上機嫌で寄り添う霜月の頭を撫でながら、律たちの惨状を思い返す。
げっそりした様子の律に「後は任せて」と言われ自室に戻ってきたが、帰りがけに見た燕はふらふらで、時雨はダウン状態だった。
自分でも食べてみたが、これといっておかしな味はせず。
霜月が無事だったことといい、謎は深まるばかりだ。
アパートの外は曇天で、分厚い雲が垂れ込めている。
霜月たちと初めて会った日も、ちょうどこんな天気だった。
「雨、降りそうだね」
撫でられると目を細める仕草が可愛くて、霜月の頭から手を離せずにいる。
「霜月。お願いがあるんだけど」
寄りかかっていた身体を起こすと、霜月は内容を聞く前に承諾の返事をしてきた。
わがままをわがままとも思わない霜月は、私のお願いに柔らかく表情を緩めた。
◆ ◆ ◇ ◇
久しぶりに見た現世の風景は、前と少しも変わっていない。
当然と言えば当然なのだが、実体化して触れる現世は、やけに懐かしく感じられた。
「窮屈じゃない?」
腕の中で大人しく抱かれている黒猫は、霜月が能力で変化した姿だ。
仕事でもない限り、死神が現世で姿を現すことは禁止されている。
人間としての側面を持つ私は、実体で行動することも可能だが、霜月は現世の
その結果が
問題ないと言うようにパチリと瞬いた霜月は、綺麗な金色をゆるりと細めていく。
猫になっても変わらない仕草が可愛くて、指でおでこを撫でながら、目的の場所へと足を進めた。
公園ほどの広さがあり、別荘として使用することもある。
門の前を掃除していた庭師が、私に気づくなり慌てて隅に移動するのが見えた。
私の名字が
会ったのは片手で数える程度だが、どうやら庭師の男は私のことを覚えていたらしい。
視線を下げたまま動かない庭師の横を通り、邸宅の方に向かった。
「少しだけ待っててくれる?」
問いかける私を見上げると、霜月は何も聞かず、するりと地面へ降り立っていく。
縁側に座って一声鳴いた霜月の頭を撫で、邸宅の裏庭に続く道を進んだ。
庭園を埋め尽くすほどの木々は、どれも桜の木だ。
緑が生い茂っているため、開花の時期でもなければ、桜の木とは気づかないかもしれない。
そういえば、
香りを辿るように、とある木の前まで近づく。
幹の部分に手を当てると、ぶわりと目の前が塞がれた。
一瞬で立ち込めた霧は濃く、方角さえも知ることはできない。
けれど、覆われた視界であっても、行き先に迷うことはなかった。
◆ ◇ ◇ ◇
「待ってたよ、睦月」
夕暮れの空と、辺り一面に広がる満開の桜。
花弁が舞い落ちる木の下で、真っ白な死神が微笑んでいる。
「入り口に気づいてくれて良かった。随分と目の扱いにも慣れたみたいだね」
「朧月がくれた仕掛けもあったからね」
瞼の部分を指差すと、朧月は嬉しそうに笑みを深めていく。
「役に立ったならなによりだよ。そういえば、三日月とも会ったんだってね」
「三日月と話したの?」
「ほんの少しだけね。同じ現世にいるから、たまに隙をついて手紙を送り合ってるんだ。三日月からは小言が送られてきたよ」
手のひらに降ってきた花弁を受け止め、息を吹きかけた朧月は、そのまま私の手を取ると、木の下に腰掛けるよう引いてきた。
花弁の絨毯に並んで座り、太い木の幹に背中を預ける。
思い出し笑いを溢す朧月に、どんな事を言われたのか聞いてみた。
「いきなり接触しすぎだって言われたよ」
「接触?」
「たとえば、──こういうのとかかな」
白い指先が髪を掬っていく。
そのまま毛先に口付けた朧月は、「また小言が届くかもね」なんて話しながら、全く後悔の感じられない顔で首を傾げている。
左耳の前で揺れる小ぶりの三つ編みが、新雪のようにふわりと流れて。
思わず、三つ編みを指で挟みこんでいた。
「……えっと」
「動かないで」
余裕のある態度が僅かに崩れ、朧月は目に戸惑いを滲ませている。
ひらひらと降ってくる桜の中で、花の形が保たれているものを選び手に取った。
三つ編みの間に差し込むように花を飾る。
白に映える桜色は、紅の混じる瞳よりもさらに淡く。
花が綻ぶように笑う朧月に、よく似合っていた。