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ep.29 魔王


 魔王城の最上階からは、魔界が一望できるようになっている。

 透過度は自由に変えられるようで、睦月が足を踏み入れると同時に、部屋の壁が黒く閉じていく。


 まるで牢獄のように強固だが、中の造りは荘厳だ。

 玉座に腰掛けた魔王を、睦月は立ったまま見返した。


「神性力と魔力は相性が悪い。大罪を継げるのは悪魔だけだが、位のみなら与えることはできる。とは言え、そもそも君は受け取る気がないようだからな」


「大罪も位も必要ありません。私がここに来たのは、死界に戻るためです」


「勿論知っているさ。君は魔界を出るため、俺の許可を必要としている」


 魔王の片目に、妖しい光が宿った。


「それで、君は俺に何を差し出すつもりだ?」


「あなたが見たがっていた光景を」


 間髪を入れず返ってきた答えに、魔王がくつくつと笑みを溢す。

 顔に当てた手の隙間から、堪えきれない愉悦が滲んでいる。



 今代の魔王には、焦がれて止まない存在がいた。


 かつて、七代前の魔王が死界の王の不興を買った際、魔界は壊滅的な打撃を受けることとなった。

 宝月の前に手も足も出ず、魔王は側近共々塵一つ残らず消されてしまったのだ。


 魔界の損失は計り知れないものだと囁かれる中、まだ幼い悪魔は偶然、死界の王を目にする機会を得た。

 化け物じみた存在である宝月。


 そんな宝月を纏める神は、いったいどんな姿をしているのか。

 あの日のことは、忘れもしない。


 死と終わりを司る神の姿に、幼い悪魔は一瞬で虜になった。


 底知れない無と、神秘的な容貌。

 長い髪は美しく飾られ、ちらりと覗く白い肌は、恐ろしいほど夜に映えていた。


 三界での規則を決めるため、数十年に一度、王たちが集う時期がある。

 魔王になれば、再び彼女とも会えるはず。


 そう考えた幼い悪魔は、やがて魔界で最も強い悪魔となった。



「宝月から聞いたのか。殊勝なことだな」


 この短時間で、魔王は睦月の持つ情報が、月によってもたらされた物だと確信している。


「私を欲しがったのは、死界の王が復活するために必要なだと思ったからですよね」


「そうだ。そこまで知っているなら話が早い」


 魔王にとっても、死界の王は唯一だった。

 今の王を好まない魔王にとって、睦月の提案は利害が一致している。

 ただし、魔王が望んでいるのはあくまで以前の王だ。


 新しい王を望んでいる訳ではない。


「俺の見たい光景を対価にすると言ったな。もしその選択が──君の終わりに繋がっていても。君は構わないと考えているのか?」


 何も答えない睦月に、魔王が笑みを深める。


「君は俺の答えを半々だと思っているようだが、それは違う。俺は選択を間違えない。そして、自分の選択が間違っていると思ったこともない」


 迷いは露ほどもなく、自らの決断において絶対的な自信を持っている。

 魔王にとって選択とは、常に利になる道を選び続けることだ。


「いいだろう。君を魔界から出してやる。その代わり、なるべく早く見せてくれ。最近の魔界は、退屈で仕方がないからな」


「契約は要求しないんですか?」


「必要ないさ。君は約束を破らない」


 話は終わったとばかりに、魔王が肘をつく。

 真意が読み取れない悪魔だが、睦月は迷うことなく踵を返した。


 阻害されていた感覚が解ける。

 死神之大鎌デスサイズで空間を切り開いた睦月は、そのまま裂け目の中へと消えていった。




 ◆ ◆ ◆ ◇




 魔王に謁見するため、レインは扉の前で足を止めた。

 今にも吐きそうな様子のレインは、一人でに開いていく扉を見て覚悟を決めたらしい。


「ご苦労だったな」


「とんでもございません。魔王様のお呼びとあらば、いつでも伺わせていただきます」


 紳士の皮を貼り付けたレインは、先ほどまでの緊張を綺麗に隠している。

 そんなレインを見下ろしながら、魔王は優雅に足を組み替えた。


「グォーラのところへ行ったと聞いた。自ら取引に向かうとは、上手くやったものだな」


「使い魔を壊してしまいましたので」


 正確に言えば、破壊したのは睦月の方だ。

 しかし、レインが睦月と協力関係にあったのは事実である。


 暗黒将の不興を買った以上、このまま領地に戻るわけにもいかない。

 それ故レインは、プーパたちと共にグォーラの元へ向かった。


「おまえの使い魔はいいのか? 魔界でも珍しい存在だ。差し出す対価としては、過分な気もするがな」


「あくまで魔力だけです。どちらの姿でも、大した違いはありません」


「大した違いはない、か」


 くつくつと笑い始める魔王に対し、レインの表情は変わらない。

 グォーラの怒りを収めるため、レインは破壊した使い魔以上の価値を提示した。


 常に空腹なグォーラにとって、魔力は貴重な食糧である。

 だからこそレインは、使い魔よりも純度が高く。

 プーパの上質で莫大な魔力を差し出すことで、グォーラを納得させたのである。


 広い室内には、静寂と緊張が漂っている。

 僅かに視線を彷徨わせたレインに気づき、魔王は口の端を持ち上げた。


「あの死神ならもういない。既に死界へ帰ったからな」


「……そうですか」


「安心したか?」


 質問ではなく、確かめるような声だった。

 沈黙するレインを、魔王が指先で呼び寄せる。

 緊張を押し込め、レインは玉座との距離を詰めた。


「おまえ宛の伝言を預かっている」


「……はい?」


 意外な言葉に、レインが戸惑った様子を見せる。


「なりたいなら、なればいい。おまえの大切な存在のためにも。だそうだ」


 ──暗黒将になりたいとは思わないの?


 魔王城に来た時、睦月はレインにそう聞いた。

 部下を大切に思うレインだからこそ、位は防御にも繋がる。


 魔王が次に話すであろう言葉を察し、レインは思わず顔を上げた。


「レイン。嫉妬の大罪を受け継ぎ、暗黒将になれ」


 ──やられた。

 レインの脳裏に、憎らしい無表情が浮かぶ。

 魔王の命令は絶対だ。

 断るという選択肢は、端から用意されていない。


「どうした。俺を待たせる気か?」


「……いいえ」


 思いの外はっきりした声で答えたレインを、魔王は興味深げに見下ろした。


「拝命します」


「そうか。新しい名が決まったら、またここに来い」


 深く礼を取り、レインが立ち上がる。


 ──退屈な魔界にも、少しは彩りが増えたらしい。


 果たして新たな将は、大罪を使いこなせるのか否か。

 例の死神の置き土産に、魔王はひっそりと笑みを浮かべた。



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