「もうそこに気づいていたんだね」
「睦月の言う通り、わたしは睦月から生まれた人格ではないよ。でも、睦月を助けるためにここへ来たのは
転幽はここを、「私の領域であって、そうではない空間」だと言っていた。
まるで謎かけのような言葉だが、少なくともここが転幽の領域でないことは確かだ。
つまり、転幽がここに来る手段があるとすれば、扉を通ってきた可能性が一番高いということになる。
「転幽はどの扉から来たの?」
「うーん。それはまだ秘密」
「じゃあ、どんな存在から生まれたの?」
砕けた話し方が嬉しかったのだろう。
にこにこと微笑んでいた転幽は、私の問いかけにきょとりとした表情を浮かべている。
「それを教えたところで、今の睦月には理解できないと思うよ?」
今の私だから理解できない、か。
「でも大丈夫。いつか必ず、睦月は全てを知る時が来るからね」
転幽の言葉は安心させるためというより、決まりきった事実を話しているかのようだ。
どんな目的があるのかは分からない。
けれど、そんな事はもうどうだってよかった。
私は既に、彼らを信じると決めたのだから。
たとえその先に何が待ち受けていたとしても、後悔だけは絶対にしない。
大切な存在を亡くし、色褪せた日々を食い潰すように生き続けるくらいなら、私はきっと──。
◆ ◆ ◇ ◇
現世のとある一軒家。
そこに住む一家の子供部屋で、プーパは怒りの声を上げていた。
「あのにんげんのこむすめ! よくもぷーぱをこんなめに!」
「プーパ様、どうか耐えてください。せっかくの計画が水の泡になってしまいます」
いつの間に入り込んだのか、部屋では黒い蛇がとぐろを巻いている。
プーパを懸命に
「あのこむすめは、あろうことかこのぷーぱをせんたくしたんですよ!」
よく見るとプーパの体は湿っており、強い力が加えられたかのようによれている。
ほんのりと香る柔軟剤の匂いが、余計にプーパの気を荒立たせていた。
「プーパ様、わたくしはレイン様の命を受けやって来たのです。どうか怒りをお
「ごしゅじんのめいとあってはしかたないですね! びべれよ、ようけんをはなすのです」
レインの名が出たことで、プーパも冷静さを取り戻したらしい。
ビベレと呼ばれた悪魔は
「あの死神の娘を捕まえるため、プーパ様の補助をするよう仰せつかりました。魔界に連れ込んだ後は、このビベレが拘束を
「ふむ」
「ご納得いただけたようで何よりです。それでプーパ様。今その娘は
ビベレの問いかけに、プーパは何故か視線を彷徨わせている。
「たぶん、あっちのほうです」
「多分……? プーパ様、娘はこの近くにいるはずではなかったのですか?」
プーパの態度を見たビベレは、不思議に思ったらしい。
確かめようと問いかけるも、プーパは首を横に振っている。
「すんでいたいえをもやしたのです。いまはちがうばしょにひなんしています」
「家を……燃やした……? プーパ様、誓約書! 誓約書のことを忘れたわけではないですよね!?」
今にも倒れそうな形相のビベレに、プーパは甘いなと言わんばかりの表情を浮かべた。
「びべれよ。ぷーぱはかんがえたのです。そして、おもいつきました。むすめじしんにきがいをくわえず、げんせにおびきよせるしゅだんを!」
「それはつまり、誓約書の穴を突いたと?」
「そのとおりです! ぷーぱはあのむすめのへやいがいをもやしたのですよ」
自信満々に言葉を発するプーパに、ビベレの目が丸くなっていく。
「娘の部屋以外……。何故そのようなことを? それに、娘の部屋だけ残した理由とは何でしょうか」
「いえがなくなれば、むすめはいそいでしかいからもどってくるはずです。なぜむすめがこちらにすんでいたのかはわかりませんが、まあそれはいいでしょう」
プーパの説明に、ビベレも納得した様子で頷いている。
「むすめのへやだけのこしたのは、しょゆうぶつへのきがいが、ほんにんへのきがいになるからです。ぎゃくにそれさえしなければ、いえをもやしてもいはんにはなりません」
「なるほど。娘の私物に危害を加えてないため、違反にはなっていないのですね! しかも、娘を現世に呼び出す手段にもなっている……。素晴らしい! これ以上ない方法です!」
感激で尾を振ったビベレは、プーパに尊敬の眼差しを向けている。
ビベレからの視線を受けて、プーパも満更ではなさそうだ。
「えへん! ぷーぱからすればこのくらいかんたんです!」
「あっぱれですプーパ様! それで、娘の元にはいつ向かいましょう?」
プーパの体がぎくりと揺れた。
「それが……どうやらさきほど、またしかいにもどったようなのです」
「何ですって!? 何故また死界に!?」
目をひん剥くビベレに、プーパもしょぼしょぼと落ち込んでいく。
「とっ、とにかく、まずは死界から戻ってくるのを待ちましょう。
黒い羊のぬいぐるみと、とぐろを巻いた黒い蛇。
子供部屋で見るには不自然な光景だが、呆然とした様子で硬まる二匹の姿は、他に並ぶぬいぐるみたちとそう変わりないように思えた。