ここで働きたいというのは、同じ上司の下で仕事をしたいということだろうか。
何も言わない私に、アルスは慌てた様子で話を続けていく。
「そのっ、ぼ、僕……試験に合格したんです。課長からも褒めていただけて……どどどうやって飛び級までしたんだって聞かれたりもしました」
アルスは経理課の死神だ。
つまり課長とは、経理課での上司を指しているのだろう。
「アルスも合格したんだね。おめでとう」
「あっ、ありがとうございます……! 睦月さんのおかげです!」
「飛び級ってことは、今の階位はいくつになったの?」
「えっと、
試験開始時、私とアルスの位は下三位だった。
ヴォルクが下二位から下一位に上がっていたことを考えると、アルスはそれよりも上の位に合格したということになる。
「それでその……むっ、睦月さんにお世話になったことを伝えたら、課長から恩返しに行くよう言われたんです。しっ、しばらくの間は……こちらで働かせていただくようにと……」
「なるほど。上司からの指示で来たんだね」
経理課の課長が何故そんな指示を出したのかは解らないが、アルスがここに来た理由は分かった。
「それなら、アルスの上司から連絡を入れてくれればいいのにね」
「ぼ、僕もそう思います……」
疲れを滲ませるアルスの顔には、どうせ言っても無駄だと書いてある。
初めから諦めた表情をする辺り、色々と苦労があるようだ。
とりあえず、アルスがここに来た経緯は知れたが、この件は私の判断でどうにかできるものでもない。
手っ取り早いのは、
「相変わらずタイミングが良いですね」
「ちょうど用が済んだだけですよ」
時の運でも身につけているのか。
はたまた、時間さえも手の内で転がしているのか。
未来視の能力があるだけに、どこまでが意図的なのか測りきれない。
アルスは気づいていなかったのだろう。
驚きと恐怖で、背中がまな板のようになっている。
時間差で青ざめていくアルスを一瞥すると、上司は奥側の椅子へと腰を下ろした。
「経理課の課長から、しばらくここで働くよう言われたそうです」
「そうですか」
美火の説明を聞いた上司だが、これといった反応はない。
縮こまるアルスを視界に収めながら、隣に座った霜月に目線を向けた。
私がアルスの元に行く際、霜月は上司から呼ばれていたのだ。
応接室は上司の仕事部屋と近いため、そのまま合流することにしたのだろう。
「どう思う?」
「睦月があいつを信用できるなら、試しに使ってみてもいいと思う」
まるで、アルスが私の部下にでもなるような意味に聞こえる。
ここのトップは上司であり、アルスの処遇を決められるのも上司だけのはずだ。
しかし、肝心の上司がアルスに関心を示さないため、話が進む気配はない。
緊張のあまり、アルスは今にも泡を吹いて倒れそうだ。
そもそも、上司は応接室まで何をしに来たのか。
ここで集まらずとも、必要ならアルスだけを呼び出せばいい話である。
──要するに、今回も手の上という訳か。
点と点が繋がるまでに、あまり時間はかからなかった。
「期間中、アルスを私に貸してくれませんか?」
「貸すもなにも、私は彼の上司になった覚えはありませんよ」
短い呼吸音の後、アルスの息が止まった気配がした。
別に呼吸しなくとも問題はないのだが、揶揄いを真に受けたアルスは、今にも消えそうな雰囲気をしている。
「ですが、睦月が欲しいと言うなら仕方ありませんね。昇格祝いの代わりにでもしておきましょうか。──好きに使っていいですよ」
「ありがとうございます」
要件は終わったとばかりに席を立つ上司は、美火を連れ仕事部屋の方に戻っていく。
ぽかんとしているアルスの名前を呼ぶと、私と霜月も立ち上がった。
「じゃあ行こうか」
「……えっ? ああの、行くってどこに……」
「アルスの能力をもっと活かせるところ、かな」
◆ ◆ ◇ ◇
どんな物体も突き抜けていく「貫通」の能力は、スナイパーとしての才能があるアルスにとても合っている。
特殊な視野を持っていることも加味すると、遠距離型として集中的に強化していく方が良いように思えた。
「そういえば、ヴォルクとは連絡を取ってるの?」
「は、はい! あの後、連絡先を交換してもらったんです」
「そっか。なら、試験に受かったことも知ってるよね」
「聞いてます。たっ、ただその……僕、ヴォルクさんより位が上になってしまって……」
自己肯定感が低いアルスのことだ。
ヴォルクと比較することで、引け目を感じているのだろう。
自分の方が上の位なのは、相応しくないのではないかと──。
「申し訳なく思うのは自由だよ。謙虚であることも、傲慢でいるよりかはずっといい。でも、自分には不相応だと卑下する行為は、アルスを審査した死神たちに見る目がないと言ってるのと同じだよ」
「……っ、す、すみません……」
ハッとした様子で謝るアルスは、私の一歩後ろを俯きながら歩いている。
「それと、ヴォルクは多分、位とかそういうのは気にしてないと思うよ」
「そっ、そうなんですか……?」
「今度聞いてみたらどうかな。ヴォルクが試験を受けた一番の理由について」
振り向きざまに立ち止まり、アルスの方を見る。
アルスは大きく首を振ると、暗い顔から一転、笑顔で私の傍を歩き始めた。
時折「へへへ」と聞こえる笑い声に、どうして急に機嫌がよくなったのか分からず、内心で首を傾げる。
「あのっ、睦月さん! い、今更ですが、隣の死神はもしかして……」
「私のパートナーだよ。霜月と会うのは初めてだっけ」
「は、はい。候補生としての時期が違ってたので……。あ、でも、噂を聞くことは多かったですよ!」
先ほどよりも詰まることなく話せるようになっているのは、緊張が解けてきた証拠だろう。
──霜月は誰に対しても塩対応だが、アルスは平気だろうか?
ふとそんな考えが浮かんだが、こちらにキラキラした眼差しを向けるアルスを見る限り、何となく大丈夫な気がした。