春の授けの儀式の翌日。
東向きの窓の鎧戸から漏れる朝陽に、室内がほの明るくなる頃。
ナインは大きく伸びをしてベッドを抜け出し、窓を開けた。
少し冷たい春の風が、眠気をゆっくりとさらっていく。
「ふぁ~あ、神殿に行かなきゃな~」
人生の仕事始め、昨日『スキル』をもらった子どもは、希望を胸にどこの師匠の戸を叩くのか。
あいさつが終わったら、そのまま見習いとして作業に入る子もいるのかもしれない。
それを思うと、自分が出遅れた気がしてもどかしい気持ちになるが、大切な人生の選択だ。
ちゃんと聞いてこよう、とナインは気合を入れながら1階に下りた。
台所には、さっきまで人のいた気配が残っているが、母親の姿はない。
納品物を入れた袋を背負って、服飾ギルドに出かけたのだろう。
いつものように家事と妹の世話をしながら、帰ってくるのを待つことにする。
裏の井戸で顔を洗うと、冷たい水で洗濯を始めた。
妹が起きてくるまでに終わらせてしまいたい、と近所のおばさんたちに混じって手を動かしていると、「おやおや~?」と粘っこい声で話しかけてくるやつがいる。
このダミ声は顔を見なくてもわかる、2軒隣に住むゼッタだ。
同い年のせいなのかなんなのか、ナインを下に見てからかってくる嫌な相手で、姿を見ると必ずと言っていいほどからんでくる厄介者である。
どうやら食器を洗いに来たらしいが、手を動かさずにナインを口撃しようとそばに寄ってきた。
「ナインは使えない『スキル』をもらったみたいだけど、なにをするのかなぁ? いつものように走り回ってこづかい稼ぎかなぁ? くふふ」
いつものことだと、ナインは相手にせずに黙々と洗濯に集中する。反論でもしようものなら、かえって図に乗るから、基本放置するのが常だ。
「オレが兵士になったら、こづかいやるからな。言うこと聞いて働けよ~!」
(まだ『スキル』をもらってないのに、兵士になると言いふらしてだいじょうぶかな、こいつ)
よく食べるゼッタは身体が大きいから、兵士に向いている『スキル』を授かるかもしれない。だが、こいつの性格で街を守るのはムリなんじゃないかとナインは思う。絡みたくないから言わないけど。
ナインはさっさと洗濯物を絞ると、しつこく絡んでくるゼッタを置いて家に戻る。
夏の授けの儀式でゼッタが『スキル』を授かる前に、自分の『スキル』を使いこなさないとな、と気を引き締めるナインだった。
洗濯を屋上の物干し場に干して、起きてきた妹に食事を食べさせていると、母親が荷物を背負って帰ってきた。いつもより量が少ないようで、仕事がなかったのかと心配するナインの頭を、母親は微笑みながら撫でた。
「刺繍の仕事があったのよ。早い者勝ちだったから、朝早くに行ってきてよかったわ。これでしばらくは、ナインも無理して働かなくていいのよ。自分の仕事をじっくり探してね」
「母さんもムリしないでよ。刺繍は目が疲れるんだろう?」
「だいじょうぶよ。久しぶりに刺せるのが楽しみなの。やりがいのある仕事よ」
そう話す母親の目は、キラキラと輝いていて確かに仕事が楽しいんだろうな、と思うナイン。自分もそういう仕事を見つけたいな、と思いながら、妹の口を拭いてあげるのだった。
一通りの家事を終えると、ナインはティントとの待ち合わせ場所に走った。昨日、大神官に勧められたように、神殿で話を聞きに行くのだ。
「緊張するよね~。ドキドキするよ~」
「ティントはいっつも緊張しすぎ。って、おれもドキドキしてるけど」
ナインの緊張は、意味不明な『スキル』が使い物になるのかわからない不安からくるものだ。正直、授けの儀式を受けたときよりドキドキしている。
道すがら胸を押さえながら進む2人は、ほどなくして神殿に到着。神官に話しかけると、それぞれ別の神官に案内されることになった。
「ナイン、帰りも一緒に帰る~?」
「いや、おれは話を聞いたら終わりだから、先に帰ると思うよ」
「そっか、じゃあね~」
「ああ、良い師匠が見つかるといいな、どっちも」
そう言って別れ、長い廊下を歩いた先の小部屋で待つように言われた。小さなテーブルをはさんで向かい合う椅子に座り、担当の神官を待つ。いつもなにかしら動き回っているナインには、ただ待つという時間がすごく長く感じた。
ジレジレして待っていると、扉が開いて神官が入ってきた。30代くらいの柔和な顔つきの神官だ。
「お待たせしました。きみがナインくんですね。はじめまして」
「はじめまして。よろしくお願いします」
「私は神官のオクトです。話は聞いていますよ。『インスピレーション』という珍しい『スキル』を授かったのですね」
「そうです。それで、なにかわかりましたか?」
気が急いて被せ気味に訊いたナインに、オクトは穏やかな表情で首を振った。
「古い本や文献も探してみたのですが、そのような『スキル』は見当たりませんでした。どうやら新しい『スキル』のようです」
「新しい、ですか・・・・・・」
「この世にはたくさんの『スキル』がありますが、毎年いくつかの新しい『スキル』が現れるのです。なので、そう落ち込むことはありませんよ。新しいということは、大きな可能性を秘めていると私は思うからです」
「大きなかのうせい?」
「前例、いえ、見本がない分、使いこなすにはいろいろ試したり、失敗を重ねたりすることもあるでしょう。さまざまな経験をすることで、あなたにしかできないことができたり、新しい仕事を生み出したりするかもしれません。そう考えると、とても希望のある『スキル』だと思いませんか?」
「新しい仕事? 希望のある『スキル』・・・・・・」
神官の優しい声色でそう言われると、ナインもだんだん自分の『スキル』が特別なものに思えてくるから不思議だ。ここに来るまで緊張して不安しかなかったが、それが少し薄くなった気がしてきた。
「ナインくんは、どんな仕事をしたいと思っていますか?」
「仕事、は思いつかないけど、母さんとクイナ、妹がちゃんと食べられるように稼ぎたい、です」
「そうですか、ナインくんはとても家族思いなのですね。私も他の神官たちと話をしたのですが、この仕事が良い、ナインくんに勧めたい仕事はこれだ、という結論は出ませんでした」
「そう、ですか・・・・・・」
ナインの気分は地の底まで落ちた。なんでも知っていそうな神官がそう言うのなら、自分に合った仕事はないんじゃないか、と絶望しかない。
「ああ、そんなに肩を落とさないでください。『スキル』の神は『直感』と『ひらめき』を告げたとも聞きました。その通り、ナインくんは、自分の『直感』と『ひらめき』を大事に行動すれば良いのだと思います」
「『直感』と『ひらめき』ですか?」
「そうです。勘の良さ、というものでしょうか。なにか選んだり、決断したりするときに『スキル』を意識しながら、決めることにしてみてはどうでしょうか。きっと感覚的にわかってくると思いますよ」
(え~と、つまり、どういうことなんだ?)
にっこりと微笑む神官を見ながら、ナインは思考の海に沈んでいった。