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ep.22 あっちとこっち


「もうそこに気づいていたんだね」


 転幽てんゆうはぱちりと瞬くと、淡い笑みを浮かべている。


「睦月の言う通り、わたしは睦月から生まれた人格ではないよ。でも、睦月を助けるためにここへ来たのは事実ほんとうだ」


 転幽はここを、「私の領域であって、そうではない空間」だと言っていた。

 まるで謎かけのような言葉だが、少なくともここが転幽の領域でないことは確かだ。


 つまり、転幽がここに来る手段があるとすれば、扉を通ってきた可能性が一番高いということになる。


「転幽はどの扉から来たの?」


「うーん。それはまだ秘密」


「じゃあ、どんな存在から生まれたの?」


 砕けた話し方が嬉しかったのだろう。

 にこにこと微笑んでいた転幽は、私の問いかけにきょとりとした表情を浮かべている。


「それを教えたところで、今の睦月には理解できないと思うよ?」


 今の私だから理解できない、か。


「でも大丈夫。いつか必ず、睦月は全てを知る時が来るからね」


 転幽の言葉は安心させるためというより、決まりきった事実を話しているかのようだ。

 死神かれらはいつだって、私が自ら答えに辿り着くことを望んでいた。


 どんな目的があるのかは分からない。

 けれど、そんな事はもうどうだってよかった。

 私は既に、彼らを信じると決めたのだから。


 たとえその先に何が待ち受けていたとしても、後悔だけは絶対にしない。

 大切な存在を亡くし、色褪せた日々を食い潰すように生き続けるくらいなら、私はきっと──。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 現世のとある一軒家。

 そこに住む一家の子供部屋で、プーパは怒りの声を上げていた。


「あのにんげんのこむすめ! よくもぷーぱをこんなめに!」


「プーパ様、どうか耐えてください。せっかくの計画が水の泡になってしまいます」


 いつの間に入り込んだのか、部屋では黒い蛇がとぐろを巻いている。

 プーパを懸命になだめる蛇は、焦りのあまり舌が飛び出たままだ。


「あのこむすめは、あろうことかこのぷーぱをせんたくしたんですよ!」


 よく見るとプーパの体は湿っており、強い力が加えられたかのようによれている。

 ほんのりと香る柔軟剤の匂いが、余計にプーパの気を荒立たせていた。


「プーパ様、わたくしはレイン様の命を受けやって来たのです。どうか怒りをおしずめください」


「ごしゅじんのめいとあってはしかたないですね! びべれよ、ようけんをはなすのです」


 レインの名が出たことで、プーパも冷静さを取り戻したらしい。

 ビベレと呼ばれた悪魔はこうべを垂れると、レインからの命令を口にした。


「あの死神の娘を捕まえるため、プーパ様の補助をするよう仰せつかりました。魔界に連れ込んだ後は、このビベレが拘束をにないましょう」


「ふむ」


「ご納得いただけたようで何よりです。それでプーパ様。今その娘は何処いずこに?」


 ビベレの問いかけに、プーパは何故か視線を彷徨わせている。


「たぶん、あっちのほうです」


「多分……? プーパ様、娘はこの近くにいるはずではなかったのですか?」


 プーパの態度を見たビベレは、不思議に思ったらしい。

 確かめようと問いかけるも、プーパは首を横に振っている。


「すんでいたいえをもやしたのです。いまはちがうばしょにひなんしています」


「家を……燃やした……? プーパ様、誓約書! 誓約書のことを忘れたわけではないですよね!?」


 今にも倒れそうな形相のビベレに、プーパは甘いなと言わんばかりの表情を浮かべた。


「びべれよ。ぷーぱはかんがえたのです。そして、おもいつきました。むすめじしんにきがいをくわえず、げんせにおびきよせるしゅだんを!」


「それはつまり、誓約書の穴を突いたと?」


「そのとおりです! ぷーぱはあのむすめのへやいがいをもやしたのですよ」


 自信満々に言葉を発するプーパに、ビベレの目が丸くなっていく。


「娘の部屋以外……。何故そのようなことを? それに、娘の部屋だけ残した理由とは何でしょうか」


「いえがなくなれば、むすめはいそいでしかいからもどってくるはずです。なぜむすめがこちらにすんでいたのかはわかりませんが、まあそれはいいでしょう」


 プーパの説明に、ビベレも納得した様子で頷いている。


「むすめのへやだけのこしたのは、しょゆうぶつへのきがいが、ほんにんへのきがいになるからです。ぎゃくにそれさえしなければ、いえをもやしてもいはんにはなりません」


「なるほど。娘の私物に危害を加えてないため、違反にはなっていないのですね! しかも、娘を現世に呼び出す手段にもなっている……。素晴らしい! これ以上ない方法です!」


 感激で尾を振ったビベレは、プーパに尊敬の眼差しを向けている。

 ビベレからの視線を受けて、プーパも満更ではなさそうだ。


「えへん! ぷーぱからすればこのくらいかんたんです!」


「あっぱれですプーパ様! それで、娘の元にはいつ向かいましょう?」


 プーパの体がぎくりと揺れた。


「それが……どうやらさきほど、またしかいにもどったようなのです」


「何ですって!? 何故また死界に!?」


 目をひん剥くビベレに、プーパもしょぼしょぼと落ち込んでいく。


「とっ、とにかく、まずは死界から戻ってくるのを待ちましょう。死界あちら現世こちらでは時の流れが違いますからね。そんなに時間もかからず戻ってくるはずです」


 黒い羊のぬいぐるみと、とぐろを巻いた黒い蛇。

 子供部屋で見るには不自然な光景だが、呆然とした様子で硬まる二匹の姿は、他に並ぶぬいぐるみたちとそう変わりないように思えた。



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