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ep.2 曖昧模糊たる状況


 もしかしなくても上司って、私にかなり優しいのでは……?


 思い立ったが吉日とばかりに上司の元へ押しかけ、現世に行きたいと話してみた。

 仕事部屋にいたらラッキーなんて考えだったが、未来視の能力持ちにはお見通しだったらしい。


 二つ返事で許可されたあげく、すんなり送り出された。

 背後でショックを受けた美火が何か言う暇さえないほど、あっという間の出来事だった。


「私、何かしたっけ」


 霜月と共に現世へ戻り、アパートに入って開口一番に飛び出した言葉がこれである。

 私の独り言が聞こえたのだろう。

 困り事かと首を傾げた霜月が、傍まで近寄ってきた。


 上司について考えていたこともあり、霜月を見ていると以前の記憶が蘇ってくる。


「そういえば上司って、霜月にも優しいよね」


 思い返してみると、要所要所にヒントはあったのだ。


 初めて会った時、霜月は上司に対してバカとかクソとか散々な言いようだった。

 しかし上司は怒るどころか、仕方のない部下だな。

 くらいの態度で流していた覚えがある。


 まああれは上司が悪いため、霜月は一ミリも悪くないのだが。

 それにしても、もしあの態度を別の死神が取ったらと考えると……果たして無事でいられるのか気になるところだ。


 同じ部下である美火にも優しい方だとは思うが、上司と部下の線引きはしっかりされている。

 美火が仕事で動き回っていたり、近くに立って控えている時であっても、霜月は私の隣で座っていることが多かった。


 いや、それを言ってしまうと私もなのだが。

 とにもかくにも、この違いは何だろうかと考えてしまうくらいには、上司は私と霜月に対してかなり甘い気がするのである。


 霜月も否定しない辺り、自覚はあるのだろう。

 眉間の辺りをちょんとつつくと、複雑そうな表情が一瞬で溶けていく。


「律さんたちに挨拶しに行こうか」


 燕のことがあってから、律たちと会うのは初めてだ。

 しばらく死界に滞在していたが、現世からすればそんなに時間は経っていないはず。


 律には前もって連絡を入れておいたため、アパートにいるのは知っていた。

 玄関のドアを開くと、ちょうどチャイムを鳴らそうとしていた燕と目が合う。


「あ! 睦月ちゃん!」


「元気そうで良かった。もう身体は何ともない?」


「うん! むしろ前より元気なくらいだよ!」


 明るく笑う燕に、それなら良かったと頭を撫でる。

 嬉しそうに撫でられていた燕は、そのまま私の手を取ると、律のところへ行こうと引いてきた。


「あら睦月ちゃん。お帰りなさい」


「ただいまです」


 お邪魔しますと言いかけた言葉を呑み込む。

 私の返事に優しく微笑んだ律は、続けて入ってきた霜月を見るなり、「相変わらずイケメンね〜」とはしゃいでいる。


「料理中だったんですか?」


「そうよ。睦月ちゃんが戻るって知って、急いで買い物してきたんだけど、まだ作り始めたばかりなの」


 申し訳なさそうにする律に、私も手伝いますと声をかけた。


「女子同士でキッチンに立つのが憧れだったのよ! 燕、霜月ちゃんのこと頼むわね」


「はーい!」


 テンションの上がった律に連れられ、キッチンへと向かう。

 振り返りざま、燕が霜月に「睦月ちゃんの手料理楽しみだね!」と話しかけているのが聞こえた。


「毎日食事をしているんですか?」


「ええ。死神にとってはただの嗜好品でも、あたしたちにとっては違う意味もあるから」


 死神は何を食べようと、それが自らの糧になることはない。

 けれど、律たちは食事の時間になると集まり、みんなで食卓を囲んでいるようだった。


「あたしたちが食事をとるのはね、人間の普通を忘れないためでもあるのよ」


「人間の普通……」


「ほら、あたしたちってちょっと特殊な仕事に就いてるじゃない? 人間に紛れて暮らす以上、上手いこと演じなきゃいけない時とかあったりして。粗が出ないように、普段から人間の生活に近づけて暮らすようにしてるの」


 律たちは現世で仕事をする死神だ。

 死神の中では、限りなく人間に近い場所に立つ存在でもある。


 もしかすると、人間だった頃の記憶が濃く残っているのも、こういった面が関係しているのかもしれない。


「とは言っても、死神は体温がないから、夏は色々と気をつけなきゃいけないのよね。ま、どうしてもの時は少し記憶を弄らせてもらってるけど」


 そう言ってウインクした律は、出来上がった料理を運ぶよう燕に頼んでいる。


 リビングに戻ると、後から来ていた時雨と視線が合った。

 霜月と二人は居心地が悪かったのだろう。

 私を見るなりほっとした表情をしている。


「さ、食べましょうか。オムライスは睦月ちゃんが作ってくれたのよ」


「わあ! 美味しそうだね時雨!」


 今日は洋食にしようと提案されたため、スープやサラダなどの副菜は全て律が担当し、私はメインのオムライスを担当していた。


 普通のケチャップライスを卵で巻いただけだが、見た目はなかなか美味しそうだ。

 現に、時雨も満更ではない様子でスプーンを手に取っている。


「いただきます」


 各々がオムライスを口に運んでいく。

 直後、誰かの呻き声が聞こえた。


「……っ、おいこれ……何入れ……っ」


 口を抑えた時雨が、立ち上がろうとして床に膝をつくのが見える。

 続けて青ざめた燕が、無言で椅子から滑り落ちていった。


「……なんて言うか……すごく、刺激的な味ね……」


 オムライスの感想を聞いているはずなのに、全く違う料理の感想に思えてくる。

 刺激的な調味料は入れていないが、律たちの様子を見る限り、かなり衝撃的な味のようだ。


 そういえば子どもの頃、両親に手作りのクッキーをプレゼントしたことがある。

 喜びのあまり泣きながらクッキーを齧った父が、泡を吹いて倒れて以来、料理をすることは禁止されていた。


 とは言え、一人暮らしの時期は自炊をしていたし、味が変だと感じることもなかった。

 誰かに食べてもらうのは久しぶりだが、そんなに不味かったのだろうか。


「霜月、私のは食べなくても大丈夫だよ」


「睦月の作った料理が一番美味い。あいつらは味覚がおかしいだけだ」


 悶絶する三人とは別に、霜月はオムライスを平然と口に運んでいる。

 無理をする必要はないと伝えようとしたが、どうやら霜月は本当に美味しいと思って食べているようだ。


 綺麗に完食した霜月を見て、時雨が信じられないと言わんばかりに青ざめている。

 痺れ薬でも盛られたような有様で、立ち上がることさえ出来ない時雨は、そのまま力尽き床と挨拶していた。


 先ほどよりも回復した律が、「残すのは勿体無いものね……」なんて言いながら続きを食べようとする傍らで、燕も必死に立ち上がり席についている。


 結果的に、「また作って欲しい」と幸せそうに笑う霜月を残し、律の部屋は死屍累々となった。



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