死界に来た時、前よりも空気が馴染んだように感じた。
「不思議そうだね、睦月」
不意に聞こえた声。
振り返ると、そこはもう死界ではなかった。
いくつもの扉が浮かぶ空間で、私はソレと向かい合っている。
前と変わらず、
「白昼夢……?」
ついさっきまで、私は霜月と共に死局へ向かっていたはずだ。
どうしてここに立っているのだろうか。
「ここは何処にも属さない世界。睦月の領域であり、そうではない空間だ。睦月はいつでもここに来られるよ。その権利を既に持っているからね」
「いつでも……。つまりここは、夢でさえなかったんですね」
ただの夢ではないと思っていたが、そもそも夢というのも私の思い込みだったようだ。
「夢を渡った方が繋がりやすいのは確かだよ。けれど、睦月はもう夢を使わなくても自由に来られるようになった」
にこりと微笑むソレが、いったいどんな容姿をしているのか。
「前にわたしが言ったこと、覚えてるかな?」
「名前のことですよね」
私の答えに、ソレは満足そうな雰囲気をしている。
「覚えててくれたみたいで嬉しいよ。それで、どんな名前を付けてくれるんだい?」
見た目は分からずとも、こちらをじっと見つめる視線は感じられた。
前に私を助ける人格だと言っていたが、そもそもこの存在が何者なのか。
──それさえもはっきりとはしていないのだ。
「
「……転幽。それがわたしの名前?」
穏やかに聞き返してくる声は、確かめているようでもあり、その実、決まった答えを繰り返すようでもあった。
「はい」
私の返事を聞くと、ソレは突然、空気を吐くような笑い声を上げた。
「ふっ、あははっ! なるほどね。睦月はわたしに、そう名付けてくれるのか」
軽やかな笑い声が空間に響き渡っていく。
ソレの周りを覆っていた霞が晴れ、輝く黄が姿を現した。
黄金色の髪は綺麗に編まれており、左肩から前へと垂らされている。
青年と少年の狭間にある容姿は、神秘的と言えるほどの美しさをしていた。
「転幽。転じて幽となす、か」
こちらを見て微笑む姿は、まるで
「気に入った。今この瞬間より、わたしの名は転幽だ」
表では微笑みながらも、内側では何を考えているのか全く読めない。
けれど今、──転幽は喜んでいる。
それだけは、確信を持って理解することができていた。
◆ ◆ ◇ ◇
「さ、それじゃあ行こうか。満月も待っていることだし、善は急いだ方がいい」
「満月……? そういえば、満月は今どこにいるんですか?」
「それは行ってからのお楽しみだよ」
転幽は私の手を取ると、何処かへ向かって引いてくる。
周りを見渡しても扉ばかりの空間だ。
ここはおとなしく、転幽に任せておいた方が良いだろう。
「そうだ、睦月。わたしはもう睦月のものだから、もっと砕けた話し方をしてくれていいんだよ?」
「私を助ける人格じゃなかったんですか?」
いきなり「君のものだよ」なんて発言をされて、思わず足が止まってしまった。
「睦月を助ける人格ってことは、睦月のものってことと同義だろう?」
「よく分からないです」
「おや、つれないね。それに話し方も堅いままだ」
残念そうな顔をして見せる転幽に、頭が混乱してくる。
もし、私を助ける人格が、私から派生したものであったなら、まだ納得もできたかもしれない。
けれど──。
「転幽は、私とは違う所から来たんだよね?」