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ep.7 超えた境界線


 何かがおかしい。


 インヴィーの思考は、違和感で塗り潰されていた。

 たかがひよっこに、が興味を持った。

 それだけでも、充分おかしな事だったのに──。


 永い時を生きてきて、インヴィーがここまで押される相手と戦ったのは久しぶりだ。

 違和感と少しの戦慄。

 それ以上に、未知への興味が湧いてくる。


 甘くみていたのは認めよう。

 自身への皮肉も込めて、唇の端を持ち上げる。

 顔色ひとつ変えない死神に、インヴィーの方から一歩近づいた。


「生まれたばかりの死神が、ここまで強いものかしら。何だか妬けちゃうわね」


 攻撃しても無駄だ。

 睦月を狙った攻撃はどれも、空間の中に吸い込まれてしまう。


 挙げ句の果てに、不規則に裂ける空間からばらばらと降ってきた剣が、使い魔を呼び出すための陣をことごとく消し去っていくのだ。


 既に開いた陣は氷の壁で覆われ、新しい陣は開く前に防がれる。

 インヴィーとしては、手段を変える他なかった。


「小手調べのつもりだったけど、あなたには必要なかったようね。でも、これならどうかしら?」


 睦月とインヴィーの間に、巨大な陣が発生する。

 大規模な陣であれば、そう簡単に閉じることはできないと考えたのだ。


 力業だが、効果はあったらしい。

 陣の中が沸騰する液体に変化し、中からドロリとした何かが姿を現した。


 強酸に浸けられた肉塊のように煙を上げている体は、先ほどまでの使い魔よりも巨大で、顔は焼け爛れている。

 痛覚がないのか、背中に突き刺さった剣を気にする様子は見られない。


 睦月の周囲に紫色の玉が浮かぶ。

 見た目だけで表すなら、大量のシャボン玉といったところか。


 しかし、一つ一つが自在に動き回る毒の酸だと考えれば、相当厄介なものに思えてくる。


「どう? これで少しは楽しめるかしら」


「戦いは楽しむためにするんじゃなくて、譲れないものがあるからするんですよ。待たせたくないので、私もそろそろ終わらせますね」


 睦月の言葉に、インヴィーはもう一方の死神がいる場所へと目を向けた。


 壁を隔てた先には、絶対零度が広がっていた。

 一匹残らず凍りついた使い魔が、崩れ落ちるように砕けていく。


 おそらく、何が起こったかも分からないほど一瞬で凍ったのだろう。

 使い魔の顔からは、微塵の苦痛も感じられなかった。


 ──何なんだこいつらは。

 未知への興味が、深淵に行き当たったかのような寒気に変わる。

 異様なのは、目の前の死神だけではない。


 のだと悟ったインヴィーの前で、使い魔の首が滑り落ちていく。

 滑らかな断面が露わになり、落ちた頭部が地面を転がる。


 体がゆっくりと傾いた後、辺りに鈍い音が響き渡った。


「……何をしたの」


「首を斬り落としました」


「それにしては、そこから動いたようには見えなかったけど」


 睦月の立つ場所は変わっていない。

 つまり、今いる位置から使い魔の首を落とすには遠すぎるのだ。


「私の空間は、収納以外にも色々と使い道があるんですよ。たとえば──こんな感じで」


「きゃああああ!」


 内側から焼かれるような痛みを感じ、インヴィーは皮膚を掻きむしった。

 睦月の周囲を漂わせていた毒の玉が、綺麗さっぱりなくなっている。


 インヴィーの放った攻撃が、身体の中で破裂したかのような──否、実際破裂したのだ。

 攻撃を直接、ことによって。


 インヴィーは身体中を、自身の能力によって焼かれ続けている。


「……なるほどね。あの犬の首も、そうやって落としたってわけ」


 通常では届かない距離も、空間を経由すれば可能になる。

 死神之大鎌デスサイズによる斬撃を内側から発生させたことで、使い魔は抵抗する間も無く、首と胴体を切り離されてしまったという訳だ。


「……ふっ、ふふ、あはは!」


 自制の糸がぷつりと千切れた音がした。

 インヴィーの笑い声が狂気を孕み、辺りを支配していく。

 魔王の命令も、現世での決まりも、もうどうだって良かった。


 今のインヴィーが望むのは、目の前の妬ましい存在をぐちゃぐちゃにしてやること。


 ただ、それだけなのだから。




 ◆ ◆ ◆ ◆




 うわぁ。

 裂けた空間からざらざらと落ちてくる剣に、他人事のような感情を抱く。

 無限ではないはずだが、終わりが全く見えないのだ。


 空間自体に限りはない。

 とは言え、いったいどれほど詰め込んだのか。

 転幽のほどほどは、絶対にほどほどではない。


 召喚陣に空間すきまをこじ開け、剣を捩じ込んでいく。

 こうすることで、使い魔が召喚される前に陣を破壊することができるのだ。


 同じ容量で、無理矢理召喚された使い魔の首も落としておいた。

 中に空間を作ってしまえば、死神之大鎌デスサイズのリーチでも簡単に届いてしまう。


 ついでに周りを取り囲む毒の玉を処理し、仕組みを知りたがるインヴィーに身を以て体験してもらった。

 内側から溶かされたことで、外見的には半殺し以上にぼろぼろだ。


 ただ、インヴィーにアヴァリーのような潔さはないらしい。

 狂気の混じった声で笑うインヴィーからは、撤退どころか本気の怒りを感じた。


 先ほどとは比にならない魔力が溢れ出し、広範囲で草木が溶けていく。

 地面がぴしぴしと悲鳴を上げ、下手をすればここら一帯が吹き飛びそうな威力だった。


 警戒と共に死神之大鎌デスサイズを構え直した直後、空から降ってきた光の矢が、インヴィーの身体を貫いた。



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