「ま、まさかわたくしたちを追ってここまで……!?」
「ぷーぱたちをどうするきだ! このあくまめ!」
目の前で叫ぶプーパたちを無視して、周囲の探索を続ける。
背後で何やら騒いでいたが、誓約書があるため危害を加えられる心配はないだろう──と、思っていたのだが。
突然の落雷に足を止める。
ぷすぷすと煙を上げながら硬直するプーパの隣には、同じく煙を上げて転がるビベレがいた。
「こりないね」
「せいやくしょをたてにするとは! ひれつなやつめ!」
「……プーパ様、戻りましょう。レイン様がお怒りかもしれません」
蛇に顔色があるなら、きっと真っ青だっただろう。
主の名を耳にして、プーパも焦った様子を見せ始める。
「くっ! おまえのせいでごしゅじんまでひどいめに!」
見た目がぬいぐるみのせいか、悪魔としての迫力が全く感じられない。
不服ながらも引き返そうとするプーパたちを、私の方から呼び止めた。
「前に君たちが現世にいたのは、私を魔界へ連れていくためだったんだよね?」
「何故おまえのような死神に、そんなことを教えなければならないのです」
「そうだそうだ! もっといってやるのですびべれ!」
そっぽを向き悪態をつくビベレを、プーパが応援している。
「私いま、魔界にいるんだけど」
「……はっ!」
衝撃でぽかんと口を開けたプーパは、ビベレと顔を見合わせ、こそこそ相談を始めた。
これはチャンスだとか、レイン様がお喜びに、とかなんとか聞こえてくるが、誓約書という言葉が出たことでぴたりと話が止む。
「わなをしかけるなんてひれつな! ぷーぱたちはだまされないぞ!」
「その通りです。わたくしたちが油断したところで、さっくりやってしまう計画なのでしょう!」
「私が魔界を出るまで、お互いに手は出さない。そっちから危害を加えない限り、誓約書による罰を受けることもない。これならどう?」
この誓約書を結ぶ際、上司が
出現させた誓約書を手に、条件の緩和を提案する私を見て、プーパたちは戸惑っているようだった。
「悪いようにはしないから、君たちの主の元に案内してくれる?」
◆ ◆ ◇ ◇
魔界の一角。
悪魔伯爵レインの住む城では、ざわめきが起こっていた。
魔界に死神がいるだけでなく、わざわざレインを訪ねてきたとあっては、騒ぎになるのも仕方ないだろう。
プーパが捉えたとの噂も出回っていたが、実際に死神の姿を見た悪魔は、一様に首を振っていた。
「僕に何の用かな」
紳士の皮を張り付けた悪魔が、柔らかな物腰で話しかけてくる。
城の一室に案内された睦月は、長方形のテーブルに腰掛け、対面した悪魔の顔を真っ直ぐ見返していた。
「君が魔界にいるなんて驚いたよ」
「私も驚きました」
「ハハ、全くそうは見えないけどな」
微笑みを絶やさず会話するレインだが、所々に棘が感じられる。
内側では憎悪の燃えるレインに対し、睦月の表情からは何も読み取ることができない。
「
「僕が答えてやるとでも思っているのかい?」
視線を交わす睦月とレインの間で、プーパたちが硬まっている。
レインの近くに座ったプーパとビベレだったが、周囲を取り巻く異様な空気を感じ、沈黙を貫くことに決めたらしい。
「答えますよ。あなたにとって、私が
「はっ、知らないのか? 誓約書は一方が消えれば白紙になる。聞くところによると、君はインヴィーを怒らせたようじゃないか。ここは魔界だ。現世とは訳が違う。つまり僕は、君が暗黒将に消されるまで、高みの見物で待っていればいいってことさ」
嘲笑するレインを、睦月はただ静観している。
「私が消される可能性は限りなく0です」
「どうしてそんな事が言えるんだ?」
自信過剰だとため息を吐くレインに向けて、睦月は爆弾にも等しい言葉を口にした。
「私が魔界に送られた原因に、魔王も絡んでいるからです」
「……その話をどこから聞いた」
「情報通の死神がいるんですよ」
真っ白な死神を思い、睦月の口元に仄かな笑みが浮かぶ。
動揺から化けの皮が剥がれつつあるレインは、目の前の存在に違和感を抱き始めた。
「死界の王は、私を始末することなく厄介払いしたいみたいです。でも、死界に置き続けるにはリスクが大きい。そんな時、魔王が私を欲しがっていることを知った」
緊張を誤魔化すように固唾を呑む。
──なにもかも。そうだ、何もかもが違う。
目の前の死神が以前とは
「王からしてみれば、私が存在さえしていればいいんです。利害が一致したんですよ。手元に置きたがっている魔王と、私を追い出したがっている死神王。だからインヴィーは、魔王との仲介役として魔界に戻ることができた」
一言も発することができない。
レインの既視感が、徐々に強まっていく。
「もし私が魔界に残れば、誓約書の効果も残り続けます。そして魔界には、現世とは比べ物にならないほどの悪魔がいる。その中には、あなたの部下も数多くいるはずですよね」
似ている。
レインを完膚なきまでに叩きのめした──
「そうなれば何が起こるかなんて、言わなくても分かるのでは?」
「……魔界から出る際に、
屈辱か恐怖か。
レイン自身、湧き上がった感情が何なのか分からないでいた。
「つまり、魔界から出るためには、どのみち魔王と会う必要があるんですね」
睦月の視線が突き刺さる。
嫌な予感がして、レインは口早に言葉を発した。
「僕が暗黒将を呼んでやる。それなら魔王とも会えるはずだ」
「それって、何も起こらずに会えると思いますか?」
──無理だろうな。
悪魔は血の気が盛んだ。
血液なんてものは通っていないのに、三界の中で最も争いを好んでいる。
暗黒将など、考えるまでもないことだった。
レインはその事実を、嫌というほど知っていた。
「それで、提案なんですけど」
「嫌だ」
「まだ何も言ってません」
「言われなくても嫌だ」
「魔王のところまで、安全に案内して欲しいんです」
「だから嫌だって……は?」
嫌な予感なんて生優しいものではない。
睦月の言葉を整理するなら、
「相手に暗黒将もいるんだぞ! 僕に自滅行為を望んでるのか!? だいたい、それで僕に何の得が──」
「誓約書を破棄します」
「……いま、なんて言った」
一瞬、耳を疑った。
「無事に魔王と会うことができたら、誓約書を白紙に戻すと言いました」