もしかしなくても上司って、私にかなり優しいのでは……?
思い立ったが吉日とばかりに上司の元へ押しかけ、現世に行きたいと話してみた。
仕事部屋にいたらラッキーなんて考えだったが、未来視の能力持ちにはお見通しだったらしい。
二つ返事で許可されたあげく、すんなり送り出された。
背後でショックを受けた美火が何か言う暇さえないほど、あっという間の出来事だった。
「私、何かしたっけ」
霜月と共に現世へ戻り、アパートに入って開口一番に飛び出した言葉がこれである。
私の独り言が聞こえたのだろう。
困り事かと首を傾げた霜月が、傍まで近寄ってきた。
上司について考えていたこともあり、霜月を見ていると以前の記憶が蘇ってくる。
「そういえば上司って、霜月にも優しいよね」
思い返してみると、要所要所にヒントはあったのだ。
初めて会った時、霜月は上司に対してバカとかクソとか散々な言いようだった。
しかし上司は怒るどころか、仕方のない部下だな。
くらいの態度で流していた覚えがある。
まああれは上司が悪いため、霜月は一ミリも悪くないのだが。
それにしても、もしあの態度を別の死神が取ったらと考えると……果たして無事でいられるのか気になるところだ。
同じ部下である美火にも優しい方だとは思うが、上司と部下の線引きはしっかりされている。
美火が仕事で動き回っていたり、近くに立って控えている時であっても、霜月は私の隣で座っていることが多かった。
いや、それを言ってしまうと私もなのだが。
とにもかくにも、この違いは何だろうかと考えてしまうくらいには、上司は私と霜月に対してかなり甘い気がするのである。
霜月も否定しない辺り、自覚はあるのだろう。
眉間の辺りをちょんとつつくと、複雑そうな表情が一瞬で溶けていく。
「律さんたちに挨拶しに行こうか」
燕のことがあってから、律たちと会うのは初めてだ。
しばらく死界に滞在していたが、現世からすればそんなに時間は経っていないはず。
律には前もって連絡を入れておいたため、アパートにいるのは知っていた。
玄関のドアを開くと、ちょうどチャイムを鳴らそうとしていた燕と目が合う。
「あ! 睦月ちゃん!」
「元気そうで良かった。もう身体は何ともない?」
「うん! むしろ前より元気なくらいだよ!」
明るく笑う燕に、それなら良かったと頭を撫でる。
嬉しそうに撫でられていた燕は、そのまま私の手を取ると、律のところへ行こうと引いてきた。
「あら睦月ちゃん。お帰りなさい」
「ただいまです」
お邪魔しますと言いかけた言葉を呑み込む。
私の返事に優しく微笑んだ律は、続けて入ってきた霜月を見るなり、「相変わらずイケメンね〜」とはしゃいでいる。
「料理中だったんですか?」
「そうよ。睦月ちゃんが戻るって知って、急いで買い物してきたんだけど、まだ作り始めたばかりなの」
申し訳なさそうにする律に、私も手伝いますと声をかけた。
「女子同士でキッチンに立つのが憧れだったのよ! 燕、霜月ちゃんのこと頼むわね」
「はーい!」
テンションの上がった律に連れられ、キッチンへと向かう。
振り返りざま、燕が霜月に「睦月ちゃんの手料理楽しみだね!」と話しかけているのが聞こえた。
「毎日食事をしているんですか?」
「ええ。死神にとってはただの嗜好品でも、あたしたちにとっては違う意味もあるから」
死神は何を食べようと、それが自らの糧になることはない。
けれど、律たちは食事の時間になると集まり、みんなで食卓を囲んでいるようだった。
「あたしたちが食事をとるのはね、人間の普通を忘れないためでもあるのよ」
「人間の普通……」
「ほら、あたしたちってちょっと特殊な仕事に就いてるじゃない? 人間に紛れて暮らす以上、上手いこと演じなきゃいけない時とかあったりして。粗が出ないように、普段から人間の生活に近づけて暮らすようにしてるの」
律たちは現世で仕事をする死神だ。
死神の中では、限りなく人間に近い場所に立つ存在でもある。
もしかすると、人間だった頃の記憶が濃く残っているのも、こういった面が関係しているのかもしれない。
「とは言っても、死神は体温がないから、夏は色々と気をつけなきゃいけないのよね。ま、どうしてもの時は少し記憶を弄らせてもらってるけど」
そう言ってウインクした律は、出来上がった料理を運ぶよう燕に頼んでいる。
リビングに戻ると、後から来ていた時雨と視線が合った。
霜月と二人は居心地が悪かったのだろう。
私を見るなりほっとした表情をしている。
「さ、食べましょうか。オムライスは睦月ちゃんが作ってくれたのよ」
「わあ! 美味しそうだね時雨!」
今日は洋食にしようと提案されたため、スープやサラダなどの副菜は全て律が担当し、私はメインのオムライスを担当していた。
普通のケチャップライスを卵で巻いただけだが、見た目はなかなか美味しそうだ。
現に、時雨も満更ではない様子でスプーンを手に取っている。
「いただきます」
各々がオムライスを口に運んでいく。
直後、誰かの呻き声が聞こえた。
「……っ、おいこれ……何入れ……っ」
口を抑えた時雨が、立ち上がろうとして床に膝をつくのが見える。
続けて青ざめた燕が、無言で椅子から滑り落ちていった。
「……なんて言うか……すごく、刺激的な味ね……」
オムライスの感想を聞いているはずなのに、全く違う料理の感想に思えてくる。
刺激的な調味料は入れていないが、律たちの様子を見る限り、かなり衝撃的な味のようだ。
そういえば子どもの頃、両親に手作りのクッキーをプレゼントしたことがある。
喜びのあまり泣きながらクッキーを齧った父が、泡を吹いて倒れて以来、料理をすることは禁止されていた。
とは言え、一人暮らしの時期は自炊をしていたし、味が変だと感じることもなかった。
誰かに食べてもらうのは久しぶりだが、そんなに不味かったのだろうか。
「霜月、私のは食べなくても大丈夫だよ」
「睦月の作った料理が一番美味い。あいつらは味覚がおかしいだけだ」
悶絶する三人とは別に、霜月はオムライスを平然と口に運んでいる。
無理をする必要はないと伝えようとしたが、どうやら霜月は本当に美味しいと思って食べているようだ。
綺麗に完食した霜月を見て、時雨が信じられないと言わんばかりに青ざめている。
痺れ薬でも盛られたような有様で、立ち上がることさえ出来ない時雨は、そのまま力尽き床と挨拶していた。
先ほどよりも回復した律が、「残すのは勿体無いものね……」なんて言いながら続きを食べようとする傍らで、燕も必死に立ち上がり席についている。
結果的に、「また作って欲しい」と幸せそうに笑う霜月を残し、律の部屋は死屍累々となった。