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ep.8 神楽と神楽


 窓の外に広がる景色は、もう夏に染まりつつあった。

 梅雨明けの空から降り注ぐ日差しが、田んぼの水に反射して光っている。

 ブラインドを下ろして、車内の電光掲示板へと目を向けた。


 到着まであとわずか。

 膝に置いたケージの中では、一匹の黒猫が静かに丸まっていた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 京都に着くまでの間、霜月とは別行動をとるつもりでいた。

 しかし、何やら不穏な動きを察知したミントから連絡が届いたことで、話し合いの結果という訳だ。


 実体化を取らず傍にいる方法も考えはしたのだが、私が感知できなくなる以上、危険を伝える手段も限られてくる。

 それに、仕事以外で現世にいる死神はかなり珍しい。


 現世と死界。

 どちらの規則ルールも守るためには、不用意な行動は避けるべきだろう。


 ──とは言え、だ。

 いくら見た目が猫でも、中身は霜月のまま。

 どうにも気になって見てしまう。


 たまに尻尾が揺れているのを目にすると、私の気持ちまでぐらつく始末だ。

 猫って、どうしてこんなに可愛いんだろう。

 脱線しかけた思考に、素早くふたをする。


 そもそも、私が何故悪魔に狙われているのか、未だに詳しいことは分かっていない。

 可能性としては、上司がとんでもない恨みを買ったことで、私にまで火の粉が飛んできている……とかが有力だろうか。


 そういえば、ミントも不思議がっていた。

 情報管理課が掴めていない情報を、どこから知ったのかと。

 相手が上司だと分かってからは、納得した様子でそれ以上聞いてくることもなくなったのだが。


 車内アナウンスが流れ、降りる駅の名前が告げられる。

 ケージを持ち上げると、揺れに気づいた霜月が私の方を見た。


「着いたみたい。もう少しだけ待っててね」


 心配ないと言うように尻尾を揺らした霜月は、再び丸くなり目を閉じている。

 ホームに降り立つと、真っ直ぐ出口へ向かった。


 人の多い駅だが、特にぶつかることもなく、自然と空いた隙間を進んでいく。

 駅を出て少し行った先に、見覚えのある車が停められているのが見えた。


「お迎えありがとうございます」


「とんでもない。久方ぶりにお会いできて、喜ばしく思っております」


 車から出てきた初老の男性は、こちらに向けて一礼すると、穏やかな顔で微笑んでいる。


「そのケースはもしかして……」


「私の家族です」


「やはりそうでしたか」


 私の持っているケージを見て、思い当たる節があったのだろう。

 納得した様子でうなずくと、後部座席のドアを開いてくれる。


 私たちを乗せた後、車はゆっくりと目的地に向かって動き出した。


「こちらに戻られるのは年明け以来ですね」


 記憶よりも少しだけ歳を感じる声。

 神楽かぐらで長きに渡り運転手を務める渡守わたもりは、私を幼い頃から知る人物の一人だ。


 怒っているところは一度も見たことがない。

 穏やかで丁寧な渡守は、神楽の当主にも信頼されていた。


「睦月様に会えず、陽向ひなた様も寂しがっておられました」


「そうですか」


 神楽かぐら 陽向ひなた


 本家の跡取りで、神楽かぐらの名を持つ唯一の存在だ。

 渡守の視線が、バックミラー越しに向けられる。

 つかの間の出来事だったが、私を見る目には哀愁あいしゅうが漂っていた。


「しかし良かった。睦月様が猫を迎えられたと聞いて、いつかお会いできたらと思っていたんです」


「どうしてですか?」


「勿論、睦月様の大切なご家族だからですよ。名前は存じ上げませんでしたが、霜月様と言うのですね。素敵なお名前です」


 嬉しそうに話す渡守は、きっと何も知らないのだろう。

 私が猫を迎えたことは、誰にも言っていなかった。

 わざわざ話す必要はなかったし、何より本家と関わるのは面倒だ。


 以前住んでいたマンションは神楽しがらきが所有していたこともあり、申請も問題なく通すことができた。

 しかし、程なくして陽向から届いたメッセージには、何故か猫について書かれた内容が載っていた。


 原因は単純で、マンションの管理にたずさわっていた者が、本家に行った際喋ってしまったのだ。


 挙げ句の果てに、「相手は神楽かぐらだから仕方なかった」と言ってしまうくらい、おめでたい頭の持ち主である。


 分家と言えど、神楽しがらきは本家の次に力のある家だ。

 いくら相手が本家でも、雇い先が神楽しがらきである以上、その言い訳は通用しない。


 何より、本当の理由は、神楽の次期当主である陽向に近づくため、私の情報をリークしていたってところだろう。

 まあとにかく、そんなことがあってから、私はいっそう自分のことを話さなくなっていった。


 本家から来るメールは増えたが、私から送る連絡はいつも仕事のことだけ。

 だから知らない。

 渡守はもちろん、陽向さえも。


 あの日──赤に染まった満月あのこを抱えて帰った日のことは、きっと誰も……知りはしないのだ。



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