なるほど。それなら少しは話が早いか。ボクはその平行世界を渡り歩いて、他の平行世界に悪影響を及ぼすようなものがないかを見張る、というのが役目なのさ」


 そういう声|(ではないが)からは少し自慢げな様子が窺えた。まぁ確かにそのような役目はよほどの人物でなくては務まるまい。


「へぇ、結構偉いんだな」


 俺は素直に褒めた。


「ま、とは言ってもピンキリで、ボクはキリの方から数えたほうが早いんだけどね」


 どうやら褒めて損したようだ。


「でも、余人に務まるような役目でないことは分かってほしいかな。平行世界への影響の兆候を見逃して、実際に手を打てる段階を超えちゃったら大変だからね。

 実際に手を出すのはボクの領分じゃないんだけど、まぁ、ボクの役目が分かったところで、解説に戻ろう」


 居住まいを正し(たように感じ)、彼女(らしき気配)は言葉を続ける。


「キミの居た世界ではボクは猫の姿でその"見張り"の役目を続けていた。そこでドジって死にかけたところをキミが助けてくれたというわけだ。

 ついでに言うとここはボクたちみたいなのが使っていいことになっている世界と世界の隙間だよ」


「世界を見張るような役目のやつが、トラックにはねられたくらいで死ぬのか?」


 俺は素朴に思ったことを聞いてみた。そんな重要な役目のやつが普通の生物となんら変わらない、というのはシステムとしては非常に大きな脆弱性に思える。


「それについては、"死ぬ"のはあくまであの世界でのボクのの肉体だけで、魂はずっと生き続けるよ。仮の肉体はあの世界での普通の生物の姿を取るし、物理強度もそれに準ずる。

 そうしないとやたら物理強度の高い生物として記録されかねないからね。


 で、ボクの仮の肉体が死んだところでさほど世界に影響はない。元々あの世界には影響を与えないように肉体を作っているからなんだけど、キミの場合は肉体が死んでも、それはそれでちょっとした問題が発生するんだよ。


 さっきまで話していた平行世界との兼ね合いだ。キミは平行世界は微妙な差異しかない世界もいくつも存在している、と思っているかい?」


「ああ。少なくとも俺の知識、というか、読んだり遊んだりしてきた作品ではそうだった」


「例えば、キミが"今日はちょっと飲んで帰るか"と思い、そうした結果、帰る時間にちょうど電車が遅れて家に帰るのがひどく遅くなってしまった、という世界と、"いや、やはり家にはまっすぐ帰ろう"と帰った結果、電車の遅延に巻き込まれずに済んだ世界に分岐している、ということだね」


「そうだな」


「端的に言えば、世界はそうなってない。そんな細かな差異は世界には存在しない。

 もしキミが"飲んで帰る"と決断したなら、それは世界の調和としてそうなっているんだ。


 この場合、キミがまっすぐ家に帰って、電車の遅延に巻き込まれずに家に早く帰ってしまうことで、大なり小なり世界に問題が発生するんだろう。


 例えば早く帰って近所の夫婦喧嘩を耳にして通報してしまうことで、そこの家庭の調和が乱れた結果、生まれてこない人物がいて、そうなると世界にとっての損害が発生する、とかね。

 "歴史にifは存在しない"というやつさ。本来の意味とは意味合いが異なってくるけれどもね」


 わかったようなわからないような説明だ。俺は黙ることで話の続きを促した。


「と、横道に逸れすぎたな。ともかく、世界はそうなってる。細かい分岐によって世界が枝分かれしない以上、"この世界に似た世界のキミ"はあくまでもキミ1人だ。他には存在しない。

 で、キミはあの時点で死ぬべきでは本来なかった。ボクを助けたせいだ。これは世界にとってイレギュラーとなるし、キミにとっても同じ話なのさ。


 もちろん、ボクにもね。三者三様にイレギュラーだったため、この世界にはキミの代わりを補填することになった。

 あの世界として辻褄を合わせるためには"奇跡的に無傷で死ななかったことにする"のが手っ取り早いんだけど、助けたのがボクで、ボクはキミが死んだところを観測してしまった。


 こうなると完全になかったことにするのは無理なんだよ。ボクは"複数の世界の状態を監視して報告する"のが仕事だから、見てしまったものは複数の世界に報告され記録されてしまう。

 そうなると、あの世界への影響はどうあれ、キミは一旦あの世界では"死ぬ"んだ」


 話の雲行きが怪しくなってきた気がする。


「とすると? 手のうちようがないように聞こえるが、そんな状態で俺の魂だけを保存した理由はなんなんだ?」


「うん、この世界にはキミの代わりを入れるとして、他の世界にキミの存在を入れ込むことになった」


「それはやっても大丈夫なのか? 今まで聞いてきた話を考えると相当にまずそうだけど……」


「うーん、なんと言ったらいいのかな。あの世界ではキミがいない状態で、キミの代わりを入れるか作るかして、バランスを保っていくしかないんだけど、同じように誰かがいない代わりに、キミを入れ込む余地がある世界がいくつかある、というのが一番わかりやすいと思う。

 まぁ、ボクの担当している世界の中から選ぶ必要があるから、数は少ないけどね」


「つまり、"存在の入れ替え"のようなものを行う、と?」


「お、物わかりがいいね。助かるよ。そうだね、ものすごく簡単に纏めてしまうとそうなる。そうすれば元の世界では死んだ、という事実は変わらずに次の世界でもちゃんと存在し続けられるというわけさ」


「なるほどね。質問いいか?」


「どうぞどうぞ」


「そうする理由はなんだ?」


「あー、うん。今から説明するのもそこでね。簡単に言えばボクのミスで目の前で死ぬはずでない人が、1人死んでいくのは寝覚めが悪いってことかなぁ。

 あとはまぁ、世界同士のつじつま合わせだよ。そうするだけの理由がこちらにはある、とだけ今は思っておいてほしい」


「ううむ、納得してるかと聞かれると微妙に納得はできないな。でも、どのみち選択肢もないんだろ?」


「そうだね。そこについては謝っておくよ。なので、キミには世界を選択する権利と、いくつかその世界で優遇――平たく言えばチートだね、を与えることができる。

 チートによって行き先の世界のバランスとか、他の世界のバランスが崩れることは基本的にはないから、安心して要望を言ってくれ」


「そうだな……」


 俺は考え込む。せっかくもらった二度目の人生だ、あんまり無駄にはしたくない。バランスが崩れることがない、という事はそんなに凄い能力だったりはしないのだろう。

 そうなれば遠慮はいらないか。俺はそう思い、要望を口にした。


「俺はものを作るのが好きだったから、ものを作って生活できる世界だといいな。だから、能力もそれに合わせたものにしてほしい。欲を言えばそこで一人で自活できる能力も欲しいかな。

 あとはさっきチラッと話したが、猫が好きだから、可能なら猫を飼いたい。要望はそれくらいだ」


「ふむ……」


 今度は"女の声"のほうが考え込んでいるようだった。


「送れそうな世界を考えると、送り先は剣と魔法の、いわゆるファンタジー世界になるがいいかい?」


「かまわない」


「それじゃあそれに合わせた能力を与えることにするよ。ものを作ると言ってもいろいろあるけど、希望は?」


「刀鍛冶とかに興味があったな」


「じゃあ、鋳掛屋いかけやじゃなくて鍛冶屋を最優先……と。余っているリソースは言語と生産系を優先的に、戦闘とかその他諸々に回しておくよ。自衛もいるだろうからね。

 生活には必須じゃないから、魔法の方は最低限にしておくけどいいかい?」


「ああ、それでいい」


「あとは……年齢はどうする? 別に何歳が入っても大丈夫にはするから、好きな年齢を言ってくれたまえ。それこそ10代から、あんまり選ばないとは思うけど70歳代でも問題ないよ」


「ううーん。別にそんなに若いことに魅力は感じないからな……」


 とは言え、それなりに長く第二の人生を歩みたいものである。長いのか短いのかよくわからない時間考えて、出した結論は――

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