目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

ep.25 pupa


 インヴィーの剣を弾き距離を取った睦月だが、毒に侵された腕は徐々に皮膚が壊死している。

 その下の肉まで腐れば、胴体から腕がおさらばするのは時間の問題だろう。


 使い魔の鉤爪に囲われ、プーパの意識が戻ったか知ることはできない。

 しかし、たとえ把握できたところで、この状況を打開できるかは別の問題だった。


 インヴィーが示した選択は、プーパと共に全てを失うか。

 それとも、睦月一人で全てを失うかだ。

 小さなプーパは、使い魔が力を込めれば簡単に潰れてしまうだろう。


 毒が侵食していく腕を見下ろし、睦月はインヴィーへと口を開いた。




 ◆ ◆ ◆ ◆




 魔界において、最も尊いのは悪魔だ。

 その中でも貴族は、群を抜いて特別だった。

 魔獣として生まれれば、まず悪魔になることから目指さなければならない。


 初めから悪魔として始められる存在とは違い、魔獣は魔界の最下層に位置している。

 悪魔の一種とはいえ、使い魔にも見下されるような底辺。

 それが魔獣だった。


 それでも唯一幸運なことは、生まれたばかりの悪魔が赤子のように弱いのに対し、魔獣は生まれた時からある程度自立した行動が可能だったことだ。


 見つけた悪魔を手当たり次第取り込み、自らも悪魔へと昇華していく。

 本能にも近い意志とでも言えばいいのか。

 魔獣は完全な悪魔になるため、常に目を光らせていた。


 悪魔と魔獣の間に、絶対的な格差がある世界。

 しかしそんな魔界にも、極稀に生まれる特異な存在がいた。


「半端者」


「未熟な悪魔」


「悪魔でも魔獣でもない、異質な存在」


 噂話のように小さかった声は、どんどん大きさを増していく。

 不快な気持ちが湧き上がり、プーパはぱっちりと目を開けた。


「は! ここはいったいどこです?」


 睦月がいないことに気づき慌てるも、全身を覆われた状態では、周りの光景を覗くことすらできない。

 鉤爪の隙間に顔を当てたプーパは、上空でぶつかり合う音と、楽しそうに話すインヴィーの声を耳にした。


 圧倒的優位を疑わず、プーパと引き換えに敗北を認めるよう迫っている。

 そんな状況を知り、猛烈な怒りが込み上げてきた。


 インヴィーもだが、それ以上に、プーパ自身への苛つきを抑えきれずにいる。


「なぜすぐにことわらないのです!」


 そう口にしてから、プーパは主であるレインのことを思い出した。

 プーパたちのために、無理をしてまで条件を呑んだレイン。


 レインを扱き使う嫌な死神だとばかり思っていたが、それでも、プーパに触れる手はどこか優しかった。


 まるで……あの日プーパを拾った、レインの温もりのように──。




 ◆ ◆ ◆ ◇




「形勢逆転ってか。どうするよレイン。お前の部下が負担になってんぞ」


 観覧席で試合を見守っていたアヴァリーは、隣に座るレインに声をかけた。

 プーパのせいで睦月が苦戦しているとでも言いたげなアヴァリーに、ビベレが身を乗り出す。


 しかし、何かを言う前にビベレを制したレインは、目の前の光景から視線を逸らすことなく沈黙を破った。


「プーパがあの程度の魔獣に負けるわけがない」


「魔獣ったって、インヴィーの使い魔だぞ。それもかなり上位のな。貴族の使い魔になりゃ、そこらの悪魔よりも力を持てるのは常識だ。だがな、単純な強さは元の素質が備わってこそだぜ」


 可愛いに重きを置くレインとは異なり、インヴィーの使い魔は戦闘力を重視して選ばれている。

 そもそもの強さが、レインの使い魔とは違うのだ。


 部下を大切にするレインであれば、相当取り乱しているはず。

 そう思い声をかけてみたが、恐ろしいほど冷静なレインを目にして、アヴァリーは自然と口を閉じた。


 楽しみだ。

 揺らぐことのない信頼を向けられた使い魔が、どんな面白い光景を見せてくれるのか。

 そして──。


「必ず勝つんだろ、嬢ちゃん」


 音になることなく呟かれた言葉は、睦月と交わした約束を表している。

 一見、危機的にも思える光景を眺めながら、アヴァリーは期待に満ちた笑みを浮かべた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 プーパが生まれたのは、とある悪魔の領地だった。

 より強い悪魔を生み出すため、交配を繰り返していた貴族。

 その貴族の実験中に、プーパは生まれた。


 悪魔でも魔獣でもない半端者。

 小さく弱々しい形のプーパを、他の実験体は嘲笑った。

 しかし、これまでの実験結果から、貴族はプーパが稀有な成功体だと予想したのだ。


 実験体同士を戦わせる場面でも、プーパだけは除外された。

 そして、実験体同族が互いに殺し合うのを、貴族の側で見続ける。


 そんな日々が変わったのは、プーパよりも先に生まれた実験体が、突如変異したことにあった。

 巨大で醜く、桁違いに強い。


 完全体とも言える姿に成長した悪魔を見て、貴族は大層喜んだ。

 他の実験体を喰らい、さらに強くなっていく完全体を見ながら、次はプーパかと待ち望まれる。


 しかし、貴族の予想に反して、プーパの姿が変わることは一向になかった。


 次第に、「半端者」「未熟な出来損ない」と言われることが増えていく。

 早く成長しなければと焦るプーパの内面に反し、体は何一つ変化してくれない。


 完全体の餌にする。

 貴族がプーパを見捨てたのは、そう遠くない未来でのことだった。


 実験場を取り囲む塀には、逃亡を防ぐため、高度な魔術が仕掛けてある。

 たとえ飛び越えられたとしても、無事では済まないだろう。


 貴族に連れられ、餌場に放り込まれたプーパは、目の前の完全体にただ震えることしかできなかった。

 新しい実験体が興味津々で覗く中、鋭く巨大な牙が迫る。


 ふと気がつくと、プーパは荒野にいた。


 小さくぼろぼろな体は、ほんのちょっとの気力さえ残っておらず。

 どこからか魔獣がやってきて、プーパを見つけた時──漠然と終わりを感じた。


 しかし、魔獣はいつまで経ってもプーパを食べようとしない。

 それどころか、何かを待っているようにも見える。


「お前か。僕の領地に突っ込んできた悪魔は」


 近くで聞こえた声に、プーパは視線だけを動かした。

 自分はまた、貴族の元にやってきてしまった。

 その事実が、プーパから口を開く気力さえ奪っていく。


 貴族は焼けた地面を見渡すと、何も言わないプーパに手を伸ばしてきた。

 目を閉じたプーパを、荒い手が持ち上げる。


 乱暴な掴み方だ。

 それでも、プーパはこの手を一瞬で好きになった。

 この手に抱えてもらえるなら、ずっと未熟なままでいいと。


 そう、思った。




 ◆ ◇ ◇ ◇




 魔力が膨れ上がる気配を感じ、インヴィーは足元を見下ろした。


 甲高い鳴き声と共に、使い魔が鉤爪から何かを落とす。

 ぬいぐるみのように小さな塊は、途中まで落下するも、不意に空中で動きを停止した。


 ぬいぐるみの体が、音を立てて裂けていく。

 ぶちぶちとちぎれた背中の隙間から、異様な何かが姿を現そうとしている。


 まるで、蛹から蝶が羽化するように。

 漆黒の翼が、城に影を落とした。

 元のサイズからは考えられないほど巨大な魔獣は、インヴィーの使い魔に向けて咆哮を上げている。


 大きく開いた口元に、エネルギーの塊が集まり始めた。

 魔獣の前方に現れた魔法陣を見て、睦月が小さく笑みを浮かべる。


 放たれた光線は、インヴィーの使い魔を一瞬で焼き払った。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?