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幕間:天使と魔族の嗤い声

 ドンッ! と机を叩く音が聞こえた。

 白い手袋に包まれた拳を受け止めた机は折れ曲がり、まともに使える状態ではなくなってしまった。


 普通は真面目な会議中に鳴らさないはずの音だが、周りにいるのは彼の――そして、神の忠実なる下僕。

 例え上司が鬼のような形相で歯を食いしばっていたとしても、それを嘲笑したり恐れたりする間抜けな、愚かな、無礼な者はここにはいないのだ。


「……もう一度聞きましょう。あの使えないバカは、ダンジョンでどうなったのですか?」

「恐れながら申し上げます。我らが同胞第四大天使ネルヤ=アルカンゲルは、かの精霊をまとわせる女、シルフィア・アヴァイセルによって討伐されました。なお、受付にいた第十七天使ヒューディル=エンゲルが我らが心臓たる天父の欠片フォズルシャードを目撃しており、第四ネルヤのものと特徴が一致していましたので証拠は充分かと」


 彼――第三権天使コルメ=アルカイは、台パンを敢行しようとして机がないことに気づき、ひしゃげた机を次は蹴飛ばした。


 目の前にいる別の権天使アルカイに当たりそうになるも、《守盾《ディード》》と呟くだけで魔法により受け止められ、床に落ちる。


 この場には権天使が4人いるが、一言も発しない2人は黙って見ているつもりのようだ。

 出しゃばるべきでないという合理性か、面倒だからという心理なのか、真相は神のみぞ知る。


「突然失礼する。先程の物音はなにか。報告願う」


 突然壁をすり抜けて入ってきた、無機質な見た目の幼い女の子が平坦な声で言った。彼女もまた天使の一人である。

 しかし、その態度は明らかに上位者であることを主張するかのよう。事実、権天使よりも高い位の天使――主天使ドミニオンなのだ。


 それは、彼らの属する聖霊ゴーストより上の存在、チャイルドであり、文句の一つでも言ってしまえば即刻首が飛ぶほどの差がある。


 いきなり上司が入ってきたことで少し、いやかなり動揺する第三権天使コルメ=アルカイだったが、なんとかビジネススマイルを浮かべ、「問題ありません」と一言。

 主天使ドミニオンはその場をぐるりと一瞥し、「……計画に支障が出る場合は即座に報告を。独断専行は違反とみなす。我らが神の加護があらんことを」とだけ伝え、また壁をすり抜けて消えていってしまった。


「……なぜ、なぜ主天使ドミニオンがいらっしゃるのだっ!!! おかしいだろおお!!!! 私はただ、ただ神のお役に立ちたいだけなのに!! ……失礼、取り乱してしまいました。では、会議を再開しましょう」

「では、一つ私から報告が」

「聞きましょう」


 あまりにも早い切り替えは、伶がこの場にいれば「ダメだこいつ早くなんとかしないと」などと言われてしまいそうだが、ここは天使の集まり。

 そんなミームに汚染された者はおらず、黙りこくっていたうちの一人が手を上げて発言した。


「前回の実験は成功を収めています。ということは、次の場所で実験を行うことができるという証。既に我々のチームが準備を進めています。実験場所はB級ダンジョン、【常夏の清流】。ここで魔物の強化実験を行います。これからの時期は人も多くなるので、実験の成果をチャイルドの方々にも証明することができるでしょう」

「おお! それは素晴らしい! それを足がかりに我々の地位向上を目指しましょう! そして、実験を邪魔する者どもに天使の威を見せつけてやるのです! では皆様、我らが神の加護があらんことを!」

「「「我らが神の加護があらんことを」」」


 そして、会議室から天使の姿は消えたのであった。


 ◇


「ふむ、あの二人は外で上手くやっているようね。なによりだわ」


 D級ダンジョン【第一歩の境界線ファースト・ボーダー】の「壁の中」にある部屋で、一人の女性が手に持つ資料を見て言った。


「最近、ユーフォス様はその二人にご執心ですね」


 隣にいる、ユーフォスの部下の女がぶっきらぼうに呟く。


「言ったわよね、あの二人は重要案件だって。あなたはしっかり動向を調査していればいいの。それが魔王陛下への忠誠に繋がるから」

「……それにしては、時々資料片手に笑ったり寂しそうにしてたりしますけど」

「ぎくっ」


 あんまり口で言う人いないですけどね、と寂しそうに目を逸らす部下。


 ユーフォスには見えていないが、その口は「私にももっと興味持ってほしいのに……」と動いていた。


 沈黙が訪れ、次第に聞こえていなかったかどうか不安になり顔が赤くなる。身体が熱を帯びるのが分かる。

 うずくまって鏡を見たい、と思っていたとき、ふと話題を逸らす方法を思いつく。


「ユーフォス様、例の件についてご報告がっ」

「そういえば、今回はあなたが担当だったわね。聞かせてちょうだい」


 心の中で安堵するも、また今日も思いを伝えられなかったと残念な気持ちが渦巻く。

 しかし、そのどちらも胸の中にしまいこみ、代わりに例の件についての知識を引っ張り出してくる。


「今回の『バカンス』は趣向を変えてダンジョン、【常夏の清流】などどうでしょうか。豊かな自然と美しい川、そして綺麗な海を兼ね備えた最高のダンジョンだと思います!」

「ほぅ、そこを選ぶのね。いいセンスしてるじゃない」

「ありがとうございます!」


 小さくよしっ、とガッツポーズ。


 彼女ら魔族の先遣隊は、いつもは姿を変えて上の世界でバカンスをしているのだが、ユーフォスのありのままの水着姿を拝みたいという不純な理由により、彼女はダンジョンを選択したのだった。


 このダンジョンは同時に入らないと遠くに飛ばされることで有名であり、それは救助が実質不可能と言うことでもある。

 その性質がB級指定の原因の一つなのだが、彼女からすれば「邪魔者が来ない」程度にしか思っていなかった。


 自らの身体が狙われていると知る由もない——ことはないはずだが鈍いため気づかない——ユーフォスは、「あの二人は誘ったらきてくれるかな? いや今や話題の渦中にいる人気者……私のこと覚えてるかなぁ」とニマニマ笑っているのだった。


「それじゃあ、それについては報告回しておいてちょうだい」

「了解です」


 ——こうして、運命の悪戯か。天使と魔族が一堂に会することとなるのだった。


 今はまだ、誰も知らない。このバカンスが、歴史を動かす大事件になることを。

 下心がとんでもない飛躍を生むことを。


 ◇


 一方、夏休みを目前にして気が緩んでいる授業中の伶はくしゃみをしていた。


「夏になっても花粉症か……?」


 などと呑気なことを呟きながら。




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