何かがおかしい。
インヴィーの思考は、違和感で塗り潰されていた。
たかがひよっこに、
それだけでも、充分おかしな事だったのに──。
永い時を生きてきて、インヴィーがここまで押される相手と戦ったのは久しぶりだ。
違和感と少しの戦慄。
それ以上に、未知への興味が湧いてくる。
甘くみていたのは認めよう。
自身への皮肉も込めて、唇の端を持ち上げる。
顔色ひとつ変えない死神に、インヴィーの方から一歩近づいた。
「生まれたばかりの死神が、ここまで強いものかしら。何だか妬けちゃうわね」
攻撃しても無駄だ。
睦月を狙った攻撃はどれも、空間の中に吸い込まれてしまう。
挙げ句の果てに、不規則に裂ける空間からばらばらと降ってきた剣が、使い魔を呼び出すための陣をことごとく消し去っていくのだ。
既に開いた陣は氷の壁で覆われ、新しい陣は開く前に防がれる。
インヴィーとしては、手段を変える他なかった。
「小手調べのつもりだったけど、あなたには必要なかったようね。でも、これならどうかしら?」
睦月とインヴィーの間に、巨大な陣が発生する。
大規模な陣であれば、そう簡単に閉じることはできないと考えたのだ。
力業だが、効果はあったらしい。
陣の中が沸騰する液体に変化し、中からドロリとした何かが姿を現した。
強酸に浸けられた肉塊のように煙を上げている体は、先ほどまでの使い魔よりも巨大で、顔は焼け爛れている。
痛覚がないのか、背中に突き刺さった剣を気にする様子は見られない。
睦月の周囲に紫色の玉が浮かぶ。
見た目だけで表すなら、大量のシャボン玉といったところか。
しかし、一つ一つが自在に動き回る毒の酸だと考えれば、相当厄介なものに思えてくる。
「どう? これで少しは楽しめるかしら」
「戦いは楽しむためにするんじゃなくて、譲れないものがあるからするんですよ。待たせたくないので、私もそろそろ終わらせますね」
睦月の言葉に、インヴィーはもう一方の死神がいる場所へと目を向けた。
壁を隔てた先には、絶対零度が広がっていた。
一匹残らず凍りついた使い魔が、崩れ落ちるように砕けていく。
おそらく、何が起こったかも分からないほど一瞬で凍ったのだろう。
使い魔の顔からは、微塵の苦痛も感じられなかった。
──何なんだこいつらは。
未知への興味が、深淵に行き当たったかのような寒気に変わる。
異様なのは、目の前の死神だけではない。
滑らかな断面が露わになり、落ちた頭部が地面を転がる。
体がゆっくりと傾いた後、辺りに鈍い音が響き渡った。
「……何をしたの」
「首を斬り落としました」
「それにしては、そこから動いたようには見えなかったけど」
睦月の立つ場所は変わっていない。
つまり、今いる位置から使い魔の首を落とすには遠すぎるのだ。
「私の空間は、収納以外にも色々と使い道があるんですよ。たとえば──こんな感じで」
「きゃああああ!」
内側から焼かれるような痛みを感じ、インヴィーは皮膚を掻きむしった。
睦月の周囲を漂わせていた毒の玉が、綺麗さっぱりなくなっている。
インヴィーの放った攻撃が、身体の中で破裂したかのような──否、実際破裂したのだ。
攻撃を直接、
インヴィーは身体中を、自身の能力によって焼かれ続けている。
「……なるほどね。あの犬の首も、そうやって落としたってわけ」
通常では届かない距離も、空間を経由すれば可能になる。
「……ふっ、ふふ、あはは!」
自制の糸がぷつりと千切れた音がした。
インヴィーの笑い声が狂気を孕み、辺りを支配していく。
魔王の命令も、現世での決まりも、もうどうだって良かった。
今のインヴィーが望むのは、目の前の妬ましい存在をぐちゃぐちゃにしてやること。
ただ、それだけなのだから。
◆ ◆ ◆ ◆
うわぁ。
裂けた空間からざらざらと落ちてくる剣に、他人事のような感情を抱く。
無限ではないはずだが、終わりが全く見えないのだ。
空間自体に限りはない。
とは言え、いったいどれほど詰め込んだのか。
転幽のほどほどは、絶対にほどほどではない。
召喚陣に
こうすることで、使い魔が召喚される前に陣を破壊することができるのだ。
同じ容量で、無理矢理召喚された使い魔の首も落としておいた。
中に空間を作ってしまえば、
ついでに周りを取り囲む毒の玉を処理し、仕組みを知りたがるインヴィーに身を以て体験してもらった。
内側から溶かされたことで、外見的には半殺し以上にぼろぼろだ。
ただ、インヴィーにアヴァリーのような潔さはないらしい。
狂気の混じった声で笑うインヴィーからは、撤退どころか本気の怒りを感じた。
先ほどとは比にならない魔力が溢れ出し、広範囲で草木が溶けていく。
地面がぴしぴしと悲鳴を上げ、下手をすればここら一帯が吹き飛びそうな威力だった。
警戒と共に