「睦月! 怪我はない?」
肩を離れたローブが、ひらりと空に舞う。
ワンピースをはためかせ、こちらに突撃してきた。
「いやー、間に合って良かったよ。あの様子じゃ、王の
「隊員たちは大丈夫でしたか?」
「へーき平気。あれでも僕の育てた子たちだ。今頃は回復してるよ」
シルフィーは私の周りを飛びながら、全身をくまなくチェックしている。
霜月と共に特別警備課を訪れた私は、課の一室にて明鷹たちと話をしていた。
「警備課からは安否確認だけされました。後のことは、
「ま、そうなるよね。彼らでは手に負えない案件を受け持つのも、僕たちの役目だからさ。常闇の部下ともなれば、大抵の死神は近づくことすら躊躇するレベルだ」
もし霜月たちに何かあれば、必然的に上司とも関わることになる。
後ろに控えているのが最高位の死神とあっては、力業にも出にくいのだろう。
「睦月ちゃんさ、僕に感謝してる?」
「まあ、はい。そうですね」
唐突な質問に、内心で首を傾げる。
満足げに頷いた明鷹は、何やら勝ち誇った顔で指を突きつけてきた。
「つまり、今の睦月ちゃんは──喜怒哀楽の喜! 喜びを感じているという訳だ」
会うたびに私の感情を当てようとしてくる明鷹だが、四択なら間違いないと踏んだらしい。
自信満々に宣言した明鷹へ、シルフィーが呆れた視線を向けている。
「……」
「あれ?」
何も答えない私に、明鷹から間の抜けた声が漏れていく。
「いやいや、そんなはず……。え、まじ?」
相当自信があったのだろう。
とうとう霜月にまで尋ね始めるも、結果はお察しの通り。
ガン無視されていた。
「とりあえず、ヴォルクの訓練は今後も続けるってことでいいんですよね?」
「それは勿論。ヴォルクも楽しみにしてたし、僕としては大助かりなんだけど……」
先ほどの結果に、まだ納得できていないらしい。
こちらをじっと見つめる明鷹の頭を、シルフィーが勢いよく叩いていた。
「常闇によろしくね〜」
頭をさする明鷹と、笑顔で手を振るシルフィーに見送られ、特別警備課を後にする。
喜怒哀楽……か。
今の私が、この中で最も比重の大きい感情を選ぶのだとしたら──。
本心とは、有事の際ほどよく見えるものだ。
死神がいきなり消息を絶ったというのに、全く動く気配のない上層部も。
特別警備課がいるからと、
内に潜む澱みは、やがて臭気を撒き散らす。
これ以上腐敗が進行する前に、こちらも手を打つ必要があるだろう。
怒り?
まさか。
軽やかに踊る感情は、燃えるような激情とは異なっている。
さて、何処から切り開くべきか。
味方は多い方がいい。
少なくとも、
この事実を知れただけでも、それなりに収穫があったと言えよう。
「睦月が楽しそうで嬉しい」
輝く月が、蜂蜜のように蕩ける。
自然と触れ合った手を絡ませ、私は緩やかに笑みを浮かべた。
◆ ◆ ◇ ◇
扉の空間には、多くの扉が存在している。
開いた扉の数は徐々に増えているものの、未だに手付かずの扉の方が多い状態だ。
用途の分からない扉も混在しているため、まずはそこを探るところから始めなければならないだろう。
「死界に戻ってきた感想はどう?」
黄金の三つ編みが垂れる。
左肩から流れる金糸には、僅かな乱れも見当たらない。
「居心地はいいよ。ただ、やる事が沢山あって、何処から手を付けようか考えてた」
「なるほどね」
一を聞けば、十を知れるのだろうか。
心得た様子の転幽は、背後から隣に移動してきた。
膝で丸まる満月の耳が、音を拾ってぴくりと反応している。
「そういえば、まだお礼を言えてなかったね。ありがとう。怪我の治療をしてくれて」
「どういたしまして。治療自体は容易いことだ。わたしは替わっても良かったけど、それだと睦月は納得しないだろう?」
インヴィーとの戦闘は、想像以上に厄介だった。
魔界という環境。
それにより起こる弊害。
たとえインヴィーを退けても、次に対面するのは魔王であるという圧。
腕が溶けた時は相応のリスクを覚悟したが、それでも──転幽と入れ替わるつもりは微塵もなかった。
「あそこで
「睦月のしたいようにするといい。向こうにも使い魔がいたからね。治療程度では、補助の内にも入らないよ」
「転幽は使い魔じゃないけどね」
「だけど、わたしは睦月のものだろう?」
関係的には、どちらも大して変わらない。
そう言わんばかりの転幽に、思わず目を瞬く。
「うん……そうだね。これからも頼りにしてる」
「目的を遂げるまで、わたしは誰よりも傍にいるよ」
片側に預けられた背中から、温もりが伝わっていくような。
じんわりと滲む仄かな感覚に、そのままゆっくりと瞼を閉じた。