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ep.4 春の残り香


 朧月は三つ編みを指で揺らしながら、飾られた部分が見えるたびに笑みを滲ませている。


「そういえば、どうして急に連絡をくれたの?」


 ひとひらの手紙は桜のように儚く、黄昏時の空に浮かぶ朧げな月のように仄かだった。

 残った香りの余韻だけが、送られた言葉を確かにしてくれる。


「渡しておきたい物があったんだ。手を出してくれる?」


 言われた通り手を差し出すと、上にかざした朧月の手から、真っ白な桜が降ってきた。

 受け止めた桜は、手の中で雪のように溶けていく。


 身体の中へ取り込まれたことで、朧月が渡した物の正体も把握することができた。


「これって、記録書の……」


「もう休息室には入ってたんだね。それなら話が早い」


 満足げな様子の朧月は、「さすが新月」と呟いている。


「今のは死界を出た後に記した情報だから、休息室むこうには置いてないんだ。内容については──睦月なら既に勘付いているんじゃないかな」


 共有された情報が示す相手は、思った以上に大物で。

 なかなか厄介な事になりそうだと、ため息を溢したくなった。

 ──ただ、分かったこともある。


「朧月は、私の目的を知った上でこの情報をくれたんだよね。協力してくれるって考えてもいいの?」


「僕は初めから、睦月の味方でいたつもりだよ」


 儚い容姿とは反対に、芯の通った瞳を真っ直ぐ見返す。

 たとえ、裏にいくつもの思惑が絡んでいようと、私は朧月を信じると決めた。

 だったら、とことん信じてみればいい。


 誰かを信じたいと思ったなら、信じると決めた責任ごと自分が背負うべきだ。

 もしこの先の未来で何が起こったとしても、それもまた私の選択だったのだと、前を向いて言えるように──。


「一つ忠告しておくね。死神は個を好みやすい。常に連絡ラインが繋がり、印によって管理されている現在いまの仕組みを、多くの死神は窮屈だと感じているはずだ」


 視界の端に舞い散る桜を捉えながら、朧月の忠告に耳を傾ける。


「だから、死神には気をつけて。印に違和感を持たない死神は、やつらが直接連れてきたか、そもそも印がないかのどちらかだと思うから」


 頷いた私を見て、朧月の纏う空気がふわりと緩んでいく。


「そろそろ戻らないと」


 邸宅に霜月を待たせたままだ。

 あまり長居するわけにもいかないだろう。

 私よりも早く立ち上がると、朧月は優しく手を取り引いてくれた。


「睦月は、どうして死神が手を繋ぐのか知ってる?」


 指同士が絡み、きゅっと力が込められる。


「遠い昔、互いの世界を守るため、死の神と生の神が手を取り合ったことから始まってるんだ。手を取るのは敵意がないことを意味していて、互いの意思が相反していないか確かめるためのものでもあるんだよ」


 なるほど。

 だから連絡先を交換する時、手を握る必要があったのか。

 どんな意味があるのか不思議に思っていたが、点と点が繋がった。


 双方が同じ気持ちで手を握ることが、同意の証になり得ていたのだ。


「それで、どうかな?」


「なにが?」


 手を握られながら、朧月の問いに首を傾げる。


「僕の真心が伝わったかなと思って」


 目線が合うなりにこりと微笑む朧月の手を、思いっ切り握り返してみた。


「えっと……けっこう強く握るね?」


 力の強さに戸惑いつつも、痛くはないのだろう。

 予想外の行動に、朧月は手と私を見比べている。


「このくらい、伝わったかな」


 込めていた力を一気に抜くと、朧月はきょとんとした顔の後、くすくすと笑い声を溢し始めた。


「なるほどね。睦月のことは、色々知ってるつもりでいたんだけど……もっと知りたくなっちゃったな」


 うわ、美人。

 屈託の無い笑顔があまりにも綺麗で、真っ先に称賛の言葉が頭を埋め尽くしていく。


 しかし、手を離せないよう絶妙な力加減で握り続ける朧月の姿に、やり方を間違えたかも……なんて気持ちが湧いてきた。


「睦月って、僕の見た目を気に入ってるよね」


 ええ、それはもう。

 心の声は誤魔化せない。

 幼少期から、綺麗なものが一等好きだったのだ。

 今更否定のしようもないだろう。


 無言を肯定と受け取ったらしい。

 朧月は、「じゃあまた会いに来てくれる?」なんて言いながら、私の顔を覗き込んできた。


 間違いなく、あの記録書を書いたのは朧月だと確信した。


 ちなみに、返答は「はい」一択である。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 戻ってきて見えたのは、青々とした木々だった。

 緑の生い茂る庭園を抜け、霜月のいる場所へと向かう。

 縁側で丸まっている黒猫が目に映り、自然と笑みが浮かんだ。


「霜月。お待たせ」


 私の近づく気配に顔を上げた霜月は、一声鳴くと、こちらに向かって跳躍してきた。

 危なげなく抱き止め、そのまま胸に抱える。


 ゴロゴロ聞こえる音に癒されていたが、突然ぴたりと音が止んだ。

 じっと私の髪を見つめる霜月の視線を辿り、手で触れてみる。


 さらりとしたリボンの生地と、結われた三つ編みの感触。

 それともう一つ、違う感触がした。


 髪に、桜の花が差し込んである。


 季節外れの花は綺麗な形を保っており、花弁にはまだ──春の香りが漂っていた。



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