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ep.33 喜怒哀楽


「睦月! 怪我はない?」


 肩を離れたローブが、ひらりと空に舞う。

 軍服せいふくから少女へと姿を変えたシルフィーは、

 ワンピースをはためかせ、こちらに突撃してきた。


「いやー、間に合って良かったよ。あの様子じゃ、王の領域ところにまで押し入りそうな勢いだったからね」


「隊員たちは大丈夫でしたか?」


「へーき平気。あれでも僕の育てた子たちだ。今頃は回復してるよ」


 シルフィーは私の周りを飛びながら、全身をくまなくチェックしている。

 霜月と共に特別警備課を訪れた私は、課の一室にて明鷹たちと話をしていた。


「警備課からは安否確認だけされました。後のことは、特別警備課こっちで聞くようにと」


「ま、そうなるよね。彼らでは手に負えない案件を受け持つのも、僕たちの役目だからさ。常闇の部下ともなれば、大抵の死神は近づくことすら躊躇するレベルだ」


 もし霜月たちに何かあれば、必然的に上司とも関わることになる。

 後ろに控えているのが最高位の死神とあっては、力業にも出にくいのだろう。


「睦月ちゃんさ、僕に感謝してる?」


「まあ、はい。そうですね」


 唐突な質問に、内心で首を傾げる。

 満足げに頷いた明鷹は、何やら勝ち誇った顔で指を突きつけてきた。


「つまり、今の睦月ちゃんは──喜怒哀楽の喜! 喜びを感じているという訳だ」


 会うたびに私の感情を当てようとしてくる明鷹だが、四択なら間違いないと踏んだらしい。

 自信満々に宣言した明鷹へ、シルフィーが呆れた視線を向けている。


「……」


「あれ?」


 何も答えない私に、明鷹から間の抜けた声が漏れていく。


「いやいや、そんなはず……。え、まじ?」


 相当自信があったのだろう。

 とうとう霜月にまで尋ね始めるも、結果はお察しの通り。

 ガン無視されていた。


「とりあえず、ヴォルクの訓練は今後も続けるってことでいいんですよね?」


「それは勿論。ヴォルクも楽しみにしてたし、僕としては大助かりなんだけど……」


 先ほどの結果に、まだ納得できていないらしい。

 こちらをじっと見つめる明鷹の頭を、シルフィーが勢いよく叩いていた。


「常闇によろしくね〜」


 頭をさする明鷹と、笑顔で手を振るシルフィーに見送られ、特別警備課を後にする。


 喜怒哀楽……か。

 今の私が、この中で最も比重の大きい感情を選ぶのだとしたら──。


 本心とは、有事の際ほどよく見えるものだ。


 死神がいきなり消息を絶ったというのに、全く動く気配のない上層部も。

 特別警備課がいるからと、を貫いた警備課も。


 内に潜む澱みは、やがて臭気を撒き散らす。

 これ以上腐敗が進行する前に、こちらも手を打つ必要があるだろう。


 怒り?

 まさか。

 軽やかに踊る感情は、燃えるような激情とは異なっている。


 さて、何処から切り開くべきか。

 味方は多い方がいい。


 少なくとも、

 この事実を知れただけでも、それなりに収穫があったと言えよう。


「睦月が楽しそうで嬉しい」


 輝く月が、蜂蜜のように蕩ける。

 自然と触れ合った手を絡ませ、私は緩やかに笑みを浮かべた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 扉の空間には、多くの扉が存在している。


 開いた扉の数は徐々に増えているものの、未だに手付かずの扉の方が多い状態だ。

 用途の分からない扉も混在しているため、まずはそこを探るところから始めなければならないだろう。


「死界に戻ってきた感想はどう?」


 黄金の三つ編みが垂れる。

 左肩から流れる金糸には、僅かな乱れも見当たらない。


「居心地はいいよ。ただ、やる事が沢山あって、何処から手を付けようか考えてた」


「なるほどね」


 一を聞けば、十を知れるのだろうか。

 心得た様子の転幽は、背後から隣に移動してきた。

 膝で丸まる満月の耳が、音を拾ってぴくりと反応している。


「そういえば、まだお礼を言えてなかったね。ありがとう。怪我の治療をしてくれて」


「どういたしまして。治療自体は容易いことだ。わたしは替わっても良かったけど、それだと睦月は納得しないだろう?」


 インヴィーとの戦闘は、想像以上に厄介だった。

 魔界という環境。

 それにより起こる弊害。


 たとえインヴィーを退けても、次に対面するのは魔王であるという圧。

 腕が溶けた時は相応のリスクを覚悟したが、それでも──転幽と入れ替わるつもりは微塵もなかった。


「あそこで暗黒将インヴィーに勝てなければ、私の目的も夢物語と同じだと思ったから」


 は、もっと厄介で、もっと根深い場所にいるのだ。


「睦月のしたいようにするといい。向こうにも使い魔がいたからね。治療程度では、補助の内にも入らないよ」


「転幽は使い魔じゃないけどね」


「だけど、わたしは睦月のものだろう?」


 関係的には、どちらも大して変わらない。

 そう言わんばかりの転幽に、思わず目を瞬く。


「うん……そうだね。これからも頼りにしてる」


「目的を遂げるまで、わたしは誰よりも傍にいるよ」


 片側に預けられた背中から、温もりが伝わっていくような。

 じんわりと滲む仄かな感覚に、そのままゆっくりと瞼を閉じた。



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