一体、これは何事だろうか。
目の前に、妖精が飛んでいる。
庭園に咲く花の上に座り、ぼーっとどこかを眺めていた妖精は、私と視線が合うと驚いた顔で飛び上がった。
今の私は人間側のはず。
しかし、あちこちに視える人ならざるモノの姿に、朧月がくれた助力とやらが既に効果を発揮していることを悟った。
死神の時であれば、視界の端にチラつく程度のことはあったが、こんなに多くの存在が一箇所に集まっているのは見たことがない。
「どうしてこんなに?」
呟く私の視界に、黒いローブがはためいた。
フードの中から覗く金と視線が合う。
きらきらと輝く目は、驚きのあまりこぼれ落ちそうだ。
月のような瞳だと思っていたが、こうして見ると蜂蜜のようにも見える。
霜月に向けて手を振ると、すぐさまこちらに近寄ってきた。
口を開きかけた霜月だが、ここが外だということを思い出したのだろう。
戸惑った様子で傍に立っている。
こちらをチラチラと見てくるモノたちを視界の端に収めながら、私はどう説明しようかと一人頭を悩ませていた。
◆ ◆ ◇ ◇
霜月と部屋に戻り、向かい合って座った。
自室とはいえ、ここは
念のため、霜月には実体化を取らずに話そうと伝えておいた。
これなら万が一誰かに見られても、私が
それはそれで、あらぬ誤解を受けそうではあるが。
「何で視えてるか、なんだけど」
言ってもいいのだろうか。
朧月の存在や、月を冠するもの。
そして……上司のことについても。
「無理に話さなくていい」
霜月の言葉に顔を上げる。
「俺も……睦月に話せてないことがある。睦月が聞かないでくれてることも分かってる。だから、睦月も言わなくていい。無理に話そうとしなくていいんだ」
死神は嘘をつけない。
けれど何より、霜月は嘘を吐いたりしない。
もし私が聞けば、霜月は無理をしてでも答えようとするだろう。
霜月が苦しむ姿は見たくない。
私のせいで、板挟みの苦しさを余分に抱える必要はないと思ったから。
視る力が真実を探すためにあるのなら、いつか全ての
だから今は──これでいい。
「ありがとう霜月」
「俺の方こそ感謝してる」
張り詰めた糸が解けていくように、いつも通りの空気が周囲に流れた。
秘密があっても、まだ言えないことが多くても、霜月は私の味方なんだと──それだけははっきりと言えるから。
蜂蜜のように溶ける霜月の金が、とても愛おしく感じた。
◆ ◇ ◇ ◇
「はい、霜月先生。質問です」
「うん。何でも聞いて」
和んだ空気感の中、今がチャンスとばかりに手を上げる。
私の唐突な行動にはもう慣れたらしい。
霜月は特に驚いた様子もなく、すぐに耳を傾けてくれた。
何でも聞いて、か。
絶対的な信頼が、何だかくすぐったく感じる。
「見た限り、ここにはかなりの数がいるみたいだけど、何か理由があったりするの?」
「この場所は霊山に囲まれてるから、人にとって害のないモノが集まりやすくなってるんだと思う。俺たちのような外の存在と違って、この世界に住むモノは、土地や空気の影響を直に受けることになる」
死神や悪魔は、この世界とは別の世界から来ている。
そのため、現世という異なる世界に干渉する以上、守らなければならない
しかし、規則さえ破らなければ、現世のどこであろうと自由に干渉することができるのだ。
加えて、たとえ現世で失態を晒そうと、死神の世界は別にあり、罰を受けるのも己の世界でとなる。
そう考えれば、元から現世に住まうモノたちが、現世という世界の影響を強く受けるのも、至極当たり前のことだと言えるだろう。
霊山に囲まれた地は、清浄な空気が多く満ちている。
庭で視たモノの多くが、そういった場所を求めて集まって来たのだとすれば、数が多いのも納得だ。
「綺麗な場所には、綺麗なモノが集まりやすいんだね」
だから朧月も、ここで眠っていたのだろうか。
閉じた襖の向こうで舞う妖精たちの姿に、私は自然と目を細めた。
「そういえば、さっきまでどこに行ってたの?」
実体化を解いていたことを考えると、猫の姿では行きにくい所だったのかもしれない。
「視察に行ってた。実体化を解いて動いた方が、早く睦月の元に戻って来れるから」
「なるほど」
効率のためだったらしい。
語彙力が消失し、なるほど以外、口から出てこなかった。
《緊急度の高い連絡を受信しました。迅速な閲覧を推奨します》
突如頭に聞こえた音声。
目の前にはモニターが浮かんでいる。
霜月の様子を見る限り、どうやらこの連絡は私にだけ来たものではないようだ。
「これって……」
「緊急性のある連絡は、こうして届くようになってるんだ」
連絡先を開き、内容を確認する。
メッセージの送り主は、情報管理課のナツメグだった。
〈警備課で拘束中だったカウダが、何者かの手により脱走した。警備課による事情聴取のため、一度死界に戻ってきて欲しい〉