目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
ep.5 悪魔とひよこ


 トラブル体質を超えて、もはや歩くトラブルメーカーなのかもしれない。

 久しぶりに現世を散歩しただけで、こうもすぐに遭遇するとは。


 何か起こりそうな予感はしていたが、実際目にするとため息を吐きたくなる。


「まあ、ちっとも驚かないのね。ひよっこにしては肝が据わってるわ」


 空に浮かぶ女性──悪魔は、カールした長い髪を払うと、真っ赤な唇を吊り上げた。


 艶かしい仕草で笑う悪魔からは、異様な力を感じる。

 それこそ、以前出会った暗黒将──アヴァリーのような異質さに近い。


「そんなに警戒しなくても、危害を加えるつもりはないわ。私はただ、渦中の死神に興味があって会いにきただけなの」


 悪魔の気配を感じるなり、本来の姿に戻った霜月は、冷え冷えとした目で悪魔の方を睨んでいる。


「あら? 隣の死神ってたしか、レインの部下を氷漬けにした子よね。あそこの悪魔は大声で騒ぐから、噂になるのも早かったのよ」


 楽しげに唇を吊り上げた悪魔は、他の悪魔がどうなろうと構わないのだろう。

 むしろ、面白がっている雰囲気さえ感じられる。


「ひとまず場所を変えませんか? 悪魔あなたからしても、現世ここで問題を起こすのは不都合が多いはずです」


「インヴィーよ。私から会いに来たんだもの。名前くらいは名乗っておかないとね」


 さらりと名前を口にした悪魔──インヴィーだが、こちらの名前を聞く様子はない。

 既に知っているから不要なのか。

 それとも、名前を知るまでもないと思っているのか。


 どちらにせよ、インヴィーの思惑が分からない中、自分から名乗る必要もないだろう。


 実体化を解き、ローブを羽織る。

 印を起動することに抵抗感はあるが、この状況では仕方がない。

 ──あまり大事にならないよう頑張ろう。


 インヴィーの姿を視界に収めながら、誰にともなく心の中で呟いてみた。




 ◆ ◆ ◆ ◇




「即席で悪いわね」


 どうやら、人間が入ってこれないよう、周囲に認知阻害の結界を張ったらしい。

 インヴィーは何かあった時のための保険だと言っていたが、そもそも私たちの姿が人間に見えることはない。


 ──戦うつもりもないのに、人避けとは周到なことだ。


 悪いと口にしながらも、中に込められた感情は別のもので。

 そんな主人の影響を受けているのか、インヴィーの使い魔らしき悪魔は、さっきからずっと唸りっぱなしである。


 体躯は狼よりも一回り大きく、尻尾は蛇のように細長い。

 尾の先端は鋭く尖っており、威嚇するようにこちらへ向けられている。


 前屈みで今にも飛びかかりそうな悪魔を見て、霜月の纏う空気に暗さが増すのを感じた。


「だめだよ霜月」


 今はまだ駄目。

 そっと腕に触れ制すると、霜月は暗い雰囲気を雲散させ、一瞬で能力を引かせていく。


「あら、よく躾けられてるのね。……おまえも少しは見習いなさいな」


 インヴィーからギロリと睨まれたことで、使い魔はきゅんきゅんと鳴きながら耳を下げている。

 凍りついていた地面が元の形を取り戻し、インヴィーが仕切り直しだと言うように笑いかけてきた。


「この犬はまだ躾の途中なの。大目に見てもらえると嬉しいわ」


「別に怒ってません。ただ、躾が必要な存在を傍に置いたことがないので、見習うのは難しそうですね」


 怒ってはいない。

 でも、霜月を引き合いに出されるのは不愉快だ。


 インヴィーの表情から偽りが消えていく。

 形だけの笑顔より、今の笑みの方がよっぽどそれらしかった。


「けっこう生意気なのね」


「嘘がつけないので」


「……へえ、そんなこと言っていいの? 敵に回す相手を間違えてないかしら」


 探るような眼差しだが、同時に興味も含まれている。


 悪魔にとって死神は天敵だ。

 転幽から聞いた話では、かつて魔界の王が死界の王を怒らせたことがあったらしい。


 当時の魔王や重臣たちは宝月によって一掃され、死神と悪魔の関係はより明確化した。

 さらに悪魔は天使とも仲が悪いため、協力を求める相手もいなかったようだ。


 しかし、これらは全てである。


 悪魔たちが死界いまの王をどう思っているかは分からない。

 そしてそれは、逆もまた然りなのだ。


「私に会いに来ただけなら、目的は済みましたよね」


「そうねぇ。魔王様から危害は加えるなって言われてるし、残念だけどここまでかしら」


「それなら──」


 もう帰ってもいいですか?

 そう続くはずだった言葉は、強烈な戦意の前に消え去っていく。


「でもね、私が危害を加えないよう言われてるのって、ひよっこちゃんだけなのよ」


 インヴィーの視線が霜月の方へと向けられる。


「霜月に手を出すなら、私も容赦しません」


「困ったわねぇ。いくら危害を加えないと言っても、防衛のためなら仕方ないと思わない?」


 使い魔が再び唸り声を上げ始め、インヴィーの口元が歪な笑みを作る。

 合図を待つ使い魔を前に、呼び出した死神之大鎌デスサイズを握った。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?