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ep.28 下剋上


 黒い髪と、赤紫の瞳。

 右目に眼帯をつけた男が、奥から歩み出てくる。

 圧倒的な魔力も、威圧的な雰囲気も感じられない。

 ただ、異様な空気を纏った悪魔だった。


「そうだな。おまえたちにその権利はない」


 魔王と呼ばれた悪魔は、真っ直ぐ睦月の方を見ている。


「君が決めるといい。この試合の勝者は、間違いなく君だ」


 近づく度に分かる。

 目の前の悪魔は、他と一線を画すと。

 そこに居るだけで、暗黒将さえ気圧す存在。


 無とは時に、何より怖いものであったと思い知らされるようだ。


「これ以上戦うつもりはありません」


 ──勝敗はついた。

 無益な争いをする必要はない。

 死神之大鎌デスサイズを仕舞った睦月を見て、魔王は口角を上げている。


「そうか。それなら、位についての話をしよう。本来であれば、の大罪は君が受け継ぐことになる。だが君は──死神だからな」


 インヴィーの名は、大罪に因んで付けられたものだ。

 暗黒将でなくなった悪魔が、将としての名を持つことは許されない。


 魔王が、睦月に向けて手を差し出す。

 周囲で息を呑む音が鳴った。

 悪魔はおろか、大概の存在を下に見ているような王だ。


 そんな魔王が自ら手を差し出す光景は、他の悪魔に衝撃を与えるには充分すぎるものだった。


「ここで話すのも野暮だ。場所を移そうか」


 黙って見返していた睦月だが、魔王の手を取る様子はない。

 心底おかしそうに唇を歪めた魔王は、空いたままの手を引くと、そのまま奥に向かって進んでいく。


 魔王の後に続く睦月だったが、不意に途中で足を止めた。


「これで全部ちゃらだね」


 睦月の手に現れた誓約書が、真っ黒に染まっていく。

 砂のように崩れた誓約書は、風に吹かれ跡形も無く消え去っていった。


 交差した視線が解ける。

 睦月の姿が見えなくなったことで、レインはおもむろに口を開いた。


「よく言うよ。散々扱き使いやがって」


「良いじゃねぇか。これで誓約書はなくなったんだしよ」


 目の上のたんこぶが消えたというのに、レインはまだ不満げな顔をしている。


「何が良いじゃねぇかだ。そもそも、お前もあいつも勝手なことばかり──」


「おい、待てよ」


 城を去ろうとするインヴィーを、アヴァリーが呼び止めた。


「悪ぃな。また後で聞くからよ」


「勝手にしろ」


 暗黒将ではなくなったため、領地へ帰るのだろう。

 敗者の行く末は厳しい。

 それを知っているからこそ、レインは何も言わなかった。


 佇むレインの近くに、プーパが降りてくる。

 不安げな様子のプーパは、どう接したらいいか分からず戸惑っているようだ。


「でかくなったな」


 しょんぼりと項垂れるプーパの頭に、レインの手が乗せられる。


「お前が僕の好みに合わせて、小さい姿を選んでいたのは分かってる。たとえこのままでも、追い出したりしないから安心しろ」


 撫でられる心地よさに、プーパの瞼が閉じていく。

 しばらくレインの手に浸っていたプーパだが、目を開けると首を横に振った。


「……そうか」


 ぽつりと溢れた声は、ぬるま湯のように柔らかい。


 傍で見守るビベレが大号泣する中、レインはプーパにとある場所へ向かうよう告げた。

 ビベレを掴むと、プーパの背に跨がる。


 一瞬、睦月がいた先を振り返ったレインだが、翼を広げたプーパに連れられ、その場から飛び立っていった。




 ◆ ◆ ◇ ◇




「今更なんのつもり?」


 背後にアヴァリーの気配を感じ、インヴィーは足を止めた。


「私の気持ちを知っていながら、少しも応えるつもりがなかったじゃない。いくらあなたの大罪が『強欲』でも、私を救う理由にはならないはずよ」


「んー、まあちっと気になってな」


 同じ将だから、他よりは傍にいられた。

 でも、それだけだ。

 結局アヴァリーのは、昔からずっと変わらないまま。


「どうして負けを認めた? お前の本気は、あんなもんじゃなかっただろ」


「どうして……ね。初めから、おかしいとは思ってたの。あの死神は、私を見ているようで見ていなかった。足場を崩壊させた時、私の使い魔が一匹残らず消えたのを感じて確信したわ」


 睦月が警戒していたのは、目の前にいるインヴィーではない。

 その先にいる──魔王の方だ。


 空間能力という規格外の手札がありながら、睦月はその手札をなかなか切ってこようとしなかった。

 魔界にいる影響で、上手く扱えないのだろう。

 そんなインヴィーの考えは、大きな間違いだったのだ。


「あの死神が何をしていたか、あなたも気づいたはずよ。私と戦いながら、創り出した空間に使い魔を閉じ込めてたの」


 落下先に現れた空間は、使い魔の檻へと変わる。

 捧げ物にでもするつもりなのだろうか。

 睦月はインヴィーの使い魔を、あえて捕獲していた。


「あの死神は、他に能力を割きながら、私の鎖を難なく避けてみせた。挙げ句の果てに、陣を一度に破壊されたわ。あれだけの数を、それも内側から」


 割いていた能力が不要になったことで、インヴィーの攻撃のみに集中できたのだろう。

 気づいた時には、インヴィーの身体は円盤の上に横たわっていた。


「たとえ本気を出せたとしても、間違いなく負けていたでしょうね」


 ──そのくらい、あの死神はおかしかった。


 睦月という存在自体に、何かとてつもない秘密が隠されているようで。

 死界の王が、まだ幼い死神を過剰に警戒する理由。

 その理由の片鱗を、インヴィーは目にしたのだ。


「領地に戻ってからはどうすんだ?」


 悪魔は敗者に厳しい。

 たとえ爵位はそのままでも、周りはインヴィーを負け犬だと嘲笑うだろう。


 アヴァリーの問いかけは、心配や気遣いからくるものではない。

 インヴィーの行く末を、見定めようとするものだ。


「大罪を失ったことで、一つはっきりした事があるわ」


 視線で続きを促すアヴァリーに、インヴィーが微笑む。


「魔界の男は、大体クソってことよ」


 予想外の言葉に、アヴァリーが目を瞬く。

 次いで、盛大に笑い始めた。


「あー、おもしれぇ。んで、さっきの答えは決まったか?」


 領地に戻ってからどうするのか。

 真意を探ろうとするアヴァリーを、インヴィーは真っ直ぐ見返した。


「もう嫉妬はいらないわ。他の大罪に比べて面倒だもの」


 恐らくアヴァリーは、この先の未来も予想している。

 きっかけは睦月かもしれない。

 それでも、選んだのはアヴァリーの方だ。


「そうは言っても、私に見る目がなかったのも事実よ。だからもう一度やり直すつもり」


 インヴィーは、アヴァリーを追いかけたことで暗黒将の座を手にした。

 それなら今度は──。


「次はあなたの大罪をいただくわ。覚悟しておくことね、アヴァリー」


「そりゃいいな。楽しみにしてるぜ」


 アヴァリーを、強欲の座から引きずり降ろす。

 そう宣言したインヴィーは、城に背を向け去っていった。


「面白れぇことが増えたな」


 のろまは嫌いだ。

 けれど、たまには待ってみるのも悪くないかもしれない。


 上機嫌で呟いたアヴァリーの姿は、城の中へと溶け込んでいった。



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