出さなかった手紙
先生。母が先月亡くなりました。
施設で亡くなる筈が、約2年間延命しました。
夜明けまで、高熱でうんうん唸りながら寝ている母を放っておける筈もありませんでした。
救急病院で1ヶ月、療養型病院で1年11ヶ月。回復してスタートした療養。
ですが、残念ながら、殆どが「寝たきり」で、目を開けてまともなクチをきいたのは、たった3回でした。
病院の「異常な」面会規制に加えて、私には苦痛の日々でした。
8年間の介護生活、しかも最後の介護生活は、タオル・バスタオル・肌着だけの洗濯物配達人でした。
担当看護師から「血圧が上がらなくなった」と連絡があった時、夢中で支度をし、病院まで電動アシスト自転車のパワーモードで暗くなっていく夜道を走って10分。
到着すると、その日の当直のドクターが、ベッドサイドモニターを睨み、自分の時計を見ていました。
私が到着して10分。
母は「眠るように」息を引き取りました。
告別式を終え、満中陰を済ませ、「遺産分割会議」をし、行政書士の相続手続きが始まりました。
皆、私のメンタルを心配しています。
遺品整理を少しずつ行いながら、私自身の「荷物」も整理を始めています。
引っ越し?
ええ。いつか「あの世」に引っ越します。
お元気で。色々あったけど、結局先生とは喧嘩しませんでしたね。
思い起こせば、母が世話になった病院や施設、1軒残らず喧嘩してきました。
「そんなに頻繁に来るのなら、家で面倒見ればいいじゃないか!!」
そんな心ないことを言う施設長もいました。
私自身が「7つ以上」の「持病」を抱えていなければ、帰宅させたかったですよ。
私のメンタルの支えは、Web小説。地位も名誉も財産も、家族さえもない私の「遺せる物証」は、「クラウドに保存するデータ(小説)」だけです。
不運を嘆くより、黒歴史を呪うより、「昇華」させて行く道を選びました。
この手紙、読めませんよね。出さなかったから。出さないから。
でも、「デジタルの友人」達は、きっと理解してくれると信じています。
ありがとうございました。もう会えません。でも巡り会えて良かった。
さようなら。
―完―