「分かった。ならこの件は、これで終わりにする」
「えっ!? ちょ、ちょっと待って。あたしが言うのも何だけど、本当に大丈夫なの?」
霜月の言葉に、慌てた様子の律が問いかけている。
ポカンとした表情の時雨は、口が開いたままだ。
「それが睦月の望みだから。それに、上司からもそうするように言われてる」
「霜月ちゃんたちの上司が? まさかそんな……」
律から見た上司は、そんなに驚くほど厳しい存在なのだろうか?
私の視線に気づくと、律はハッとした表情に変わった。
「今はそんなこと言ってる場合じゃなかったわね」
気を取り直すように立ち上がった律は、私の方を真っ直ぐ見つめてくる。
「その話、ありがたく受け取らせてもらうわ。睦月ちゃん、今回のこと本当にごめんなさい。そして、本当にありがとう」
最後に微笑んだ律は、横でまごつく時雨の背中を思いっきり
「いっっってぇ!」
「オラ、早くしなさいよ」
かなり痛かったのだろう。
涙目の時雨は、けれど私の方を見ると、覚悟を決めた様子で口を開いた。
「その……、悪かった! 信じてもらえるか分かんねぇけど、傷つけるつもりは無かったんだ」
「おおかた、代わりに退治してもらおうとか考えてたんでしょ?」
「うっ……」
図星を突かれたことで、時雨は言葉に詰まっている。
初めから、何となく分かっていたのだ。
時雨が私を害する気がないということも、霜月に対してどこか
まあ、かなり
「普段は誰に頼んでるの?」
「……
「ああ、燕くん」
恥ずかしげに視線を
「じゃあ、今度から燕くんが居ない時は、お隣のよしみでお手伝いするね。──霜月が」
「えっっ」
時雨の明るくなりかけた表情が、一気に降下していく。
「あらいいじゃない。お願いね、霜月ちゃん」
「何でだよ!? てか、お前はそれでいいわけ!?」
「睦月が言うなら」
「嘘だろ……?」
当然だと言わんばかりに肯定する霜月を見て、時雨の顔が
「こいつマジで別人なんじゃ……」なんて呟く時雨を尻目に、律は楽しそうな笑みを浮かべた。
「でも、良かったじゃない。霜月ちゃんと仲良くなりたかったんでしょ?」
「は? ちがっ、俺は! ……っとにかく! いくら力が強いからって、俺の方が先輩なのは変わんねぇんだからな!」
そう言い放つと、時雨は真っ赤な顔で玄関の方へと走り去っていった。
律は全くもうと言うような雰囲気で見守っていたが、不意に私の方を見ると手を差し出してきた。
「睦月ちゃん、良かったら連絡先交換しない? 仕事以外のことでも、何かあればいつでも相談に乗るわ」
「助かります」
手を握ると同時に、印とは違う感覚が降りてくる。
不思議と、前よりも心地よく感じた。
◆ ◆ ◇ ◇
「……正直驚いた。あいつが、あんな風に笑う相手がいるなんて」
「そうね」
「どんなに好意を寄せられても、絶対に動かないやつだったのに……」
恋愛とは無縁の存在だと思っていた。
そう呟く時雨を横目に、律はどこか浮かない顔をしている。
「時雨には、そう見えたのね」
「は? どう見てもあれはそうだろ」
それ以外に何があるんだと眉を顰める時雨を見て、律は小さく首を振った。
「いえ、いいのよ。気にしないで」
一瞬、何かに悩むような顔を見せた律は、すぐにいつも通りの様子に戻っていた。
「ねえ、時雨。一つお願いがあるの」
「いきなり何だよ」
真面目な声で話す律に、時雨は戸惑いながらも耳を傾けている。
「もしもこの先、睦月ちゃんに大きな困難が訪れて、大切な存在と離れる時が来たとしても……時雨は味方でいてあげて。睦月ちゃんを一人にせず、傍で助けてあげてほしいの」
「……急に、何の話をしてんだよ。まるであいつが……」
「やぁね、もしもの話よ」
そう言って笑う律は、時雨の知らない表情をしていた。
ポツリポツリと降り出した雨が、やがて大降りに変わっていく。
律が言ったことの意味を、時雨は雨が降り止むまでずっと、一人で考え続けていた。