敗北を認めれば、プーパだけは助けてやる。
そう話すインヴィーに、睦月は毒が侵食する腕を見下ろした。
「無理ですね。嘘が吐けないので」
「……この状況で、よくそんな事が言えたものね」
負けを認めることは、嘘を禁じた王への違反行為だ。
言葉通り受け取れば、死界の王を尊重しているようにも聞こえるが、実際に込められているのは大層な皮肉である。
魔界に印の影響は届かない。
つまり、自戒も起こらない代わりに、神の権能は一切借りられず、加護も得られないということだ。
いくら特異な死神とはいえ、平然と断りを口にできるほど、余裕のある状況とは思えなかった。
訝しむインヴィーの足元で、魔力が急速に膨れ上がっていく。
小さな塊を引き裂いて現れた何かは、漆黒の翼を広げ、辺りを震わすほどの咆哮を上げている。
口から放たれた光線が、インヴィーの使い魔を一瞬で焼き払った。
予想外の事態に驚くインヴィーの目に、使い魔の
肉片すら残らない
貴重な使い魔との契約が切れたことで、インヴィーが忌々しげに顔を歪める。
見た目は魔獣に違いが、実際は悪魔でも魔獣でもない。
翼を持つ
目にも止まらぬ速さで回転した刃が、インヴィーの腕を切り落としていく。
空を舞う剣と、握りしめたままの手。
咄嗟に使い魔を召喚し盾にするも、刃の先端が胸元を
真っ二つに分かれ、落下していく使い魔には目もくれず。
インヴィーは、睦月に対する私怨の炎が、再び燃え盛っていくのを感じていた。
「やってくれるじゃない」
腐りかけた腕で、武器など振るえる訳がない。
そう高を括っていたのだ。
インヴィーの毒は、
いずれ全身が腐るまで、毒が止まることはない──はずだった。
毒の散った頬は滑らかで、焼け爛れた腕は元の白さを取り戻しつつある。
試合を望むインヴィーに、魔王は「いいのか?」とだけ聞いてきた。
その言葉はむしろ、インヴィーの方が聞きたいものであった。
欲しがっていた死神を、めちゃくちゃにされてもいいのかと。
しかし、魔王は予想に反してすんなり許可を与えると、右目の眼帯を指先で叩いている。
興味を失った様子の魔王を見て、件の死神も所詮は気まぐれの玩具に過ぎなかったのだと思った。
けれどあの時、真に見放されたのはどちらだったのか。
今更ながらに、答えが脳裏をちらついていく。
羽ばたきの音と共に、漆黒の翼が影を作った。
睦月の傍に降りてきた巨体は、可愛さとは程遠い姿をしている。
「随分大きくなったね、プーパ」
手を当てた睦月に視線を向けたプーパだが、嫌がる素振りは見られない。
「いったい……何だっていうの」
がらりと変わった戦況に、インヴィーが濁った声を溢す。
まるで、台風の目のような存在だ。
いっそ穏やかささえ感じられる死神の周りでは、全てを破壊する突風が渦巻いている。
神性力も魔力も、高ければ高いほど治癒が早まっていく。
異なるのは、神性力は魔力による治癒を阻害できるという点だ。
元通りになった睦月の腕と違い、インヴィーは未だ腕の修復が終わっていない。
その事実が意味する答えは、一つしかなかった。
「だから嫉妬は嫌なのよ」
インヴィーには、手に入れたい悪魔がいた。
追いかけて暗黒将にまでなったはいいものの、引き継いだ大罪は嫉妬で──。
大罪を受け継いだ悪魔は、性質に大きな影響が生じる。
色欲は色に、暴食は食に走りやすくなるように。
欲求は原動となり、悪魔に強大な力を与えてくれるのだ。
しかし代わりに、大罪の持つ欲に対して、過剰なまでに反応を示すようになっていく。
初めは軽い感情だった。
アヴァリーを撤退させた死神への関心。
それと、アヴァリーが興味を示した数少ない存在への嫉妬。
だが実際に対面したことで、インヴィーの嫉妬は歯止めが効かなくなっていった。
試合の時も、アヴァリーの視線は常に睦月の方を向いていた。
──同じ将に昇ってもなお、自分を見てはくれないのか。
魔王の座を奪うことはおろか、目の前の死神に勝つことさえ出来ない不甲斐なさ。
燃え盛る嫉妬は、全て元凶の睦月へと集中していく。
「……いいわ。だったら終わりにしましょう」
睦月たちを消してしまえば、アヴァリーもインヴィーを見るしかなくなるはず。
初めから、手加減など要らなかったのだ。
勝者には全てを、敗者には無を。
位をかけた以上、後ろに道などない。
悪魔とは、二兎を得る存在で無ければならないのだから──。
◆ ◇ ◆ ◇
【 おまけ(プロットメモより抜粋)】
嫉妬を振り翳した者の末路。
ターニングポイントは、踏み止まれるか否か。
リーネア → 嫉妬に呑まれ、帰って来れず。
インヴィー → 嫉妬に呑まれるも、◾️◾️◾️◾️。