ヴェンデルガルトが目を覚めると、目の前にすぐ前に男性の寝顔が見えて、一瞬で目が覚めた。寝ている、アロイスだ。彼を起こさないように視線をさ迷わせると、どうやら昨日寝てしまったヴェンデルガルトを、ベッドに運んでくれたらしい。アロイスは、添い寝をしたのだろう。
――
「そんなに眺めるほど、いい男か?」
瞳を閉じたまま、アロイスは楽し気にそう言った。びっくりしたヴェンデルガルトは体を震わせて、掛けられていた布に顔を埋めた。
「心配しなくても、婚礼前に手を出すなんてしない。余程疲れてたんだな、全然起きなかったぞ?」
そろりと顔を上げると、あの懐かしい赤い瞳が笑っていた――だが、やはりどこか違う。
「腹減っただろう、すぐ飯を用意させる。嫌いなものは無いか?」
「多分……ないと思います」
南の食事も、ヴェンデルガルトはあまり知らない。特別苦手なものは無く、知らないものも興味津々に口にしていた。
「分かった」
そう言うとアロイスは欠伸をして起き上がると、部屋を出て行った。彼と入れ替わる様に、昨日の女性達と同じ姿の、黒髪に黒い瞳の少女が部屋に入って来た。
「おはようございます、ヴェンデルガルト様。私はあなた様の身の回りの世話をさせて頂くベルト、と申します。よろしくお願いします」
まだ、少女と呼んで構わない年齢だ。あどけない顔をしているが、感情が読み取れない。
「おはようございます。ベルトさん、あなた何歳なの?」
「この春で、十二になります。どうぞ、呼び捨てで構いません」
深々と頭を下げて、ヴェンデルガルトに近寄る。
「洗面所にご案内します。あと、お風呂やお手洗いの場所もお伝えいたします」
ベルトは年齢よりずっと落ち着いていて、礼儀正しかった。上掛けの布を丁寧にたたむと、ヴェンデルガルトの靴を揃えて出す。
「有難う」
会話の糸口が見つからず、ヴェンデルガルトはそれ以上かける言葉がなく小さなベルトの後に付いて行った。
宮殿の中は広いみたいだが、ヴェンデルガルトが自由に行動できる所は限られていた。脱走を懸念している事もあるが、戦争が始まる為だ。王族は、宮殿に留まる様にと指示されている。
「まぁ、豪勢ですね!」
顔を洗いベルトに案内されたヴェンデルガルトが部屋に戻ってくると、朝から豪華な食材が並んでいた。
「お前、細すぎるんだよ」
驚いているヴェンデルガルトの後ろで、アロイスの声が聞こえた。すると、ベルトがぺこりと頭を下げて部屋を出ていく。
「豚になれとは言わないが、もう少し身をつけろ。さ、食べようぜ」
この国では、テーブルで食事をとる事もあるが、祖先が遊牧民であったこともあり地の上に絨毯を引き、その上で座って食事をする事も多いらしい。食事の間の距離も近いので、家族で食事をする時はこのように食べ方をする事が多い。
アロイスは絨毯の上に座ると、ヴェンデルガルトを直ぐ傍らに座らせた。
色々な食べ物があったが、ヴェンデルガルトはラルラと呼ばれる羊の乳を発酵させた、熱を加えると伸びる乳製品が気に入ったらしい。発酵させずに薄く焼いたパテというパンに野菜と巻いて食べると、顔を輝かせた。
「そうか、ラルラが気に入ったか」
喜んで食べるヴェンデルガルトの様子に少しほっとしたように、アロイスはベンバという鳥の玉子を焼いたものを、パテにラルラと一緒に巻いた。
「ほら」
と、それをヴェンデルガルトの口元に持って行く。ヴェンデルガルトは瞳を丸くしてから、それを一口齧った。
「ん、美味しい!」
「沢山食え」
アロイスは最初会った頃と違い、ヴェンデルガルトを見ると笑顔を見せる事が多くなった。それが嬉しく思うも、ビルギットを始め五人の薔薇騎士団がいない事がヴェンデルガルトの心に小さく影を落としていた。
「泣くな」
不意にアロイスに言われて、ヴェンデルガルトは知らず涙を零していた事に気が付いて、掌でそれを拭いながら顔を上げた。
「今は寂しいだろうが――俺が、お前を幸せにする。確かに、お前の治癒魔法を目的で攫ってきた。だけど、今はお前を幸せにしたいのが本心だ。お前がいつも笑顔でいる様に、俺が傍にいる。だから、ここにいてくれ」
アロイスは、ヴェンデルガルトの肩を抱き寄せて囁くようにそう言った。
それも、幸せの一つなのだろうか。ヴェンデルガルトには、分からなかった。