目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
ep.3 新雪と桜


 上機嫌で寄り添う霜月の頭を撫でながら、律たちの惨状を思い返す。


 げっそりした様子の律に「後は任せて」と言われ自室に戻ってきたが、帰りがけに見た燕はふらふらで、時雨はダウン状態だった。


 自分でも食べてみたが、これといっておかしな味はせず。

 霜月が無事だったことといい、謎は深まるばかりだ。

 アパートの外は曇天で、分厚い雲が垂れ込めている。


 霜月たちと初めて会った日も、ちょうどこんな天気だった。


「雨、降りそうだね」


 撫でられると目を細める仕草が可愛くて、霜月の頭から手を離せずにいる。


「霜月。お願いがあるんだけど」


 寄りかかっていた身体を起こすと、霜月は内容を聞く前に承諾の返事をしてきた。


 わがままをわがままとも思わない霜月は、私のお願いに柔らかく表情を緩めた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 久しぶりに見た現世の風景は、前と少しも変わっていない。

 当然と言えば当然なのだが、実体化して触れる現世は、やけに懐かしく感じられた。


「窮屈じゃない?」


 腕の中で大人しく抱かれている黒猫は、霜月が能力で変化した姿だ。

 仕事でもない限り、死神が現世で姿を現すことは禁止されている。


 人間としての側面を持つ私は、実体で行動することも可能だが、霜月は現世の規則ルールに反しないよう形を変える必要があった。


 その結果が黒猫これである。


 問題ないと言うようにパチリと瞬いた霜月は、綺麗な金色をゆるりと細めていく。

 猫になっても変わらない仕草が可愛くて、指でおでこを撫でながら、目的の場所へと足を進めた。



 神楽かぐらの所有する土地は、古くからの景観を維持する傾向にあった。


 公園ほどの広さがあり、別荘として使用することもある。

 門の前を掃除していた庭師が、私に気づくなり慌てて隅に移動するのが見えた。


 私の名字が神楽しがらきになった後も、陽向ひなたは私が神楽かぐらの敷地を自由に出入りできるようにしていた。


 会ったのは片手で数える程度だが、どうやら庭師の男は私のことを覚えていたらしい。

 視線を下げたまま動かない庭師の横を通り、邸宅の方に向かった。


「少しだけ待っててくれる?」


 問いかける私を見上げると、霜月は何も聞かず、するりと地面へ降り立っていく。

 縁側に座って一声鳴いた霜月の頭を撫で、邸宅の裏庭に続く道を進んだ。


 庭園を埋め尽くすほどの木々は、どれも桜の木だ。

 緑が生い茂っているため、開花の時期でもなければ、桜の木とは気づかないかもしれない。


 そういえば、神楽かぐらの本邸にある庭園にも、桜の木が植えてあった。

 香りを辿るように、とある木の前まで近づく。


 幹の部分に手を当てると、ぶわりと目の前が塞がれた。

 一瞬で立ち込めた霧は濃く、方角さえも知ることはできない。


 けれど、覆われた視界であっても、行き先に迷うことはなかった。




 ◆ ◇ ◇ ◇




「待ってたよ、睦月」


 夕暮れの空と、辺り一面に広がる満開の桜。

 花弁が舞い落ちる木の下で、真っ白な死神が微笑んでいる。


「入り口に気づいてくれて良かった。随分と目の扱いにも慣れたみたいだね」


「朧月がくれた仕掛けもあったからね」


 瞼の部分を指差すと、朧月は嬉しそうに笑みを深めていく。


「役に立ったならなによりだよ。そういえば、三日月とも会ったんだってね」


「三日月と話したの?」


「ほんの少しだけね。同じ現世にいるから、たまに隙をついて手紙を送り合ってるんだ。三日月からは小言が送られてきたよ」


 手のひらに降ってきた花弁を受け止め、息を吹きかけた朧月は、そのまま私の手を取ると、木の下に腰掛けるよう引いてきた。


 花弁の絨毯に並んで座り、太い木の幹に背中を預ける。

 思い出し笑いを溢す朧月に、どんな事を言われたのか聞いてみた。


「いきなり接触しすぎだって言われたよ」


「接触?」


「たとえば、──こういうのとかかな」


 白い指先が髪を掬っていく。

 そのまま毛先に口付けた朧月は、「また小言が届くかもね」なんて話しながら、全く後悔の感じられない顔で首を傾げている。


 左耳の前で揺れる小ぶりの三つ編みが、新雪のようにふわりと流れて。

 思わず、三つ編みを指で挟みこんでいた。


「……えっと」


「動かないで」


 余裕のある態度が僅かに崩れ、朧月は目に戸惑いを滲ませている。

 ひらひらと降ってくる桜の中で、花の形が保たれているものを選び手に取った。


 三つ編みの間に差し込むように花を飾る。

 白に映える桜色は、紅の混じる瞳よりもさらに淡く。


 花が綻ぶように笑う朧月に、よく似合っていた。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?