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ep.10 新月


 昔から、綺麗なものを眺めてしまう癖があった。

 そういった事情もあり、上司のことも割と見てしまっている自覚はある。


 けれど、これまでであれば呆れた様子で外されていた視線が、今回は絡んだまま離れなくて。

 あの時、心に湧いた感情がいったい何だったのか。

 答えが出ないまま、私は休息所の扉を開けていた。


 ページを捲る私の横には、これから読む予定の本が積み上がっている。

 天井までぎっしりと並べられた本の数々だが、自ら取りに行く必要はない。


 さらに言うなら、自動修繕が施されているため、本が欠けることも散らかることもない。

 使い方に慣れてしまえば、ここはとても便利な場所だった。


 黙々と本を読む私の近くに、上司が腰掛ける気配がする。


「現世で朧月と会いました」


「そのようですね」


 互いに本を読み続けたまま、ぽつぽつと会話を交わしていく。


「あと、また会いにくるよう言われました。あの容姿を前にしては断れず」


「でしょうね」


「……もしかして、上司も朧月の容姿が好みなんですか?」


 現状を考えると、あまり死界を離れるのは良くないはずだ。

 しかし、今回は不可抗力のため、先に言い訳という名の理由を伝えておいたのだが──。


 もの凄く呆れた目で見られた。


「なんかごめんなさい」


「構いませんよ。睦月のその辺りの成熟度は、赤子と大差ありませんからね」


 どうやら、上司が肯定したのは朧月の容姿に関する方ではなかったらしい。

 それにしても、まさか赤子と比較されるとは思わなかった。


 微妙な気持ちで文字を追っていると、上司がデスクに本を置く音が聞こえた。


「呼び出しがあったので向かいます。ここは開けておくので、好きに使っていいですよ」


「呼び出しって……死神王からの、ですか?」


「あれを王と呼ぶかはさておき、概ねその通りですよ」


 立ち上がったことで、身長差がより顕著になる。

 見上げる私と視線が合った直後、上司が緩く目を細めた。


「今の睦月なら問題ないとは思いますが、一つだけアドバイスしておきます。──誓約書は有効に使ってください」


 未来で何か視えたのだろう。

 素直に頷く私を見て、上司はそのまま休息所を後にした。




 ◆ ◆ ◇ ◇




「常闇はまた遅刻か」


 不快感をあらわにするロベリアに対し、ヘデラは涼しい顔で扇子を仰いでいる。


「機嫌が良さそうですね、ヘデラ」


緑花りょくか殿は、拾い物が相当気に入ったらしい」


「所詮は駒に過ぎんよ。じゃが、思っていた以上に良い拾い物ではあったのう」


 無花果いちじくとロベリアの言葉に笑みを深めたヘデラは、相変わらず眠り続ける黄色おうかの方へ目を向けた。


「そう言えば、に変わりはないかえ?」


「異常を検知するどころか、近づいた痕跡さえありません。宝月であればまだしも、他の死神では睡蓮すいれんの領域に侵入することなど不可能でしょう」


 睡蓮は黄花の名だ。

 呼ばれても起きる気配のない睡蓮を見て、無花果が優しく微笑んでいる。


 彼岸花ひがんばなが互いを敬称で呼び合う中、無花果だけは名前で呼ぶようにしていた。

 否、正確にはもう一花いるが、無花果にとっては例外である。


 王から寵愛を受けるあの花だけは、どうしても仲間と思えなかったのだ。


「未来視は我らにとってかなり厄介な能力じゃ。しかも、その能力の持ち主が常闇ときておる。手の内を強制的に視られれば、王の悲願を叶えるのも難しくなろうて」


「不可能に近いとはいえ、異質な存在もいるのは確かです。万が一に備え策を講じるよう、睡蓮に話しておきます」


「それがよかろう」


 ヘデラの言葉に意識を引き戻した無花果は、睡蓮が目を覚ましたら伝えようと頭の片隅に書き留めておいた。


「ようやくお出ましじゃな」


 入り口から漆黒が覗く。

 ヘデラたちの視線も意に介さず、飄々ひょうひょうと足を踏み入れた常闇に、無花果は険しい表情で眉をひそめていた。




 ◆ ◆ ◆ ◇




 休息所から戻る途中だった睦月は、見覚えのない景色に目を瞬いていた。


「ここ、どこだろう」


 思わず呟きが溢れるほど、周囲の景色は死局のものと異なっている。


 初めてきた場所ならまだしも、何度も通った道だ。

 記憶能力に優れた睦月が間違える訳もなく、原因の分からない状況にただ立ち尽くしてしまう。


 転幽てんゆうと入れ替わった可能性も考えたが、記憶に抜け落ちた部分はない。

 このまま止まっていても仕方がないと腹を括った睦月は、奥に続く道を進んでいった。


 静かで薄暗い通路を抜けると、開けた空間に出た。

 中央には台座があり、その上には透明なケースのようなものが置かれている。

 台座の周りを囲う陣が、薄く発光しているのが見えた。


 ケースの中には、球体が二つ浮かんでいる。

 まるで、強大な何かを無理やり詰め込んだかのように、球体の中では紅い光が渦巻いていた。


 台座に近づく睦月だったが、つま先が陣に触れる直前でぴたりと足を止める。

 二つの球体に込められた紅は、睦月にとってやけに見覚えのある色だったのだ。


 扉の先で取り戻した記憶。

 その記憶の中に、全く同じ色の目を持つ死神がいた。

 それだけではない。

 睦月はこの紅を、もう一つ知っていた。


 ──どうして気づかなかったんだろう。


 生まれた瞬間を彩った紅も、幼い頃に夜空の下で見た紅も。

 睦月はとっくに知っていたのだ。


 片耳で揺れるピアスには、紅い宝石が装飾されている。

 あの日、星の輝く空に月はなく。


 夜闇に溶け込んだ漆黒には、宝石のような紅い目がはまっていた。



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