「――なんだ、結局食べたいだけかよ」
「しょうがなくない!? こんなに美味しそうなのみつけちゃったんだから!」
子供のように目を輝かせてはしゃぐルナイル。
俺とシルフィアは隣に座ってそれを暖かい目で見ている。
そんな俺たちの目の前にあるのは――
「へぇ、これが味噌煮込みうどん、ってやつなのね」
「そうだな、やっぱり名古屋に来たならこれは外せない」
「もう、そんなこと言わずに食べよう? 私もう待ちきれないよ!」
「食いしん坊シルフィア……おっといけない。じゃあ食べるか!」
「うん、いただきますっ」
「「いただきまーーーす」」
熱々の湯気が立つ味噌煮込みうどんの器から一口分取り、口に運ぶ。
うん、やっぱりこの味だ。いつ食べても美味い。
「すごい、異世界にはこんな麺っていうのがなかったけど、すんごく美味しい……! なんてったって、熱々の……味噌? っていうのが初めて食べるけどいい味出してる!」
「よくわかってるなシルフィア。少し濃いめの味って言われることもあるんだが、俺からすればこれがまたいいんだよ」
「ね、私はこの先も伶のところに住むから、これが定期的に食べられるとか最高じゃん!」
「それはよかっ――」
ん? 待てよ?
ふと、ある文言に引っ掛かりを覚えてうどんを食べる手が止まる。
今のシルフィアの——「伶のところに住む」という言葉。
そう言ったよな……うん、何も間違ったことは言っていない。
だって、シルフィアは俺の家――正確に言えば俺の部屋から直接行き来できる、アイテムで作られた空間、通称「門」――に住んでもらっているわけだから。
けど、改めて言葉にされるとなんだか変な感じがする。
言い方を変えてしまえば、俺とシルフィアは「同棲」するってことになる。
もちろん変な気を起こすとかはさすがに度胸がないのでできないけど――俺で大丈夫かなって思ったりする。
「伶。急に言葉が途切れたけどどうしたの?」
シルフィアから心配そうに話しかけられ、ようやく我へともどる。
ルナイルは相変わらずうどんを啜っているようだ。感想のひとつでも言えばいいのに。
「だ、大丈夫だ。問題ない」
「本当に? 治癒魔法使った方がいい?」
「そういうのじゃないから! ほら、食べようぜ。冷めちまう」
そう言って俺もうどんを啜りに戻ろうとするが――
「うーん、熱はないみたいだね」
「――っ!? シルフィアさん???」
――それを阻止するかのように、横から俺の額に手が伸びてくる。
「けど、やっぱり心配だから額で……」
「!! 大丈夫だから――」
俺のささやかな抵抗にも、シルフィアは全く聞く耳を持たない。
こうするのが当たり前だ、と言わんばかりに俺の額とシルフィアの額が近づいて――くっついた。
「ん、問題ないみたいだね」
「そ、そりゃあな……」
額は問題ない。ただ――今は頬がすごく熱い気がする。
こんな近くにシルフィアの顔があって、いやでも美少女なのだと再確認させられる。
そして、その美少女の顔が至近距離にあることに、緊張と幸福感を覚えていた。
「――というかシルフィアさんや、そろそろ離れていただけると……」
「あっ。ごめんごめん、冷めちゃうって言われてたとこだもんね」
謝罪とともに額からシルフィアの熱が消え、同時に頬の熱も少しづつ冷めていく。
そのことに寂しさも感じながらルナイルの方を見てみると――
「イチャつき終わりました? 随分とお熱かったようだけどねぇ?」
さっきまで熱いうどんを食べていたはずなのに、それとは真反対の冷たいオーラを漂わせて俺たちの方をジト目で見ていた。
「「――すみません」」
「まったく……。ふたりとも、ちょっと目を離した隙にすぐふたりの世界に入るんだから……」
うぐっ、と図星をつかれた声が出てしまった俺たち。
自覚はあるからね。仕方ないね。
心なしかさっき冷えた頬が再び熱くなってきている気がする。
ただ、それよりも――シルフィアの頬が、ずっと赤くなっている気がする。
「ところで、このうどんめっちゃ美味しいね。私もいっぱい食べたいし、シルフィアと一緒に食卓を囲ませてちょーだい!」
言われて気づく――俺の家には、年頃の男と、女子が二人同棲しているということに。
果たして大丈夫だろうか。俺の心労がすごいことになってしまう気がしてきた。
まぁ……なんとかなるだろ。人生はそんな感じで進むもんだしな。
「ってかルルちゃん、ほっぺにねぎついてる」
「えっ!? 本当ですか!?」
「ほんとほんと、ほら右のほうに……」
「ちょっと! どこですか!!!」
普通ネギほどの大きなものがついていたらわかるだろうに、と思いくすくす笑う。
最近はダンジョンにいて、身バレの危機だったりして大変だったけど。
たまにはこんな、ほのぼのとした日常も――
「ねぇレイ。このネギとってくれない?」
「えっ!? 俺!?」
横を見ると、シルフィアがやけに、「私がやりました」みたいな顔でにやにやしている。
シルフィアならば何らかの魔法を使ってこんなことをさせることもできるかもしれない。それができるほどの魔法の腕を持っているはずだ。
「ほら、取ってあげなよ?」
ニヤつきを更に深めるシルフィア。
あぁもう! 取ればいいんでしょ! 取れば!
「――わかったよ。ほら、ルナイルこっち向いて」
「取ってくれるのね。ありがとっ」
ルナイルがこっちに身を乗り出してくるのと同時に、俺もルナイルの方に身を乗り出して手を伸ばす。
やっぱり夢だろ、これ。現実味がナッシング。
「レイ? 大丈夫?」
「あぁごめん、とるからとるから」
ったく。今日はなぜだかすぐに想いに浸る。
そんなに感傷的になることでもあったっけ。
「――っ」
ルナイルが息を呑む。どうしたんだろう、と思ったがよく考えてみたら俺の手がもうすぐ彼女に当たるというところまで来ていた。
いや、大丈夫。
俺はただ、ルナイルの頬についたネギを取ってあげるだけ。それにどうということはない。普通に、友人と接しているみたいにすればいい。
「じゃ、取るぞ……」
その一言とともに、ルナイルの頬に張り付いたネギをとってやる。
その時に触れた頬は自分のそれとは全く違うやわらかさをしていて、暖かな熱が伝わってきた。
そこから手を引いて、元に戻ろうとすると――ルナイルと目が合った。
――お互いに、何も言わない無言の時間。
ただふたりで目を合わせているだけ。
けど、そこに気まずいとかいう感情はない。
なぜかは分からない。わからないけど、少し心が暖かくなる——そんな感じ。
そして、少し顔が、頬が緩む。
俺にしかわからないくらいに、ルナイルが笑顔になる。
俺もそれに呼応するように笑顔になって――
「えーっと、ゴホン。おふたりさん、そろそろ現実に戻ってもらっていいかなっ?」
「すみませんでした!!!」「えっ、あっ、なんかごめんなさい!」
――今度はシルフィアからの言葉で我に戻る。
「全く、二人とも……。ルルちゃんも私のこと言えないね?」
「う、うぅ……。これはきっとレイが悪いのよ! 急に頭がぼんやりしたのも全部!」
「うんうん、まさにその通り。ねー?」
「ねー!」
どこが??? と聞きたくなってしまうが。多分それでは彼女達の思うつぼなんだろう。要するに無自覚って言われてる訳だし、それを裏付けるだけになってしまう。
「ごめんって、二人とも」
「ふっふっふ。悪いって思ってるならお願いを一つ聞いてもらおうかな?」
ビシッ! と俺の方を指さしてシルフィアが言う。
「この夏休み、私たちと色んなところに行こう! 決定ね?」
「あたしからもお願いっ。商人として、もっとこの世界を学ばないといけないしさ!」
……なにを言われてしまうのかと思って身構えていたが、彼女たちから言われたことは何の負担にもならないことで。
それどころか――
「それは俺の方からお願いしたいことだぞ。シルフィア、ルナイル」
「ほんと!?」「やった!」
ふたりが喜びを爆発させる。
俺の行動が、俺の存在が、この2人を笑顔にしている。
少なくとも、今この瞬間は純然たる事実なはずだ。
その事実があるだけで、俺は幸せを感じられる。幸せと思える。
「――いっぱい遊ぼうな、二人とも」
「「もちろん!!」」
それは、この先に続く夏休みも、その先も。
いいものになると、いい思い出になると、確信した瞬間だった。