昔から、綺麗なものを眺めてしまう癖があった。
そういった事情もあり、上司のことも割と見てしまっている自覚はある。
けれど、これまでであれば呆れた様子で外されていた視線が、今回は絡んだまま離れなくて。
あの時、心に湧いた感情がいったい何だったのか。
答えが出ないまま、私は休息所の扉を開けていた。
ページを捲る私の横には、これから読む予定の本が積み上がっている。
天井までぎっしりと並べられた本の数々だが、自ら取りに行く必要はない。
さらに言うなら、自動修繕が施されているため、本が欠けることも散らかることもない。
使い方に慣れてしまえば、ここはとても便利な場所だった。
黙々と本を読む私の近くに、上司が腰掛ける気配がする。
「現世で朧月と会いました」
「そのようですね」
互いに本を読み続けたまま、ぽつぽつと会話を交わしていく。
「あと、また会いにくるよう言われました。あの容姿を前にしては断れず」
「でしょうね」
「……もしかして、上司も朧月の容姿が好みなんですか?」
現状を考えると、あまり死界を離れるのは良くないはずだ。
しかし、今回は不可抗力のため、先に言い訳という名の理由を伝えておいたのだが──。
もの凄く呆れた目で見られた。
「なんかごめんなさい」
「構いませんよ。睦月のその辺りの成熟度は、赤子と大差ありませんからね」
どうやら、上司が肯定したのは朧月の容姿に関する方ではなかったらしい。
それにしても、まさか赤子と比較されるとは思わなかった。
微妙な気持ちで文字を追っていると、上司がデスクに本を置く音が聞こえた。
「呼び出しがあったので向かいます。ここは開けておくので、好きに使っていいですよ」
「呼び出しって……死神王からの、ですか?」
「あれを王と呼ぶかはさておき、概ねその通りですよ」
立ち上がったことで、身長差がより顕著になる。
見上げる私と視線が合った直後、上司が緩く目を細めた。
「今の睦月なら問題ないとは思いますが、一つだけアドバイスしておきます。──誓約書は有効に使ってください」
未来で何か視えたのだろう。
素直に頷く私を見て、上司はそのまま休息所を後にした。
◆ ◆ ◇ ◇
「常闇はまた遅刻か」
不快感をあらわにするロベリアに対し、ヘデラは涼しい顔で扇子を仰いでいる。
「機嫌が良さそうですね、ヘデラ」
「
「所詮は駒に過ぎんよ。じゃが、思っていた以上に良い拾い物ではあったのう」
「そう言えば、
「異常を検知するどころか、近づいた痕跡さえありません。宝月であればまだしも、他の死神では
睡蓮は黄花の名だ。
呼ばれても起きる気配のない睡蓮を見て、無花果が優しく微笑んでいる。
否、正確にはもう一花いるが、無花果にとって
王から寵愛を受けるあの花だけは、どうしても仲間と思えなかったのだ。
「未来視は我らにとってかなり厄介な能力じゃ。しかも、その能力の持ち主が常闇ときておる。手の内を強制的に視られれば、王の悲願を叶えるのも難しくなろうて」
「不可能に近いとはいえ、異質な存在もいるのは確かです。万が一に備え策を講じるよう、睡蓮に話しておきます」
「それがよかろう」
ヘデラの言葉に意識を引き戻した無花果は、睡蓮が目を覚ましたら伝えようと頭の片隅に書き留めておいた。
「ようやくお出ましじゃな」
入り口から漆黒が覗く。
ヘデラたちの視線も意に介さず、
◆ ◆ ◆ ◇
休息所から戻る途中だった睦月は、見覚えのない景色に目を瞬いていた。
「ここ、どこだろう」
思わず呟きが溢れるほど、周囲の景色は死局のものと異なっている。
初めてきた場所ならまだしも、何度も通った道だ。
記憶能力に優れた睦月が間違える訳もなく、原因の分からない状況にただ立ち尽くしてしまう。
このまま止まっていても仕方がないと腹を括った睦月は、奥に続く道を進んでいった。
静かで薄暗い通路を抜けると、開けた空間に出た。
中央には台座があり、その上には透明なケースのようなものが置かれている。
台座の周りを囲う陣が、薄く発光しているのが見えた。
ケースの中には、球体が二つ浮かんでいる。
まるで、強大な何かを無理やり詰め込んだかのように、球体の中では紅い光が渦巻いていた。
台座に近づく睦月だったが、つま先が陣に触れる直前でぴたりと足を止める。
二つの球体に込められた紅は、睦月にとってやけに見覚えのある色だったのだ。
扉の先で取り戻した記憶。
その記憶の中に、全く同じ色の目を持つ死神がいた。
それだけではない。
睦月はこの紅を、もう一つ知っていた。
──どうして気づかなかったんだろう。
生まれた瞬間を彩った紅も、幼い頃に夜空の下で見た紅も。
睦月はとっくに知っていたのだ。
片耳で揺れるピアスには、紅い宝石が装飾されている。
あの日、星の輝く空に月はなく。
夜闇に溶け込んだ漆黒には、宝石のような紅い目がはまっていた。